360 Reality Audio|音が全身を包み込む新たな音楽体験 三浦康嗣はイヤホンズ「記憶」をどう進化させたか? (2/3)

三浦康嗣(□□□)インタビュー

「こんなことできたらいいな」が現実に

──三浦さんが手がけたイヤホンズの「記憶」や「あたしのなかのものがたり」はそもそも2chミックスでも音の空間的な配置をかなり意識した曲なので、360 Reality Audioの醍醐味を満喫できる音源としてはまさにうってつけですよね。

そうですね。マスタリングエンジニアの知人がソニーの360 Reality Audio担当さんと仲がよくて、そのエンジニアが「こういうのがあるんだけど、一緒に行かない?」と乃木坂ソニーミュージックスタジオに誘ってくれたんです。そのときに、今日体験してもらったようなデモを受けて、自分の聴感特性を解析することで音場を個人最適化してもらって……すごくびっくりしたんですよ。そりゃあ専用に作られたスタジオでたくさんのスピーカーに囲まれて聴けばすごいに決まってるんだけど、ヘッドホンで聴いても同じように聞こえたことにびっくりした。最初はスピーカーから鳴っていると思ったんです。

山麓丸スタジオ内の様子。

山麓丸スタジオ内の様子。

──同じく、驚きました。「手違いでスピーカーが鳴っているのかな?」とヘッドホンを外してみたら、外は無音で、ちゃんとヘッドホンから鳴っていた。

近い将来、一般の方々ももっと手軽にデモを受けられるようになるかもしれないし、ヘッドホンの性能ももっと上がるかもしれない。3年も経てばこのレベルのリスニング体験が一般化する可能性があるなと思いました。デジタルの技術はマジで日進月歩で、15年前にiPhoneが出る前はみんなこうやって携帯電話で音楽を聴いてなかったわけですよね。「こんなことできたらいいな」という、僕らが小学生の頃に読んでいた「ドラえもん」のようなことが本当に起こっている。そのエンジニアが声をかけてくれたのも、きっと僕なら興味を持つだろうなと思ったんでしょうね。360 Reality Audioを使って過去の曲を面白く作り直せる、360 Reality Audioありきで新しい曲を作れそうな人を探してたんだろうなと。

──このシステムを作ったからには、これをフル活用してくれそうなアーティストを探しますよね。アーティスト目線で、やはり可能性を感じましたか?

音楽の在り方がだいぶ変わるだろうなというワクワクがありました。そもそも「記憶」は2ミックスの前提で作ってなかったんだな、と360 Reality Audioを体験してみて気が付いたというか。足りないなと思っていたんです、音のキャンパスの枠が。逆に「あたしのなかのものがたり」は2ミックスの音の狭さを、3Dではなく劇画にデフォルメして落とし込むような意識で作っているんです。だから右、左、真ん中とシンプルに配置している。「ドラゴンクエスト」型か「ファイナルファンタジー」型かの違いというのか……「ドラクエ」は戦闘画面で自分が見えないですよね。あれはVR的な考え方で。「FF」は主人公である自分も俯瞰で見える。「記憶」はドラクエ型の作り方で、「あたしのなかのものがたり」はFF型の作り方をしているんですね。自分と同化するのか、歌っている人たちを眺めているかの違い。

──なるほど。

そう考えたときに「記憶」は360 Reality Audioに向いてるんじゃないかと。その話をキングレコードのスタッフやエンジニアと共有して、この360 Reality Audioバージョンの「記憶」を試しに作ってみたんです。「何はともあれ体験してきてくれ」とキングのスタッフにも360 Reality Audioのスタジオに行ってきてもらったんですけど、反応はあまり芳しくなかった(笑)。「音が動いたからどうなの?」みたいな。今は2チャンネルでも位相を広げたり自由に動かせたりするし、「で?」と思う気持ちもわかるんです。映画館のドルビーシステムは映像に対しての臨場感を構築するものだけど、それはあくまで映像が主で、音は従ですよね。それとどう違うんだ?というのが彼らの感想だったけど、イヤホンズの音楽はこの360 Reality Audioで表現することにすごく意味があるんだ、と熱弁して……僕はキングレコードの人間でもなんでもないんだけど(笑)。まずは「記憶」を試しに作ってみることになったんです。

