映画ナタリー Power Push - 「ギヴァー 記憶を注ぐ者」
主人公の吹替担当・増田俊樹インタビュー&「太陽」監督 入江悠コラム
「ギヴァー 記憶を注ぐ者」は一見すると近未来のユートピアを舞台にしているようで、ディストピアを描いた作品だ。そこで新作「太陽」で同じくディストピアを描いた入江悠に「ギヴァー 記憶を注ぐ者」の見どころや、ハリウッドと日本映画の違い、そして改めてSF映画の魅力について執筆してもらった。
10代後半で映画の世界を志してから、いつかSF映画を作りたいと思っていた。
というか、かならず作る、と決めていた。
でも、ある日気づいた。
「今の日本でSF映画を作るのは、かなり難しい」
20代の半ばくらいだったと思う。
その気付きの衝撃を、「ギヴァー 記憶を注ぐ者」の主人公ジョナスが受けた晴天の霹靂と比べるのは少し無理があるかもしれないけど、当時の僕にはかなりのインパクトがあった。
ある日、自分の生きている世界のリミットが見えてしまう感覚。これはSF映画の主人公が歩む王道の道だ。
基本的にSF映画を作るのには莫大な製作費が必要で、未来の街並みや住宅、宇宙船などを設計・建設するのには現代劇の美術を作る以上にお金がかかる。さらにVFXやCGなどの視覚技術も必要で、衣装や小道具だって現代社会から離れれば離れるほど新たにゼロから作る必要がある。
とはいえ絶対に無理かと言えばそうでもなく、昭和の一時期、日本映画も小松左京のSF小説などを原作として(「日本沈没」や「復活の日」など)、それなりに頑張って実写SF映画を作っていた。
でも、21世紀に入ってからその道は細く狭まった。
アニメにお株を奪われたと言っていいかもしれない。日本の実写映画はSFの世界を具現化する体力と知力を失ったのだ。
一方、目を海外に転じると、SF映画は今も数多く作られている。
マーベルやDCコミックスのアメコミ原作や、新テクノロジーに存在理由を依ったヒーロー物なども広義のSF映画だとすると、今日本で公開されている大作洋画の半数以上がSF映画じゃないかという気もする。
ぶっちゃけ日本で映画制作をしている者としては羨ましい。
SF映画を量産できる体制が日本にも欲しい、とまではさすがに言わないけど、せめて年に4、5本は純然たる日本の大作SF映画があって欲しい。
「ギヴァー 記憶を注ぐ者」は純然たるSF映画だ。
冒頭からその世界についての設定がいきなり提示され、未来の街が映る。
ツルンと綺麗に整備された街並みで人々は快適そうに暮らしている。道にゴミ袋は落ちていないし、浮浪者もいない。夜道で淑女を襲う不逞者もいないし、銃をぶっ放す乱暴者もいない。
というわけで、この映画が「マッドマックス」や「ブレードランナー」的なある種ダーティーな社会とは異なった未来像を、僕たちに差し出していることがわかる。
人々が平和で豊かに暮らすユートピアだ。
でも、映画である以上、そこには確実に何らかの歪みがある。
すべての人々が貧富の差なく健やかに生き、自分のライフスタイルになんにも疑問を抱かず、人生をそれなりにまっとうして僕らってハッピーだったね、というのでは、どこかの生命保険会社かマンション販売会社が作るCMになってしまう。
すべてのSF映画は、程度の差こそあれディストピア的な未来を舞台にし、主人公が謎に立ち向かう構造を持っている。
ユートピアがひっくり返ってディストピアに転じる。
そういう意味で「ギヴァー 記憶を注ぐ者」は、「ガタカ」や「わたしを離さないで」の物語構造に近く、出発点において「僕らの社会って完璧にアンダー・コントロールされててハッピーだよね」という前提だったのが、「でも、実はその社会って……」と転じるところにこそ驚きがある。
もれなく主人公は何かのきっかけで社会のある面に疑問を抱き、主人公らしく1人で悩みを抱えた末、果敢に行動を始めるだろう。
彼が気づいた違和感の正体こそ、SF映画としての面白さの醍醐味で、そこにどう立ち向かうかに映画のすべてがかかっている。
観客の楽しみを奪うわけにはいかないので、その顛末を明らかにするわけにはいかないけれど、こういうSF映画をサラッと作れてしまうことが本当に羨ましい。美術も衣装も小道具も1つひとつが羨ましい。
ただ「ギヴァー 記憶を注ぐ者」を観ていて1つだけ思ったのは、「もう日本のSF映画はこの世界と闘うべきではないのでは」ということだ。アメリカ映画的な大作SFが無理ならば、僕たちは日本にしか作れないSF映画を追求すべきで、今後はそれをなんとか見つけていくしか道はないのでは、と。
- 「ギヴァー 記憶を注ぐ者」2016年1月20日発売
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- Blu-ray Disc 5076円 / PCXE-50582
- DVD 4104円 / PCBE-54025
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あらすじ
いかなる争いも揉めごともない平和な管理社会が確立された近未来。完全な平等世界であるコミュニティの住人は過去の記憶を持っていない。その中で育った青年ジョナスは、過去の記憶を次世代に伝える“記憶を受け継ぐ者=ザ・レシーヴァー”に任命され、“記憶を注ぐ者=ザ・ギヴァー”に教えを請うことに。色彩や音楽など楽しい感情を得ていくジョナスだが、次第にコミュニティの裏側に隠された秘密を知り、この世界に疑問を抱きはじめるのだった。
スタッフ
監督:フィリップ・ノイス
原作:ロイス・ローリー
キャスト
ギヴァー:ジェフ・ブリッジス
主席長老:メリル・ストリープ
ジョナス:ブレントン・スウェイツ
父親:アレクサンダー・スカルスガルド
母親:ケイティ・ホームズ
フィオナ:オデヤ・ラッシュ
ローズマリー:テイラー・スウィフト
©2015「太陽」製作委員会
あらすじ
バイオテロによって人口が激減した21世紀初頭。ウイルスの脅威を心身ともに進化させることで克服した新人類・ノクスは、ウイルスに感染せず生き残った旧人類・キュリオを自らの管理下に置き、貧しい生活をさせていた。そんな中、ノクスが起こしたある事件によって、ノクスへの憧れを持つ青年・鉄彦と、幼なじみでノクスに反感を持つ結の関係が少しずつ変化していく。
スタッフ
監督:入江悠
脚本:入江悠、前川知大
原作:前川知大
キャスト
神木隆之介、門脇麦、古川雄輝、綾田俊樹、水田航生、高橋和也、森口瑤子、村上淳、中村優子、鶴見辰吾、古舘寛治
入江悠(イリエユウ)
1979年11月25日、神奈川県生まれ。映画監督・映像作家。2009年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で「SRサイタマノラッパー」がファンタスティック・オフシアターコンペティション部門でグランプリほか多数の映画賞を受賞し、一躍注目を集める。そのほか代表作に映画「劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ」「ジョーカー・ゲーム」「日々ロック」、連続ドラマW「ネオ・ウルトラQ」「ふたがしら」などがある。最新作「太陽」は4月23日より公開される。