360 Reality Audio|音が全身を包み込む新たな音楽体験 三浦康嗣はイヤホンズ「記憶」をどう進化させたか?

イヤホンズの楽曲「あたしのなかのものがたり」および昨年3月に発売された最新作「identity」の収録曲3曲が、「360 Reality Audio」バージョンとなって1月28日に配信される。

「360 Reality Audio(サンロクマル・リアリティオーディオ)」はソニーの360立体音響技術を使った新しい音楽体験。360°全方位から音が降り注ぐような、これまでにないリスニング体験が可能だ。こう聞くと「特別なオーディオシステムが必要なのでは?」と考えてしまう人も多いかもしれないが、360 Reality Audio対応楽曲はAmazon Music Unlimitedなどの配信サイトでリリースされており、市販のイヤホンやヘッドホンでもその立体的な音像を楽しむことができる。

百聞は“一聴”にしかず。この360 Reality Audioがどのように作られ、どのような楽しみ方ができるのかを確認すべく、360 Reality Audioサウンドの制作を行う東京・南青山の山麓丸(サンロクマル)スタジオを訪問。昨年12月にイヤホンズの楽曲「記憶」でいち早く360 Reality Audioミックスを体験した□□□の三浦康嗣にも同席してもらい、「記憶」のミックスで感じたこと、360 Reality Audioによる音楽表現の可能性について語ってもらった。

取材・文・撮影 / 臼杵成晃

360°の音空間がもたらすアーティストのクリエイティビティ

ソニーが新たに開発した立体的な音場を実現する音楽体験「360 Reality Audio」。文字通り音響を立体的に楽しむことができるのだが、これはどのようなものなのか。

アメリカの発明家、トーマス・エジソンが最初の蓄音機を開発したのは1877年。そこから録音された音楽をエンタメコンテンツとして楽しむという文化へとつながっていくが、当初は1つの音声信号のみを再生するモノフォニック再生──モノラルが主流だった。対するステレオフォニック──ステレオは左右2つの音声信号を発信する再生方法で、ヘッドホンやイヤホン、PCやスマートフォンに内蔵されたスピーカーなど、今の生活でも当たり前に触れているスタイルだ。左右2つの音を結ぶ空間の中で立体的な音場を作ることができるようになったことで、音楽は大きな発展を遂げた。アーティストと技術者のあくなき探究心が音楽のイマジネーションを大きく拡張させたことは、歴史に残る数々の名盤が物語っている。

左右2つのスピーカーあるいはイヤホン、ヘッドホンで聴くステレオ音響のリスニングスタイルは20世紀から変わらぬものだが、アナログレコードの時代、1960年代後半から1970年代にかけては4チャンネルステレオ(RM、SQ、CD-4、QS、UD-4など)が開発された。また、映画の世界で発展したドルビーサラウンドは「リアルな立体音響」として特に馴染み深いものだろう。例えばドルビーサラウンドの5.1chであれば、前面のスピーカーが左右と中央の3つ、後方スピーカーが左右2つ、さらに低音を担うサブウーファーという仕組み。多方向に音を振り分けることによって、音の“距離”をリアルに感じることができる。映画館という箱型の空間を前提に開発されたドルビーサラウンドに対し、360 Reality Audioはどういう仕組みなのか?

「360 Reality Audio」スピーカーでの視聴イメージ。

「360 Reality Audio」スピーカーでの視聴イメージ。

360 Reality Audioは文字通り360°全方位から音が降り注ぐ、これまでにない音楽体験。リスナーの周りに球体状の空間があり、そのあちこちから音が聞こえてくるようなイメージだ。アーティストとアレンジャー、エンジニアがプラグインソフトを操作して、球状のインターフェイスに自由に音を配置していく。

