文 / 柳下毅一郎
冒頭、名前の漢字を聞かれた主人公は答える。「余分の余、国家の国、偉大の偉」。偉大なる国家において余分な存在。それが余国偉、ユィ・グオウェイという男なのである。1997年、巨大工場の城下町のような田舎町は、急速な発展のさなかにある。立て込んだ団地と未開発の荒れ地、毒々しいネオンばかりが目立つ歓楽街。それは昭和40年代くらいの日本でもよく見られた風景かもしれない。目まぐるしい成長の中で、のしあがっていく者もあれば、過去に取り残されてしまう者もある。「名探偵ユィ」とおだてられているユィだが、実際には一介の工場の警備員に過ぎない。おりしも女性ばかりを狙った連続殺人事件が発生するといの一番に駆け付け、捜査に加わろうとするのだが、もちろん警察からは相手にされない。プロフェッショナルな警察からは、彼は単なる野次馬、無害だがうるさい犯罪マニア程度の存在なのである。だが、この事件を解決すれば、彼は本当の警察にもなれるかもしれない……。
ユィは常に宙ぶらりんの存在だ。警察でもなく一般人でもない。工場では尊敬されていても、警察に行けば余計者だ。殺人事件に魅せられて、やがて彼は工場都市のアンダーワールド、売春婦や後ろ暗い男たちの世界に入り込んでいく。あたかも本当の警察になったかのようなスリル。ユィは都市の迷宮にさまよいこみ、いつしか道を見失ってしまう。自分自身が迷子になってしまうのだ。
「迫り来る嵐」は闇の映画である。昼間はいつも曇り、篠突く雨が降り落ちて、太陽が出ることはめったにない。死体が打ち捨てられる荒涼たる野原。夜の街で、闇に魅せられた男は、影を抱いた女と出会う。その出会いは決して実を結ぶことはないだろう。闇を求めれば求めるほどに、男は自分自身の危うい存在に向き合わなければならないからである。世界の闇を見つめているうちに、自分自身の中にも闇があることに気付く。ある日気付くのだ。自分はどこまでもこの世界には居場所のないはみ出し者であり、最初から壊れていたのだと。
フィルムノワールは都市の映画である。主人公は事件の謎を追ううちに、それまで踏み入れたことのなかった場所、都会のはらわたへ足を向け、知らなかった真実に目を開かれる。事件を解くとは世界の謎を解くことなのであり、事件に迷うのは世界の中で道を失うことだ。だからフィルムノワール的な想像力は、常に都市文化の中に花咲くのだ。それを思うと、最近中国語圏でフィルムノワールの秀作が目立つのは、中国社会の成熟について多くを語るものなのかもしれない。
- 「迫り来る嵐」
- 2019年1月5日(土)全国ロードショー
- ストーリー
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1997年、中国の小さな町。古い国営製鋼所で警備員として働くユィ・グオウェイは、若い女性だけを狙った連続猟奇殺人事件の捜査に、刑事気取りで首を突っ込み始める。警部から捜査情報を手に入れたユィは、自ら犯人を捕まえようと奔走し、死体が発見されるたびに事件へと執着していく。 ある日、恋人のイェンズが犠牲者に似ていることを知ったユィの行動によって、事態は思わぬ方向へ。ユィを待ち受ける想像を絶する運命とは。
- スタッフ / キャスト
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監督・脚本:ドン・ユエ
出演:ドアン・イーホン、ジャン・イーイェン、トゥ・ユアン、チェン・ウェイ、チェン・チュウイー、リウ・タオほか
©2017 Century Fortune Pictures Corporation Limited
- 柳下毅一郎(ヤナシタキイチロウ)
- 1963年12月30日生まれ、大阪府出身。特殊翻訳家、映画評論家。タグマ!でWebマガジン「柳下毅一郎の皆殺し映画通信」を連載中。著書に「興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史」、連載をまとめた「皆殺し映画通信」シリーズなどがある。そのほか翻訳書も多数。
中国の歴史的文化を取り入れたアジア版「セブン」であり、何度でも見返したくなる傑作。
───Tom(男性 / 20代)
ずっと降り続ける雨と灰色の背景が頭に残った。サスペンスと思って犯人探しの視点で観ていると、思わぬ展開に連れて行かれた。
───まめ(女性 / 20代)
真実を知りたいという好奇心に取り憑かれた男。観ている私たちもまた知りたいという気持ちを駆り立てられる。陰鬱とした雨音、湿気に紛れてすり抜けていく真実。丁寧な演出に翻弄されました。
───まきこ(女性 / 40代)
重低音の効果音、見えない容疑者(怖い!)が主人公のようにずるずるとはまっていく感じがすごかったです。最後の締めくくりも衝撃的でしばし呆然としました。
───ruci(女性 / 40代)
犯人を追いかけるシーン、長い!長い!どこまで行くのか、どこまでやるのか、主人公が闇の中へ沈んでいくさまを見せつけられているようで、とても印象に残りました。
───さっちゃん(女性 / 20代)
廃工場のシーン、もしかしたら今まで観てきたすべてが幻だったのでは?と思ってしまった。現実だったのか、幻だったのか、もう1度観て確認したい。
───Black Micky(女性 / 40代)
実に見応えのある非常にレベルの高いサスペンス。日本の観客は、現在の中国映画に対する認識を覆されるだろう。画面の中で降りしきる冷たい雨によって、観終えたあとの心にまで凍てつくような寒さが残る。
───bigbamboo0815(男性 / 50代)
※2018年12月19日(水)に東京都内で行われた試写会で寄せられたコメントより