三浦康嗣(□□□)

三浦康嗣(□□□)

リアルの追求だけではない、360 Reality Audioだからこそできる表現

──360 Reality Audioを有効活用しようと考えたとき、例えば目の前で声や音が鳴っているようなリアリティをとことん追求する、というのが1つありますよね。イヤホンズの音楽にも使われている環境音、フィールドレコーディング素材を臨場感たっぷりに鳴らすという。

そうですね。例えばチャリンと落としたコインがコロコロ転がっていくとか、そういう音も上下の表現ができるからリアルに再現できる。ドアの向こうのこもった音が、ドアに近付いて開けると急にクリアになるとか、そういう移動距離も表現できるし、いろんな可能性があると思いますけど、どうしても「現実の音を落とし込む」みたいな発想になってしまいがちですよね。でも「2チャンネルのステレオを360°に広げました」というだけではない、360 Reality Audioだからこそできる表現があると思うんですよ。360 Reality Audioありきで新しい音楽を作るなら、言うなれば「2ミックスに落としたら全然面白くない音楽」を作るべきだなと思っていて。

──リアルを追求することもできれば、まったくあり得ない音空間を表現することもできる。「記憶」の特に終盤には後者の表現をすごく感じたんですよ。混沌として、ある意味バカげた空間だなと。

そうそう、夢の中のおかしさというか。音楽における「リアルな音」って考えると難しくて……例えばライブの音は会場の大きさや編成によって違うし、究極は「目の前で楽器奏者が演奏している音」なのかもしれないけど、ほとんどのポップミュージックで鳴っているドラムキットという楽器は目の前で聴くと我々が音源やライブで聴くドラムの音色と全然違うし、そもそもうるさくて聴けたものじゃないんですよ。結局は2ミックスのPAを通した音だと考えると、演奏におけるリアルって難しいんですよね。ホールで演奏されるクラシックの生音ならわかるんですけど、オーディオマニアが言う「まるでライブを聴いているかのような音」というのもよくわからなくて。

──確かに。

それは「レコーダーを通ってない音」という意味なのか、であればライブだと回線の引き回しが長くなるからレコーディングのほうがよい部分もあるよなとも思うし……。モノラルからステレオに変わった時代にも喧々諤々あって、「ステレオなんて邪道だ」とフィル・スペクターのようにモノラルの音像を追求した人もいて。360 Reality Audioも「ステレオでいいじゃん」と感じる人もいると思うんですけど、そうやって歴史は変わってきたし、本当に3年後、5年後には「360 Reality Audioじゃないんだ?」みたいなことになっているかもしれない。「新しいものがイケてる」とかじゃなく、自分は単純にすごくワクワクした、というのが大きいですね。

──レコードの世界ではモノラルからステレオに進化したあと、4チャンネルステレオが開発されましたけど、再生するハードやレコード針が製造終了して短命に終わりました。そういう意味では「手軽に扱えるかどうか」も重要だと思うんですけど、360 Reality Audioは市販のヘッドホン、イヤホンで再生できる点にすごく可能性を感じました。

そうなんですよ。日本の住環境で、大きな音で音楽を聴ける人は限られていて。このスタジオのようにたくさんスピーカーを組んで、大きい音で聴かないと楽しめないようだと普及はしないと思うけど、ヘッドホンでもスピーカーと聴き違えるくらいリアルに体験できる。僕、ヘッドホンは音が近すぎてあまり好きじゃないんですけど、こんなに広い空間を感じられるのはすごいですよね。