消えた親友が残した秘密とは…岸井ゆきの×浜辺美波が共演、中川龍太郎の監督作「やがて海へと届く」をイラストとレビューで紐解く

岸井ゆきのが主演を務め、浜辺美波が共演した「やがて海へと届く」が4月1日に公開される。

彩瀬まるの同名小説を、「わたしは光をにぎっている」「静かな雨」の中川龍太郎が映画化した本作。親友・すみれの不在を5年経っても受け入れられずにいる真奈を岸井、ビデオカメラに秘密を残しいなくなってしまったすみれを浜辺が演じた。劇中では、すみれが最後に旅した地へと向かう真奈の姿が描かれる。

この特集では、バラエティ番組「キョコロヒー」で知られるタテノカズヒロにイラストを描き下ろしてもらった。さらに映画評論家の轟夕起夫、映画ライターの渡邉ひかるによるレビューで「やがて海へと届く」の魅力を紹介する。2ページ目には同作をひと足早く鑑賞したスタジオジブリの鈴木敏夫、EXILE HIRO、齊藤工、長濱ねるといった著名人の感想を掲載!

文 / 轟夕起夫、渡邉ひかる(レビュー)イラスト / タテノカズヒロ

タテノカズヒロがイラストを描き下ろし

タテノカズヒロが描き下ろした「やがて海へと届く」のイラスト。

タテノカズヒロが描き下ろした「やがて海へと届く」のイラスト。

プロフィール

タテノカズヒロ

イラストレーター・マンガ家。著作に「コサインなんて人生に関係ないと思った人のための数学のはなし」などがある。テレビ朝日のバラエティ番組「キョコロヒー」でイラストを担当中。

轟夕起夫 レビュー

“痕跡を辿る旅”が観る者を酩酊状態へと誘ってゆく

中川龍太郎監督は、喩えて言うならば“アルコール濃度”の高い作品を醸造するシネアストだ。その澄んだ映像と繊細に紡がれる物語は、原料(題材)に応じて特有の芳香を放ち、観ていくうちに、あれよあれよと人を酔わせる。そして場合によっては酩酊感で固く閉じていた心をほぐし、奥のほうにしまってあったセンシティブな出来事を浮上させてしまう。

今度の新作「やがて海へと届く」もそうだった。ある日突然、親友がいなくなるのであるが、筆者は中学2年のときに、地元の海での不慮の事故で“向こう側”へと行ってしまったY君の記憶が蘇り、面影を偲んだ……。

が、無論のこと、この映画はそれとは諸般の事情が違う。まずスタート地点は大学に入ってすぐ。真奈(岸井ゆきの)とすみれ(浜辺美波)が出会い、互いに欠けた部分を補い合うように惹かれる。真奈の部屋にすみれが転がり込んで、約1年ほど共同生活もする。

「やがて海へと届く」

「やがて海へと届く」

対人関係が苦手な真奈だが、すみれは相手との周波数を合わせ、チューニングをして誰とでも話せて仲良くなれるタイプ。しかし彼女は旅先の高台で、「手にしていると落ち着く」というビデオカメラを抱えながら、「私たちには、世界の片面しか見えてないと思うんだよね」などと意味深な言葉を口にし、まさに自身のアナザーサイドを真奈の前で露呈させる。

「やがて海へと届く」

「やがて海へと届く」

ちなみにビデオカメラの存在は、彩瀬まるの原作小説にはなく、中川監督の脚色で、これが本作の“アルコール濃度”をぐっと上げている。つまり、最終的にすみれは独りっきりで旅に出て、真奈のもとから姿を忽然と消してしまうのだが、時が経っても撮影者としてずーっと、彼女の眼差しや息遣いさえまでがそこに生々しく表れ続けているのだ。失踪してから5年後、親友の死を受け入れられず、「もしかしたら戻ってくるかも」とまだ心のどこかで感じている真奈は、すみれの恋人・遠野(杉野遥亮)から残されたビデオカメラを受け取って“痕跡を辿る旅”に踏み出し、そうして観る者をさらなる酩酊状態へと誘ってゆく。

「やがて海へと届く」

「やがて海へと届く」

ところで、しかしだ! ここまで読み進めて、疑問が生じた方々も多いだろう。すなわち、「なぜビデオカメラなのか? どうしてスマホではないのか?」と。どうか、その謎を考えつつ、岸井ゆきのと浜辺美波の素晴らしいマッチングに身を委ねることをぜひオススメする。「澄んだ映像と繊細に紡がれる物語」ばかりが、中川監督の作家性ではない。登場人物の背景には(思わず酔いを覚ますような)シビアな現実が横たわっており、それをいかに受容し、格闘して乗り越えていくかが常に描かれているのであった。この、一種集大成的な「やがて海へと届く」にも──。

渡邉ひかる レビュー

相手との記憶が失われていく時間の中にあるのは
悲しみだけではないのかもしれない

私のことを分かった気になどならないで。物語の中心にいる親友同士の女性、真奈とすみれだけでなく、登場人物が全員、そんな心の叫びを秘めているようにも感じられる作品だった。時間軸を行き来しながら、いろいろな側面を少しずつ映し出していく構成にもよるのだろう。彩瀬まるの同名小説を原作にしたストーリー自体は至ってシンプルで、真奈の前からすみれが忽然と姿を消す。その喪失感に苛まれながら、真奈は人生の歩みを進めざるを得なくなる。そんなことなど不可能だと思える日もあれば、わりと容易に感じる日も訪れ始める。

「やがて海へと届く」

「やがて海へと届く」

と、ここまではあくまで、真奈に寄り添った視点だ。岸井ゆきのが繊細に、脆さの中にどこか力強さを感じさせながら演じる真奈の心の旅はゆっくりとついていきたくなるもので、過度にドラマティックな描写はない。続く日常の中で真奈はすみれ以外の人間の死にも直面するし、真奈と同様、ある日突然大切な人を失った者たちが登場する場面も。「走れ、絶望に追いつかれない速さで」や「四月の永い夢」でも身近な死を見つめてきた中川龍太郎監督が人生における喪失を、やはり他人事ではないものとして真摯に描いていく。

「やがて海へと届く」

「やがて海へと届く」

そしてごく当然のように、真奈にとっての失われたピースであるすみれにも物語は寄り添っていく。浜辺美波演じるすみれにあるのは、凛とした美しさと人好きのするキュートさと、相反する“分からなさ”。迷いなく歩いているように見えて、迷いだらけにも思えるすみれの行動、とりわけ真奈に対する友愛がミステリーの軸としても機能し、人間の心地よい複雑さを感じさせる。実写の手触りから一旦離れ、ある状況に置かれたすみれを美しいアニメーション映像で表現しているのも独特ながら効果的だ。

「やがて海へと届く」

「やがて海へと届く」

とは言え、ミステリーに明快な答えはない。2人の間に漂う香りからは危うさすら感じられるものの、無粋にひもとこうものならそれこそすみれにも、真奈にも「私のことを分かった気になどならないで」と一蹴されそうだ。自分が知る相手はもしかしたら相手の一部でしかないのかもしれず、それ以外の面を知ろうとすることは理にかなっている。けれど、自分を支えるのが相手の一面であったのなら、それを大切にするのも悪くはないのかもしれない。そんな心の余地も、この優しい作品世界は残してくれる。それと同じように、誰かを実際に失うことには悲しみしかないが、相手との記憶が失われていく時間の中にあるのは悲しみだけではないのかもしれない。すべてを包み込むようなラストが、人間と人生の不完全さ、曖昧さをまるごと受け入れさせてくれる。