ショートアニメ「そばへ」特集 監督・石井俊匡&音楽・牛尾憲輔インタビュー|雨がちょっとだけ好きになる、2分間に込めたこだわり

丸井グループが贈るオリジナルショートアニメ「そばへ」は、同社が企業理念の1つに掲げる「インクルージョン(包摂)」をテーマに、東宝映画事業部と「宝石の国」を手がけたオレンジがタッグを組んで制作した作品。3月にお披露目された本作だが、7月19日に公開されたばかりの映画「天気の子」の上映前にスクリーンで目にした人もいるだろう。「そばへ」が初の監督作品となる石井俊匡は、さまざまなTVアニメの各話演出でコアなアニメファンから注目を集め、細田守監督映画「未来のミライ」の助監督も務めた気鋭のアニメ演出家。雨の降る街を踊るように駆け抜ける妖精の姿に、「リズと青い鳥」「DEVILMAN crybaby」などで知られる牛尾憲輔の音楽が重なり合い、短いながら見ごたえのあるフィルムに仕上がった。

コミックナタリーでは、牛尾曰く「笑顔で譲らない人」だという石井が本作で見せたこだわりと、牛尾ならではの劇伴制作について話を聞いた。2分間の作品なので、まずは映像を観てからインタビューを読んでほしい。

取材・文 / 柳川春香 撮影 / 佐藤類

ショートアニメーション「そばへ」Full Ver.

石井監督は“笑顔で譲らない人”(牛尾)

──石井監督は「僕だけがいない街」12話や「抱かれたい男1位に脅されています。」7話など、TVアニメでも印象的な話数の演出を担当されていたので、初監督作で牛尾さんと組まれると聞いたときから楽しみにしていました(参照:東宝×オレンジ×丸井の新作ショートアニメ、監督は石井俊匡、音楽は牛尾憲輔)。まずはご一緒されることになった経緯からお伺いできますか?

石井俊匡 東宝の武井克弘プロデューサーから「ぜひ音楽をお願いしたい人がいる」とご紹介いただいて。企画段階から音楽が非常に重要な作品になるだろうという話はしていたんですが、自分ももちろん牛尾さんのことは存じ上げていたので、お名前を聞いて「ぜひお願いします」という感じでした。

牛尾憲輔 僕は以前から武井さんとは面識があって、「やろうよ」って新宿のゴールデン街で口説かれたんです(笑)。

──初対面のときはどんなお話をされたんでしょう?

石井俊匡

石井 最初の打ち合わせのときにはもう牛尾さんが明確なアイデアを持ってきてくださったので、コンテ撮(絵コンテをつなげて作った仮映像)を観ながら、すぐ作品の実務的な話をしました。機会があればお酒でも飲めればよかったんですが。

牛尾 お互いちょっと緊張してますよね、今日。

石井 お会いするのはダビング以来ですもんね。

牛尾 監督は、初対面の印象ではすごく優しくて穏やかな雰囲気の方だと思ったんですよ。でもダビングとか、音楽と映像を合わせる作業を一緒にすると、すっごい頑固で(笑)。

石井 ははは(笑)。

牛尾 でも“笑顔で譲らない人”って、作品に向き合う態度としてとても信用できると思うんです。コンテ撮の段階でも強い作家性を持っていらっしゃるのがわかったので、これは信用できる方だなと思いました。

──具体的にはどういうところに作家性の強さを感じられたんですか?

牛尾 バス停のシーンとか、朝日が昇るシーンとか、合間に静かになる場面を挟むじゃないですか。そういうところの挟み方ですね。雨が降り出してだんだん強くなっていって……という律動で作っていったものを、ストンと落としてもう1回上げていく、みたいなことってなかなか勇気が要ると思うんです。あのシーンってやっぱりドキッとしますよね。

──そうですね。セリフや効果音の使い方も含めて、起伏がすごくコントロールされていると感じました。

「そばへ」より。

石井 うれしいです。2分間という短い尺の中でどう割り振ったらいいか、どう変えていったら観る人がドキッとしてくれるかな、というのは考えつつやってみました。

──石井監督がTVアニメで絵コンテ・演出を担当された回を観ていても、ハッとさせられるような演出が多くて。

石井 ありがとうございます。TVシリーズの各話演出の場合は、担当する1話の中で自分のやりたいことを全部やらせてもらって、責任は監督に取ってもらうんですけど(笑)。これまではありがたいことに「やってみれば」って監督が言ってくださることが多かったので、「OKしたよね? じゃあやるよ?」って。

牛尾 すごくわかる(笑)。

石井 でも今回の「そばへ」は、TVシリーズの中で「ほかの話数より面白くしてやろう」っていうようなテンションではなかったので、反骨精神の持って行きどころがなかったっていうのが今までとは違いましたね。「世の中にこれを認めさせてやるぞ!」という気持ちよりは、止めてくれる人がいないぶん「本当にこれでいいのかな」って怖さがありました。

──各話演出だと音楽に細かく携わることもないですよね。

石井 そうですね、普通は監督と音響監督がシリーズ通してまとめているので。今回牛尾さんの音楽は最初から完成度が高くて、「観ているほうは絶対うれしいよね」って思うものが上がってきたので、できあがったあとに「いやー、音楽がちょっとね」みたいなことは絶対言えないなって(笑)。牛尾さんの音楽が、作品を作り上げていく中での大きなステップになってくれたと思います。

「雨」と「インクルージョン」から導き出したコンセプト

──本作は頭と最後にセリフが少し入るものの、おおむね音楽に合わせて物語が展開していくような作りになっていますが、牛尾さんはまずどういうところから音楽を作っていったんでしょうか?