今回の取材にあたり訪れた東京・南青山の山麓丸スタジオには、この立体音響コンテンツを再生するスピーカーが13基設置されていた。しかし、360 Reality Audioで驚かされるのは、この立体音響が市販のヘッドホンやイヤホンでも体感できるところ。取材時、13基のスピーカーで試聴音源を聴かせてもらったのち、筆者の耳画像から聴感特性を解析し音場を個人に最適化した状態で同じ音源をヘッドホンで聴かせてもらったのだが、最初は「何かのトラブルでスピーカーから音が鳴っているのかな?」と感じ、ヘッドホンを外してみたが、音は間違いなくヘッドホンから鳴っている。大げさに感じるかもしれないが、このスタジオで試聴体験をした人は皆同じような感覚に陥ってしまうようで、今回インタビューした□□□の三浦康嗣も同様の感覚を味わったという。

山麓丸スタジオ内。前面に9基、背面に4基のスピーカーが並んでいる。

山麓丸スタジオ内。前面に9基、背面に4基のスピーカーが並んでいる。

2チャンネルのステレオ音源では表現しにくい上下、前後の音配置はもちろん、「左斜め少し下」「ちょうど頭の真上あたり」など細かいニュアンスが360 Reality Audioでは表現可能となった。これは「よりリアルな音響」を追求するのみならず、「現実世界ではあり得ない音響空間」を作り出すこともできるのではないか。アーティストの実験性、クリエイティビティを刺激するシステムかもしれない。その思いは試聴体験の最後に聴かせてもらったイヤホンズ「記憶」の360 Reality Audioバージョンを聴いてさらに強まった。「記憶」は信号機の音、打ち上がる花火、祭囃子、歩行音などなどフィールドレコーディングされたさまざまな音が音階やメロディを構成するフレーズとして鳴らされている実験的な楽曲だが、360 Reality Audioバージョンではそれらの音色が360°の空間に鳴り響く。さらにクライマックスでは、まるで夢を見ているかのような混沌とした世界に引きずり込まれるような感覚に。過剰な音の洪水に思わず笑ってしまったが、この360 Reality Audioの球体空間の中を自由に飛び回るアーティストが近い将来現れるだろう、と感じた。

360 Reality Audio認定ヘッドホン / イヤホンを使用する場合、専用のアプリ「Sony | Headphones Connect」や「Audio-Technica|Connect」でリスナー個人の聴感特性に音場を最適化することが可能だ。ソニーの360 Reality Audio認定ヘッドホン / イヤホンの情報はこちらのページで確認を。オーディオテクニカの「360 Reality Audio」認定ヘッドホンは現在ATH-CKS50TWとATH-HL7BTの2種が販売されている。

「360 Reality Audio」ヘッドホンでの視聴イメージ。

「360 Reality Audio」ヘッドホンでの視聴イメージ。

360 Reality Audioの楽曲は、Amazon Music Unlimited(※1)、360 by Deezer、nugs.net(※2)といったストリーミングサービスで配信中。邦楽は、大滝詠一の名盤「A LONG VACATION」をはじめ、YOASOBI、milet、鬼頭明里、Little Glee Monsterなどさまざまなアーティストの楽曲がラインナップされている。イヤホンズの楽曲は先行して配信されていた「記憶」に続き、2021年9月にリリースされた最新作「identity」収録の3曲、さらに「記憶」と同じく三浦が手がけた2018年の楽曲「あたしのなかのものがたり」が、1月28日より配信開始となる。声に特化した声優を本業に持つ高野麻里佳、高橋李依、長久友紀によるユニット・イヤホンズ。彼女たちがこれまでリリースしてきた聴覚を刺激する実験精神旺盛な楽曲の数々は、360 Reality Audioにうってつけと言えるだろう。次項では実際に360 Reality Audioのサウンドメイキングを体験した三浦康嗣に、「記憶」の360 Reality Audioバージョン制作の話題を軸に、この新しい音空間の可能性をたっぷりと語ってもらった。

※1 Amazon Music Unlimitedは個人最適化機能はサポートされていません。
※2 nugs.netは英語ページ、洋楽の配信のみ。