「迫り来る嵐」|猟奇殺人に取り憑かれた男の宿命、気鋭監督ドン・ユエが歩んだ中国激動の11年間!柳下毅一郎によるレビューも掲載

2017年、第30回東京国際映画祭で1本の中国映画が話題を呼んだ。新人監督の長編デビュー作にして最優秀男優賞と最優秀芸術貢献賞の2冠に輝いた「迫り来る嵐」だ。連続猟奇殺人事件の捜査に取り憑かれた男の運命と愛の行方を描いた本作が、受賞から1年以上の時を経て、1月5日より全国で順次公開される。

物語の舞台は1997年、女性のみを狙った殺人事件が発生した中国の小さな町。ドアン・イーホン演じる主人公ユィは、工場警備員でありながら、刑事気取りで捜査に首を突っ込み始める。映画ナタリーでは、本作の注目ポイントを解説するコラムや監督ドン・ユエのインタビューなどを展開。さらに映画評論家・柳下毅一郎によるレビューと試写会の参加者から寄せられたコメントも掲載する。

文 / 柳下毅一郎(レビュー)、奥富敏晴(P1)

「迫り来る嵐」を読み解け!鑑賞前に知りたい4つのポイント

1 猟奇殺人への異様な執着

  • 「迫り来る嵐」より、ドアン・イーホン演じるユィ・グオウェイ(右)。
  • 「迫り来る嵐」

新たな死体が発見されるたび、事件に執着していくユィ。恋人が犠牲者と似ていることに気付いた彼は、非情なおとり捜査にまで手を出してしまう。最初は単純な好奇心から捜査を進めていたユィだが、なぜこれほどまで事件にのめり込んでいくのか。そこには工場で“名探偵”とおだてられ、国家公務員への出世も夢見る彼の野望が見え隠れする。しかしその裏には、彼の倒錯的な愛も潜んでいた。女性の惨死体に向けられるユィのまなざしと、決して恋人に触れようとしない謎めいた態度に注目してほしい。監督のドン・ユエは影響を受けた作品としてアルフレッド・ヒッチコック「めまい」、フランシス・フォード・コッポラ「カンバセーション…盗聴…」を挙げており、この2作はユィの心情を読み解く鍵にもなっている。

2 香港返還と北京オリンピック

  • 「迫り来る嵐」より、ジャン・イーイェン演じるイェンズ。
  • 「迫り来る嵐」

映画は、白髪交じりの年老いたユィが役所で手続きを受けるシーンから始まる。時は2008年、中国が国家の威信をかけた北京オリンピックに沸き、世界中から注目を浴びた記念すべき年だ。自分の名前を「余分の余、国家の国、偉大の偉」と説明するユィは、時代の片隅で1997年を回顧していく。当時、中国はイギリスからの香港返還に揺れていた。ユィの恋人イェンズは「今後は香港へ簡単に行けると思う?」と自由を象徴する香港に淡い期待を抱きながら未来を見据える。一方のユィは、事件に固執し時代に取り残されていく。返還という歴史の転換点を香港市民の立場で描いた映画は多くあれど、中国本土に住む庶民の視点から捉えた映画は数少ない。激動の11年間を歩んだ中国。社会と無縁ではいられない人々の精神性の移り変わりも見逃せない。

3 そびえ立つ巨大工場と雨

  • 「迫り来る嵐」
  • 「迫り来る嵐」

本作のロケーションには、かつて中国湖南省で実際に稼働していた工場が選ばれた。監督ドン・ユエが「工場はモンスターである」と語るように、工場の出口に人々が大挙する様子は、人間をのみ込んでは吐き出す生き物のよう。模範工員として表彰を受けたユィだったが、その記憶は彼の存在価値をも揺るがしてしまう。湖南省が選ばれたのは、冬場に雨が多いという理由も。ほとんどのシーンで雨が降りしきり、映画には陰鬱なムードが充満している。ぬかるんだ泥道、工員の着る黒光りしたレインコート、そして異様な存在感を放つ工場。複雑に入り組んだ製鋼所と隣接する操車場でのチェイスアクションも必見だ。撮影で使われた工場はすでに取り壊され、現在はショッピングモールに様変わりしているという。労働者たちが支え、一時代の繁栄を築いた国営工場は中国社会の大きなうねりの中心にある。

4 中国映画界が期待する新星

  • ドン・ユエ
  • 「迫り来る嵐」

監督はチェン・カイコー、チャン・イーモウ、ジャ・ジャンクーら名だたる監督を輩出した名門・北京電影学院出身のドン・ユエだ。天安門事件を青少年期に経験した1976年生まれであり、第六世代に次ぐ新世代と言える。その後、広告系の映像監督として働きながら本作の脚本に着手した。新人監督ゆえ、最初は資金集めやキャスティングにも苦労を要したが、脚本は「これまでの中国になかった作品」と大評判。第一線で活躍する人気俳優ドアン・イーホンの主演も決まった。ワールドプレミアとなった東京国際映画祭での2冠を皮切りに、第12回アジア・フィルム・アワードで最優秀新人監督賞、第26回上海映画批評家協会賞で新人脚本賞、第55回金馬奨で国際批評家連盟賞を獲得。その才能は国内外で高い評価を受けており、今もっとも注目すべき若手監督の1人だ。

ドン・ユエ監督インタビュー
描きたいのは中国の現代社会と思想

ドン・ユエ

──製作の経緯を教えてください。

あらすじは2013年から考えていました。具体的なきっかけは新人監督の座談会で今の製作会社と知り合ったこと。2015年に映画化の手はずが整い、それから脚本作業に取り掛かりました。第1稿が完成したのは、2015年末。脚本作業では微調整と、時には大胆に変えることを重視し、1年かけて磨きをかけました。

──キャスティングはどのように?