牛尾 僕は今回の丸井さんのテーマの「インクルージョン」が、すごくピンとくるテーマだったんです。僕はコンセプトベースで音楽を作ることが多いので、まず作品の芯になるものが必要なんですが、「そばへ」の場合は構造を「雨」と「インクルージョン」というコンセプトからすぐに導き出すことができて、そのまま貫徹できました。

──コンセプトから構造を導き出すというのは、具体的にはどのように?

ホワイトボードに図解を書き始める牛尾憲輔。

牛尾 「雨」は過去に自分の作品でもテーマにしたことがあるんですが、それは雨の1つひとつの軌跡のような、もっとミクロな視点だったんですね。今回は「インクルージョン」なので、もっと巨視的な視点で考えました。えっと……(立ち上がり、ホワイトボードの前へ)。この雨の1つひとつのしずくが、バイオリンだったりシロフォンだったりピアノだったりになっていて、それが総体になって音楽になっている。その真ん中に内包するべきものがあって、それがメロディである、という状態を作ろうと最初に考えたんです。

──その図で言うと、真ん中にあるメロディは何にあたるんでしょう?

牛尾 なんですかね。街とか人とか、主体のあるものなんじゃないかと思うんですけど。

──そこまでは厳密に決められていないんですね。

牛尾 そうですね。これは僕の個人的な思想なんですが、すべてをコンセプトだけで作るとよくないんですよ。構造を作るところまでは決めてるんですけど、その中にある作家性は残す、そこは曖昧にするというのはすごく大事だと思っています。僕はアート趣味があるんですが、60年代のコンセプチュアルアートにジョセフ・コスースという人がいて、彼の作品って説明するだけで納得してしまうんですね。そのあと90年代に出てきたダミアン・ハーストなどのネオコンセプチュアリズムのアーティストは、コンセプトがありながら作家性と作品性を残す、その塩梅によって作品を作っていくっていう柔軟な発想になってきて面白いんです。僕はその潮流にいる作家だと思っているので、根本的にそういう考え方を支えにしているところはありますね。

──監督は今のお話を聞いていて、共感するところとかは……。

石井 まったくわからなかったです(笑)。でも、例えばTVシリーズの1話を演出するときでも、まずルールを1つ自分で作るようにしているんですよ。そのルールを1話の中で守り切るのか、破るのか。もしそれを破るなら理由が必要です。そのルールがあると、ある程度自分の中でも納得して貫徹できるものになるというのはありますね。

牛尾 すごくわかります。

作品作りに必要な枷

──また、音楽にはセリフを担当した福原遥さんの声も使われていますよね。

雨が苦手な統に、傘をプレゼントする紗友(CV:福原遥)。

牛尾 先ほどの図でいうと、この雨粒の間に福原さんの声が入れられるなと思ったんです。音色の温かさのような抒情的な部分は、絵とか色味からインスピレーションを受けることが多くて、今回は優しい印象にしたかったので、声を入れるなら「ハ」「ヒ」「トゥ」みたいな無声音を使いたかったんですね。かつ雨粒をいっぱい出さなきゃいけないので、リズムに対して遅くなる「ヌ」とか「ム」は避けて、「タ」「ティ」「トゥ」のようなビートがいい音を使いたかった。そのうえで女性の声となると、雨粒の中に埋もれちゃう可能性が強いんですけど、福原さんはキャラクターの優しい感じを保ちながらもちゃんと出てくる声をしていたので、すごく混ぜやすかったです。

──監督に伺いたいのですが、「そばへ」は2分間のショートアニメですし、セリフやストーリーがない、単に妖精が踊っている映像と牛尾さんの音楽だけで成立させることもできたと思うんです。でもキャラクターの設定やストーリーを、映像内で描かれないところまで細かく作られていますよね。それはなぜなんでしょうか?

「そばへ」より。

石井 最初の企画案ではまさに、音楽が流れていて妖精が踊っているだけのものだったんです。でも自分がコンテを書くときに「これじゃ書けないかもしれない」って思って。何かしら理由があってカットが変わっていく、そのために自分の中での理由付けとして足したところが大きいです。考えるときにある程度の足枷があったほうがやりやすいですし。

牛尾 僕がコンセプトから考えるのもそれが理由ですね。カンバスが無限すぎると何もできなくなるので。

石井 今回は短いながらもストーリーがあったことと、2分間の尺という枷があったおかげで、完成まで持っていくことができたと思います。