音楽ナタリー Power Push - agraph

5年間かけて到達した「リスナーを遠ざけるための音楽」

agraphが2月3日に3rdアルバム「the shader」をリリースした。今作で彼は、これまでの作品で積み上げた「美しくメランコリックなエレクトロニカ」という自身の作品のイメージを一新。精巧に組み立てられた電子音とともに、アブストラクトで不穏な抽象音が幾重にも重ねられており、物静かでありながら非常に高密度で情報量の多いサウンドに仕上げられている。

agraphがオリジナルアルバムを発表するのは2010年11月発表の「equal」以来5年3カ月ぶり。その間に彼は本名の牛尾憲輔として、4人組バンド・LAMAの立ち上げに参加したり、電気グルーヴのライブサポートメンバーを務めたり、さまざまなアーティストに楽曲提供したり、テレビアニメ「ピンポン」などで劇伴を担当したりと八面六臂の活躍を見せてきた。今回のインタビューではこの5年間に彼が何を思いながら新作を作ってきたのかを聞きつつ、「職人・牛尾憲輔」と「アーティスト・agraph」のスタンスの違いなどについて自身の考えを語ってもらった。

取材 / 津田大介・橋本尚平 文 / 橋本尚平 撮影 / 梅原渉

リュック・フェラーリから得た“気付き”

──あらゆるメディアの取材で聞かれてる質問だとは思うんですけど、やはりこれは最初に聞いておきたいです。新しいアルバムを出すまでどうして5年もかかったのか教えてください。

牛尾憲輔

このアルバムは前の「equal」っていうアルバムのマスタリングの日から作り始めたんです。でも、ずーっと作ってたんだけど全然よくならなくて。というのも、「equal」の続きみたいになっちゃったんですよ。2年くらいかけて作って一旦ある程度形になったんだけど、「これだったら前作聴けばいいじゃん」って感じだったので捨てちゃいました。で、ちょうどそのタイミングで少し気付きがあって、今の形になるように方向転換してまた作り直したんです。

──気付き……ですか。

2012年に渋谷のUPLINKで、リュック・フェラーリっていう現代音楽家が撮った映画の映画祭をやってて、そのときにずっとリュック・フェラーリの映画を観たり、音楽を聴いたりしてたんです。リュック・フェラーリの代表曲「プレスク・リヤン」は日本語訳すると「ほとんど何もない」っていう意味で、ホントにそこらへんで録ったフィールドレコーディングを重ねただけのミュージックコンクレートなんですけど、それがすごく楽しく聴けるようになったんですよね。僕はその時期ほかに、まったく展開しないような“どミニマルテクノ”とか、あるいは80年代末の日本のCMをサンプリングしたようなヴェイパーウェイブとか、何もない風景がずっと流れるような音楽が好きで。よく考えたら、そういう音楽を聴いてるときにメロディもコードもリズムも何にも聴いてないなと思ったんです。メロディみたいな音楽を構成する要素じゃなくて、世界観というか、雰囲気というか、薪を燃やして上にあがる煙のようなものを楽しんでるんだなって。だから、メロディがこうだから、リズムがこうだからっていうのに縛られない、そうではない聴き方ができる音楽を作りたいなあと思って。

──アルバム全体を通して提示しているのが牛尾さんから見た音の風景──世界観なんだろうなというのは納得です。映画のサントラのようにも聴けたのはそういうことも理由なんじゃないかと。今回表現しようとした世界観とは、実際の風景がイメージできる具体的なものですか? それとももっと抽象的なもの?

すごく抽象的です。……夜中に散歩してたら、だんだん陽が上がってきて影ができ始めて、「ああ、光の物理現象って観測できるんだ」って思ったんですよ。こうやって手を置くと影で手の形がわかるんだな、光がこっちから照ってるとこういう干渉が起こるんだな、って。そんなことを考えて作りました。インストの音楽だから僕もあんまり上手に言葉で言えないんですけど、もう自分にしかわかんないようなすごくポエティックな内容なんです。

──世界観を言葉で表すというのはある意味野暮な行為なので、牛尾さん的には「音を聴いてくれよ」という気持ちもあると思いますけど、もう少し突っ込んで聞かせてください。牛尾さんって電気グルーヴという強烈な個性のユニットのサポートメンバーをやりつつ、本人も明るく面白いキャラクターですよね。なのにagraphとして作っている音楽がこんなに繊細な表現だという部分が興味深いなと。ご自身の中ではどうやってその2つを混在させているんですか? 何か切り替わるスイッチがあるんでしょうか?

