「ウィーアーリトルゾンビーズ」池松壮亮×長久允|もうこの監督を無視できない、“今”を描く逸材中の逸材

大人の嘘を、早い段階から見抜いてしまっていた(池松)

──では池松さんは13歳の頃、どんなことを考えていたのでしょうか。

池松 うーん。けっこう変わっていないんですけどね。本当は僕、すこぶる明るいんですよ。……本当です。

長久 今の淡々としたトーン、音声で残したいわ(笑)。僕、幼少期の池松さんがお尻を出してる動画、観たことありますよ!

左から池松壮亮、長久允。

池松 ははは! そう、人を笑わせるのが大好きだったし、ケツ出せばみんな笑ってくれると思っていたんですよ。兄弟の中でもとびきり明るくてファニーな子供だったんですが、なぜかこうなってしまったというか。もしかしたら、10歳くらいでこの業界に入ったから、大人の世界に交ざるのがすごく早かったせいかもしれない。仕事をする中でどんどん、両親や兄弟には言えない感覚や経験が増えていったんです。仕事場であったことを学校の友達に話す気にもなれなくて……。その結果、孤独や空虚を知ることが早かったんでしょうね。ただ、昔から性格はねじ曲がっていたので、大人の建前や嘘を早い段階から見抜いてしまっていた気がします。大人がしゃべる姿を見て「この人は嘘つきだ」「この人だけはものすごく愛情がある」と感じたり、いつもみんなから怒られている親戚のおじさんが好きだったり。映画の世界で、大人になることを拒んでいるやんちゃなおじさんたちに育てられたので、そういう大人に救いを求める子供だった気がしますね。それは今も同じです。

長久 ちょっと質問してもいいですか? 池松さんって、“人と人は理解し合えない”と思っている感じが伝わってくるんですけど、実際どうなんですか?

池松 どうなんでしょう。うーん、理解し合えないと思います。ただし、理解し合おうとしないことは、もっとナンセンスだと思います。

長久允

長久 ああー。

池松 人対人以外の何かのせいで理解できなくなっているような気もしますね。目に見えない力というか、社会のシステムというか……。「他人を信じてはいけない、信じると何か怖いことが起こる」と言われている時代に育ってしまったので。でも僕、孤独を知るのが早かった分、人とわかり合いたいという欲はずば抜けていると思いますね。長久さんはどうですか?

長久 僕も人とはわかり合えないと思う……というか、13歳くらいの頃、自分以外の他人はみんな泥人形なんじゃないかと信じていたことがあって。ヤバい子供ですよね(笑)。

池松 ははは! 自分だけがこの世界に存在してしまっているんじゃないか、みたいな。でもそれって、みんなが持っている感覚だと思いますけどね。

長久 ですよね。でも今では、他人にも感情があるのはもちろん理解しているし、うまくやっていければいいんじゃないかという思いで日々コミュニケーションに励んでいるんですけど。完璧に理解し合うことなんてできないけれど、楽しくやっていきたいなと。

「“今”このときしか俺たちは生きていない」(長久)

──LITTLE ZOMBIESの4人のセリフに、何度もハッとさせられました。監督が特に思いを込めたセリフは、どんなものでしょうか。

長久 「今! 今! 今! 今!」っていうセリフです。僕、“今”っていう瞬間以外何も存在していないんじゃないかと思っているんですよ。というのも、なぜか僕、すごい頻度で記憶の捏造をしちゃうんです。

池松 (笑)

「ウィーアーリトルゾンビーズ」より、中島セナ演じるイクコ。

長久 怖いですよね(笑)。僕は自分が子供の頃にいじめられていたのかどうかも、わかんなくなっちゃったんです。いじめられていた記憶もあるし、いじめられていなかった気もして。だからどっちが本当かもわからないし、それは大事ではないと思っています。今この瞬間に生きていて、何か思ったり、罪悪感を感じたり、高揚感を感じることだけが大事だと考えているんです。前作の「金魚」でも同じようなことを言っているんですが、“今”はキーワードとして常に使っています。

──劇中で、池松さん演じる望月が「エモい」と言うと、LITTLE ZOMBIESのメンバーが何度も「エモいって古!」と言い返しますよね。「金魚」はさまざまなところで「エモい作品」と評価されたと思うのですが、本作で「エモいって古!」というフレーズが何度も登場することには意味があるのでしょうか?

池松 「エモいって古!」、何回も言われましたね……。

「ウィーアーリトルゾンビーズ」より、池松壮亮演じる望月。

長久 はい、望月を古い人扱いしました(笑)。僕の作品は、いつも「エモい」って言われるんですよ。そもそも「感情とはなんだ?」というテーマで作っているので、そうなるのもわかるんですけど。ただ、流行り言葉である「エモい」が定着しだしたから、誰よりも早く僕がそれを否定しなければと思って使いました(笑)。でも実は、「エモいって古!」ってセリフよりも、それに対して望月が言う「エモーショナルはいつだってあるでしょ」のほうが肝なんですよね。何か対象物に対して発する流行り言葉の「エモい」が悪いわけじゃないんですけど。でも、自分の中に芽生えた、言葉にできないでっかいエネルギーを持った感情としての「エモい」と言う感覚は忘れずにいたいですよね。超リアルな本当の感情としての“エモーショナル”ってなかなか味わえないし大事じゃないですか。

──なるほど。“今”が大事という話にもつながってくる気がします。

長久 僕が映画を作ろうと思ったのは、2017年に解散してしまったNATURE DANGER GANGっていうバンドがきっかけなんですよ。今日かぶってるのもNATURE DANGER GANGの帽子です(笑)。彼らは10人くらいメンバーがいるけど、みんなバラバラで、楽器なんて弾けなくて、裸の人がいたり、変なかぶりものをした人がいたりする。説明するのは難しいんですけど、ただ熱量を発散するためだけにバンドをやっているような団体で。

長久允

池松 でも、根底を考えると、音楽ってそういうことですよね。「俺たちは生きてるんだぞ」って伝えるためのものというか。

長久 そうそう。僕がまだ広告だけやってるサラリーマンの頃、彼らのライブを観て「何かを作らないで死ぬのはダメだ」と思ったんです。直接的に言ってるわけではないですけど、彼らのメッセージが「“今”しかない、“今”このときしか俺たちは生きていない」ってことのように思えて。それで僕は、今も映画を作っているんです。