長井短が語る「エマ、愛の罠」|ルールや常識を壊して進む、どこまでも自分に正直な新時代のヒロイン

「NO」「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」で知られるパブロ・ララインの新作チリ映画「エマ、愛の罠」が、10月2日に公開される。本作は、妖しい魅力を持つダンサーのエマを主人公とするミステリアスな愛憎劇。夫との結婚生活が破綻した彼女は、実直な消防士と彼の妻を虜にしていくが、奔放な行動の裏にはある秘密が隠されていた……。

映画ナタリーでは“演劇モデル”として活動し、近年は映画やドラマにも活躍の場を広げる長井短に、本作の感想をインタビュー。周囲からの抑圧をはねのけ固定観念を壊していくエマの魅力や、共感したポイントについて話を聞いた。

取材・文 / 山里夏生

長井短インタビュー

圧倒的に強い意志を持っている人は腹立つけど魅力的

──まずは映画を観た率直な感想をお聞かせください。

「エマ、愛の罠」

面白かったです! 最初は難しい映画かと思ったんですけど、意外にもそうじゃなかったです。内容的に楽しいだけの映画ではなかったんですが……(笑)、面白く観させていただきました。

──印象的なシーンはありましたか?

信号機を燃やしているシーンから始まるじゃないですか。当たり前のように、赤なら止まるし青なら渡る、ルールや常識の象徴とも言える信号機を燃やすところから始まったので「あ、もう絶対ヤバいことになるじゃん」って(笑)。信号ひとつ取っても「なんで従うのか? 私は従いたいのか?」と考えるべきだよなって思いましたし、私にとっての納得がどこにあるのかを確認していく作業はすべてにおいてちゃんとやらなきゃなと感じたので、あのシーンが好きでした。

──確かに既成概念を壊すエマを象徴するようなシーンでした。エッセイなどで女性の自分らしい生き方について掘り下げていらっしゃる長井さんですが、主人公のエマはどのような女性に映りましたか?

「エマ、愛の罠」より、マリアーナ・ディ・ジローラモ演じるエマ(左)とガエル・ガルシア・ベルナル演じるガストン(右)。

ぱっと見るとかっこよくて破天荒な今どきの女の子というふうに見えますけど、夫のガストンを不能だと言って責めるところに昔ながらの価値観も表れているなと感じました。保守的な部分があるからこそ、それを破りたいと強く思うことってある気がしていて。そのおかげで逆に感情移入しやすかったです。最初は私が到底追いつけないタイプの女の子かもしれないと思ったのですが、実際はありふれた女の子が自分らしさを見つけようとしているんだなと感じました。

──エマに魅力を感じたところがあれば教えてください。

魅力的だなと思ったのは、目的を達成するぞっていう意志がめちゃくちゃ強いところ。圧倒的に強い意志を持っている人には誰しも惹かれるじゃないですか。それって暴力的でもあって、周りの人からしたら勘弁してくれよと腹が立つこともあるけど、やっぱりそういう人って魅力的なんだよなあと改めて思いました。

「エマ、愛の罠」

──長井さんご自身はそういうタイプではないですか?

エマと同じタイプではないですね(笑)。あそこまでいけてうらやましいなという気持ちがある半面、でもああなっちゃダメだって自制心が働きます。

──なるほど。ではエマに共感するポイントはありましたか。

エマみたいに放火はしないですけど(笑)。そういう絶対にやっちゃいけないことをやることで固定観念を壊していって、壊すことで前に進んでいる実感が欲しいっていう気持ちは私にもあります。例えば……吐くまで飲んじゃうみたいな。大人になると「お酒とうまく付き合いましょう」って言われますけど、でも「うまくなんか付き合わねえよ」っていう気持ちがあって。そういうあんまり褒められたもんじゃない行いを1つ持っておけるのって大事だし、「わかるー。そういうのやるよね」と共感しました。

「こういうものなんで」って言われると「そこで立ち止まらないでよ」って思っちゃう

──物語の序盤でエマは、母親として失格だと周囲から責められ、職を失ったりと社会的な抑圧を受けます。エマを取り巻く環境についてはどう感じましたか?

「エマ、愛の罠」

「母親です」って名乗った瞬間、母親を裁きに来る社会自体がよくないなと思っていて。“母親”とか“先生”とか社会の中では肩書きしか注目されないですけど、何年目かどうかってけっこう大事だなと。「自分何年目?」「1年目だったらしょうがないよね」みたいなことがもうちょっと世の中に起きればいいですよね。あと、人の役割にとやかく言わない。不思議と母親というポジションって第三者でもなんか言っていいみたいな雰囲気があるじゃないですか。お母さんに育てられたとしても、お母さんになったことはないってことを忘れがちというか。

──長井さんご自身は周囲からの言葉などで、生きづらさを感じたことはありましたか。

すごく抽象的な説明になるんですけど、「なんでですか?」って聞いたときに「こういうものなんで」って言われてしまうと「そこで立ち止まらないでよ」って思っちゃう。そのひと言で仕事や関係性を進めていいんだとしたら、私じゃなくてもよかったよなってちょっとすねちゃったりします。

──なるほど。先ほどの信号機のお話にも通じますね。

あと前は「変わってるね」って言われるのがすごく嫌だったんですけど、最近はもうどうでもよくなってきました……。例えば、みんなが知っているミュージシャンを知らなかったときとかに「変わってるよね」って言われて、「たまたま合わなかっただけじゃない?」みたいな。地球規模で多数決採ったら乃木坂46聴いてるのだってめちゃくちゃ変わってるじゃないですか。私は「いやあなたも変わってると思うよ!?」と思うんですけど、たぶん相手はそういうことを言ってるんじゃないんだろうな……。

──(笑)。日本では、エマのような既存の価値観を壊していくタイプの主人公は受け入れられると思いますか?

「エマ、愛の罠」

きっと映画としては受け入れられるだろうし、「いいよねエマ」ってなりそうですけど、いざ誰かが実際にエマみたいになったらがっつり引くんじゃないでしょうか(笑)。だからこそ、部分部分でエマのここをもらおうって思われやすいヒロインなんじゃないかな。何かがうまくいっていないときってだいたい、誰かの模倣をしてみて打開できるか試してみることが多いじゃないですか。でもエマのやり方ってのは誰の模倣でもなくて、完全オリジナルですよね。その「とりあえず誰もやってないことを試してみる」っていうエマのスタイルは、取り入れてみるといいかもなと思います。

──エマの秘密が明かされる衝撃的なラストの展開はいかがでしたか?

「その手があったか!」って一本取られた感じでした(笑)。で、あれはまあ、善ではないじゃないですか。一見正しい行いには見えない、かなりヤバい手を使ったなっていうのが最初の印象で。でも、正しくない感じがするっていうのは、「エマにとってはあれが最善かもしれないけど、自分のためにあんなに人を巻き込んでいいのか?」っていう、一般的な思いやりとか優しさで裁いた場合の感覚なんですよね。確かにあの行動は周囲の人々を、あの時点では傷付けたりもしているけど、もっと長い目で見た場合、ヘンテコな形だけど好きな人と一緒にいられてうれしいっていう気持ちに変化していく可能性も全然あって。誰かを愛し続けるために、一度傷付ける必要っていうのも、もしかしたらあるのかもなと教えてもらいました。