58歳の僕が「疲れた」とか言っている場合じゃない(笑)
──北斎は、江戸時代に90歳まで生き、亡くなる間際も「あと5年生かしてくれたなら、真の絵師になれるのに」という言葉を残して、世を去ったと言われています。描いた絵は約3万点。この創作欲についてはどう思われますか?
神話になりそうなくらいの長生きですよね。しかも、代表作の風景画を描いたのが70代って、58歳の僕が「疲れた」とか言っている場合じゃない(笑)。おそらく「到達する」ということができないんでしょうね。それは僕も感じます。作った作品を褒めていただくと、もちろん満足感を少しは得られますが、自分の求める表現の充足にはたどり着いていないと実感します。だから、劇中で北斎が思いあぐねる姿はすごくよくわかる。
──「ここまで行きたい」という像は見えているのにそこにたどり着けない、という感覚なのでしょうか。
いや。見えていたはずの像が蜃気楼のように消えていくんです。30代や40代の頃に作った芝居を映像で見返すと、当時は満足できていたのに、今は「ここはもっとやれた」とアラが見えてしまう。達成したと思えていたものが幻になってしまうんです。だから、再演したくなります。北斎もあれだけ繰り返し波の絵を描いてきたということは、まだこの先のものが描けるという思いがあったのでしょう。70代で描いた波は、40代の頃よりも緻密、複雑になっていますから。
僕も引っ越し魔。目先の風景を変えると発想が変わる
──60代で脳卒中を患ったあとに旅に出たり、生涯で90回以上引っ越しをするなど、かなりアクティブな人でもあったようです。
脳卒中を自力で治すってねえ(笑)。ただ僕も引っ越し魔なんですよ。僕の場合、主に更新料を払いたくないという理由ですが、結果的に散財するという……。でも、目先の風景を変えると発想が変わります。住んでいる街の話は書けないけれど、引っ越して、住んでいたところが「よその街」になると客観視できて書けるようになるんです。北斎も目の前の風景を変えたかったんじゃないかな。しょっちゅう居場所を変えた北斎がいる一方で、画家の熊谷守一は30年間家からほとんど出ずに庭の小さな宇宙の中で絵を描き続けた。「モリのいる場所」という映画にもなって、あの人も仙人みたいでしたけど、対照的ですよね。
──「絵は世の中を変えられる」というセリフが出てきますが、どう思いますか? 演劇は世の中を変えられますか?
変えられないんじゃないですか。そんな大それたこと、言ったことがない(笑)。ただ、人は変えられるかもしれないです。現代を生きる僕が北斎の絵を見てインスピレーションを受けるわけですからね。美術館に行くと、何かが豊かになった気分になる。深層心理には影響を及ぼしていると思います。そう考えると、映画にも描かれていましたが、当時庶民が気軽に浮世絵を買って家に飾っていたというのはすごいことですね。アンディ・ウォーホルの絵を買っていたようなものでしょう?
日本人の発想ってやっぱり面白い
──今はコロナ禍で苦しいときですが、北斎の生きる姿を通して少しでも勇気付けられたらいいですね。
これだけすごい日本人がいたというのを知るだけでもいい機会だと思います。北斎はLIFE誌で「この1000年でもっとも偉大な功績を残した100人」に選ばれている。日本人が日本人であることを誇りに思うのは大事なことですからね。まあ、誇らしくない面もたくさんありますけど(笑)。僕は演劇という、海外から来たものに取りすがっていますが、どうにかそれを日本独自のものに切り替えようと画策しています。歌舞伎の要素を取り入れてみたり、浮世絵のイメージを加えてみたこともあります。舞台「命、ギガ長ス」では舞台の隅に富士山をあしらい、墨絵のような雲をはわせてみました。浮世絵に限らず、平安時代の絵でも部屋の中に雲をはわせていたりして、それが味を加えているんです。日本人の発想ってやっぱり面白いですよね。
北斎みたいに人の目を気にせずに生きられたら
──松尾さんはこれまでにドラマ「TAROの塔」で岡本太郎、ドラマ「ちかえもん」で近松門左衛門などを演じてこられました。表現者として、共鳴するところはありましたか?
どうだろう? ……苦しみと楽しみが必ずセットになっているというところでしょうか。今、「楽しい」だけでやっているのは河井克夫くんとnoteで連載しているTV Bros.の「チーム紅卍の電気じかけの井戸ばた会議」くらいですから(笑)。
──松尾さんは以前から、表現することは恥ずかしいことだとたびたびおっしゃっています。その思いは変わらずありますか?
そうですね。表現欲って、誰もが持っているものだとは思いますが、自分の欲望をさらけ出してそれを生業にまでしているのだから、やっぱり浅ましいですよ(笑)。でも北斎のいいところは、浅ましさの中でもかっこつけていないことですよね。「〇〇派」と組織を作って権威になっていく絵画の歴史がある中で、そことは無関係に30回も名を変えて、めちゃくちゃな雅号を付けている。晩年なんて「画狂老人卍」ですから!
──松尾さんと河井克夫さんのユニット「チーム紅卍」とここにも共通点が(笑)。
卍つながり(笑)。しかし、北斎みたいに人の目を気にせずに生きられたらいいなと思います。ある意味、繊細さを投げ捨てて生きている。僕自身は、すぐに人に気を使ってしまい、そこまで自由に芸術にすがっては生きられないんですよねえ。
2021年5月27日更新