お金集めには苦労しましたが、脚本を評価してくれた方々もいました。特にドアン・イーホンのような著名な俳優と仕事ができるとは考えていませんでした。しかしプロデューサーが脚本を送ってみると、彼からも積極的なアプローチがあった。実は2000年頃、彼の出演する舞台を観たことがありました。そのときは彼もほとんど無名でしたが、能力の高い特筆すべき俳優だと感じました。いつか国際的な場で評価される人であると。こうして一緒に映画を作れたことが信じられません。そして2017年3月にクランクインしました。

──撮影現場で苦労したことを教えてください。

「迫り来る嵐」メイキング写真

こういった雰囲気の作品が中国で作られることはほとんどありません。私たちも完成までたどり着けるかわかりませんでした。現場でも自分たちの想像をかけ離れた問題が起こり、1つひとつ解決していくしか対処のしようはなかったのです。内容のせいか、撮影も後半になるとスタッフは陰陰滅滅としてきます。私のプレッシャーも大きく、現場をコントロールすることには苦労しました。演出面で難しかったのは、理髪店におけるユィとイェンズのシーン。役者の動きを効果的に見せることに苦心しました。

──映画は1997年と2008年、2つの時代を舞台としています。

「迫り来る嵐」

もともと自分は歴史の変遷と、それが及ぼす影響に興味を惹かれていました。香港が返還された1997年は中国にとっても重要な転換点。それ以前と以後では、人々の生活様式、思想が異なります。2008年も同じく、それ以降大きく変わった。この2つの時代を切り口にすることで、中国社会の変遷が見えてくると思いました。

──ジャン・イーイェン演じるユィの恋人イェンズの造形も特徴的です。

イェンズは1つの権力や土地、何にも縛られないで生きる女性です。香港に行けるようになるかもしれないという未来を見つめている。そういう女性が、過去にとらわれた男性と出会ってしまったのです。

──ラスト近く、ユィが工場の掃除夫と会話するシーンが印象深いです。

「迫り来る嵐」

自分の美しい過去や栄光を他人からすべて否定される、もしくは忘れ去られている。あのシーンがあることで、ユィの存在すらも疑わしくなってしまうのです。ある世代の人々は過去にしか生きられない。この作品では彼らの失敗者としての受難を描きたかったのです。

──アルフレッド・ヒッチコックの「めまい」、フランシス・フォード・コッポラの「カンバセーション…盗聴…」からの影響を公言されています。

この2本は、技術面ではなく映画の精神性に影響しています。キャラクターの内面、その真相をいかに掘り下げるか。映画で大事なのはその部分だと考えています。

──ありがとうございます。続いては監督ご自身のお話を聞かせてください。映画の道に進んだきっかけは?

ドン・ユエ

高校生の頃から映画を作りたいと思っていました。しかし、その頃はまだ自分と映画の距離は遠いものでした。その後、北京電影学院で学び卒業しましたが、映画の仕事には就かなかった。まだ距離を感じていたのです。でもいつかは、とずっと考えていました。その感情は拭いきれませんでした。そして2003年にもう一度、北京電影学院に研究生として戻り、古典的な映画技法を学び直しました。そのときに、やっと少し距離が近くなった気がしたのです。しかし卒業後も、映画を撮るチャンスはなかった。2010年頃が精神的にもっともつらかったですね。それでもあきらめきれず、自分だけで撮れる範囲の脚本を書きました。その脚本が評価され、今に至ります。

──好きな映画や映画監督は?

もちろん数えきれないほど。北京電影学院にいた頃は古典的な作品もたくさん観ました。日本人だと黒澤明、小津安二郎、山田洋次、今村昌平。最近では是枝裕和さんの映画も拝見しています。中学生の頃に観て印象に残っているのは、吉永小百合さんが主演された「つる―鶴―」。日本映画はオリジナリティが強い。ある時期の中国映画は、日本映画から題材を探してきたものがほとんどでした。映画以外では川端康成や村上春樹の小説は学生時代に読んでいます。

──今や興行成績でアメリカを抜く勢いの中国映画界の現状について教えてください。

もちろんそれは肌で感じています。成績だけ見ると、毎年新たな映画が記録を塗り替えている。今後さらに中国映画界も活気づき、新人監督にチャンスが与えられていくと思います。

──次回作の予定や今後の目標はありますか?

今のところはまだ決まっていません。でも撮りたいテーマはあります。そこでも中国の現代社会や、中国人の思想を描ければと考えています。

「迫り来る嵐」
2019年1月5日(土)全国ロードショー
ストーリー

1997年、中国の小さな町。古い国営製鋼所で警備員として働くユィ・グオウェイは、若い女性だけを狙った連続猟奇殺人事件の捜査に、刑事気取りで首を突っ込み始める。警部から捜査情報を手に入れたユィは、自ら犯人を捕まえようと奔走し、死体が発見されるたびに事件へと執着していく。 ある日、恋人のイェンズが犠牲者に似ていることを知ったユィの行動によって、事態は思わぬ方向へ。ユィを待ち受ける想像を絶する運命とは。

スタッフ / キャスト

監督・脚本:ドン・ユエ

出演:ドアン・イーホン、ジャン・イーイェン、トゥ・ユアン、チェン・ウェイ、チェン・チュウイー、リウ・タオほか