この5年間にほかのプロジェクトが増えたんですよ。電気もそうですけど、バンドを始めたり、劇伴をやったり、人のプロデュースや曲提供をしたりとか。agraphをやるときとほかのことをやるときって、2つ大きな違いがあるんです。1つは締切があること。4月からアニメが始まるのに「ちょっと納得できないんで音楽はあと5年待ってください」とは言えないから。あとは「ジャッジする人が僕以外にいる」っていうこと。例えばCharaさんと一緒にやらせてもらうときはCharaさんの判断が必要だし、映画やCMの音楽をやるときは監督の意思が入る。でもagraphってそういうものが一切ないんです。僕以外に誰も何も言わないから、5年かかっても構わない。まあ、よくないけど(笑)。

agraphはフラッグシップだと思う

──そう考えるとagraphっていうのは、アーティスト名というよりはプロジェクト名なんですかね? アーティストとして自ら音を出しているというよりは、プロデューサー目線で自分を含む全体を見ているような。

いやいや、たぶんアーティストなんだと思います。逆にほかの仕事のほうがプロデューサー然としてます。agraphの曲を聴いて劇伴を頼んでくれた監督さんに「agraphみたいなことをやってください」って言われれば、多分やれる。それはプロデューサー的な視点があるから。agraphっていうのはフラッグシップだと思うんです。具体的な話をすると、ほかの仕事をしているときに曲作りの新しい手法を試す時間がなくなったり、アイデアを思いつく暇がなくなったりするんだけど、その役割を一手に引き受ける“アーティスト”が自分の中にいると、結果的にほかの仕事についても広がりと深さが持てるんです。それはagraphの存在意義だと思う。

──なるほど。自分の中でそれだけ特別な存在だから手も抜けないと。

自分の中にはまずagraphがあるので。僕がこの仕事に就いたのは(石野)卓球さんに会ったのがきっかけなんですけど、初めて挨拶したときに「僕は卓球さんのアシスタントやエンジニアになりたいんじゃなくて、ミュージシャン、アーティストになりたいんです」って言い方をしたんです。それは今でも覚えてる。

──自分が感じているものを抽象的に表現したアートって、受け取る側が自由に解釈できたほうが世界観がより広がるものだと思うんです。とはいえ、作り手の皆さんには承認欲求があるわけじゃないですか。自分が作った作品を聴いて人の感情が動いたりするとやっぱりうれしいし。そのあたりはいかがですか。

牛尾憲輔

そうですね。でも僕はアウトプットした段階でけっこう満足してる。前まではあったんですよ。「この音楽で誰かの感情を動かせればいいな」みたいな気持ちが。でも、自分が作りたいものがこの5年間で先鋭化してきたので、あんまり人のことを考えなくなりました。だから作り終わる段階まで誰の声も聞かないし、完成したものがどう売れようが、どう解釈されようが感知しない。agraphは自分がやりたいことをやるプロジェクトになったので。

──その話はすごくわかるんですが、そうなると1つ疑問が出てくるんです。なんで商業アルバムという形式でリリースするのか。本当に「アウトプットできれば満足」だとしたら、YouTubeで公開しちゃってそれで終わりでもいいわけで。

でもまあ、身も蓋もない話をすれば、やりたいことを好きなようにやらせてもらって、それで食えたら幸せですよ。

──つまり、先鋭化したものを形にしてちゃんと世に出すことで、それを続けられる環境を作りたいという部分が牛尾さんの中にあるんですかね。

そう、だと思う。もしそれでスタッフの人もハッピーになれるんだったらそのほうがいいし、音楽のことしか考えない生活がもっと続けられるんだったらそれはうれしいから。

ニューアルバム「the shader」 / 2016年2月3日発売 / 2592円 / BEAT RECORDS / brc-497
ニューアルバム「the shader」
収録曲
  1. reference frame
  2. poly perspective
  3. greyscale
  4. cos^4
  5. toward the pole
  6. asymptote
  7. radial pattern
  8. trace of nothing
  9. div
  10. inversion/91
agraph(アグラフ)
agraph

牛尾憲輔のソロユニット。2003年よりテクニカルエンジニアとして石野卓球、電気グルーヴ、RYUKYUDISKO、DISCO TWINSの音源制作やライブをサポートする。2007年に石野卓球主宰レーベル・platikから発表されたコンピレーションアルバム「GATHERING TRAXX VOL.1」にkensuke ushio名義で参加。2008年12月にagraphとしての初のアルバム「a day, phases」、2010年11月に2ndアルバム「equal」をリリースした。その後、中村弘二(iLL)、フルカワミキ、田渕ひさ子(bloodthirsty butchers, toddle)とともに4人組バンド・LAMAを結成し、2011年8月に1stシングル「Spell」を発表。PUFFY、木村カエラ、Charaなどの楽曲制作などでも活躍し、2014年4月から放送されたテレビアニメ「ピンポン」の劇伴なども手がけた。2016年2月にはagraph名義での5年3カ月ぶりのアルバム「the shader」をリリースした。