「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」|真のジャーナリズムとは?知られざるヒーローに光を当てるサスペンス 安彦良和によるレビューも

INTERVIEW

アグニェシュカ・ホランド インタビュー

コロナ禍の今はとても興味深い時期

──今日はよろしくお願いいたします。フランスのご自宅にいらっしゃるということですが、どちらにお住まいなのでしょうか。

アグニェシュカ・ホランド Photo by Jacek Poremba

ブルターニュに家があって、この3カ月間はここで過ごしています。

──ご自宅では映画に関する作業もされているのでしょうか? 例えば脚本を書くとか。

ここ4年間、ずっと働きづめで休みがなかったので休養を取っていますね。フランスでは1週間後に映画館が再開されて、すぐにこの「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」が公開される予定になっています(※編集部注:このインタビューは2020年6月16日に行った)。でも観客が映画館にすぐ戻ってきてくれるかはわかりません。

──どのように休養期間を過ごしていますか?

いろいろなことを考えたり、情報を集めたりしています。政治的な側面から見て世界は大きく変わりましたし、私たち人間が置かれている状況も大きく変わりました。新型コロナウイルスが蔓延してから、政府が国民を操ろうとする危険性が増したと考えています。国によっては、ウイルスが怖いあまりに、政府が自分たちの個人情報を得ることを国民が許してしまっている。個人情報を守ることは国民にとって当然の権利ですが、それを明け渡してしまった結果、どういう事態が起こるのか。正直に言ってこの状況はフィクションよりも興味深く、これからの自分にとっての肥やしになっているといっても過言ではありません。

──なるほど。

そして実を言うと、私の周りではコロナ禍のあとにすごく忙しくなった人が多いのです。オンラインでのレクチャーや取材を申し込まれる機会が増えていますからね。私自身も、起きている時間の7割をこういった取材のために過ごしているぐらいです。むしろコロナ禍の前よりも忙しいかもしれません(笑)。

世界は知られざるヒーローと犠牲者であふれている

──それでは映画の話に入ります。「赤い闇」の主人公ガレス・ジョーンズは実在の人物ですが、日本ではほぼ知られておらず、私も映画を観るまで彼のことを知りませんでした。日本語のWikipediaにもジョーンズの項目は存在しません。西洋ではジョーンズはある程度知られている存在なのでしょうか。

「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」Photo by Robert Palka © 2019 Film Produkcja All rights reserved.

いいえ、西洋でもほとんど知られていません。知られていないからこそ、この映画を作ったと言えます。そして今この時代に彼の人生を知ることが、なんらかの救いになるのではという思いもありました。世界は知られざるヒーローと犠牲者たちであふれています。歴史上の悲劇やその犠牲者に光を当てると同時に、ガレスのような若く誠実なジャーナリストの勇気にも光を当てなければいけないと私は感じたのです。

──西洋でも知られていないというのは少し意外です。

唯一、彼の存在がよく知られているのはウクライナです。ガレスが書き残したものを歴史学者が見つけ、彼の人生や死について知ったそうです。ガレスは非常に教養が高く知的で、いろいろな言語を話すことができました。そして政治に対してよく鼻が利き、危険な状況にはすぐに気付く人でした。彼は当時のソ連の経済状況に何か不審なものを感じ、多くの人が傷付いているという状況を目撃して、悲劇のメッセンジャーとなっていくのです。

──ジョーンズを演じたジェームズ・ノートンはいかがでしたか? あまり情報のない人物を演じてもらうにあたって、どのようにキャラクターを作っていったのでしょう。

「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」Photo by Robert Palka © 2019 Film Produkcja All rights reserved.

ジェームズ自身、ガレスと同じように知的で正直で誠実な人です。渡せるだけのガレスの記録を渡して、たくさん話し合いました。ジェームズがすぐに提案したのは、とてもさりげないミニマルな演技をしたいということ。そもそもガレスは派手な人物ではないし、ちょっとオタクっぽいところもある若いウェールズ人。それに物語の中でガレスに生じる変化も、はっきりと目に見えるものではない内なる変化なので、繊細な演技が求められるのではないかとジェームズは思っていたようです。彼の考えは正しかったということを、編集段階で強く感じました。撮影したシーンをつなぎ合わせていくと、ジェームズがガレスの人間的な成長をしっかりと押さえながら演技をしていることに気付いたのです。

“過去”は“現在”でもある

──この映画は重い史実を伝えていますが、同時に緊張感みなぎるサスペンス、1つのエンタテインメントとして昇華されていますね。

「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」Photo by Robert Palka © 2019 Film Produkcja All rights reserved.

史実を伝えることは「説明」であり、それを映画という作品にするのは「表現」です。映画というものはエモーショナルな旅でなければいけませんが、その結末は知的なものになっていなければならない。今回は政治的な要素をはらんだ題材を扱っていますから、そのバランスを取るのはたやすいことではありませんでした。

──約90年前という過去に起きたことを描いていながら、現在とリンクする物語でもあると感じました。

この惑星に住む私たちは今、いろいろな物事がいとも簡単に極端な事態へと発展してしまう時期を迎えていると思います。ですから何か大きな問題が発露する前に、その予兆を見つけて解決していかなければならない。しかしそういう局面にありながら、人類は残念ながら遅れを取ってしまっています。「過去に起きたこと」とおっしゃいましたが、“過去”はただ過ぎ去ったものではありません。“過去”は“現在”でもあるのです。ですから実際に現在起きていることよりも、過去を描くことで、“今”を描けたりするのですよ。

──現代のジャーナリストは、この物語から何を学ぶべきなのでしょうか?

「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」より、ピーター・サースガード演じるウォルター・デュランティ(左)。Photo by Robert Palka © 2019 Film Produkcja All rights reserved.

客観性と勇気のある調査報道が、私たちには必要なんだということです。事実を調査し、チェックして、しっかりと伝えること。そういったジャーナリズムがなければ、民主主義は成り立たないということを観客に感じてほしいと思っています。映画にはウォルター・デュランティという実在のジャーナリストも出てきますが、彼には民主主義を守ることはできません。医者の使命は人の体を治療し命を救うことですが、それと同じように、ジャーナリストの使命とは真実を伝えることなのです。

アグニェシュカ・ホランド
1948年11月28日生まれ、ポーランド・ワルシャワ出身。チェコスロヴァキア・プラハ芸術アカデミーの映像学部を卒業し、クシシュトフ・ザヌーシ、アンジェイ・ワイダのアシスタントとしてキャリアをスタートさせる。1990年の監督作「僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ」でゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞。レオナルド・ディカプリオが詩人アルチュール・ランボーを演じた「太陽と月に背いて」や、ナチス支配下のポーランドを舞台とする「ソハの地下水道」でも話題を呼んだ。近年は「ハウス・オブ・カード 野望の階段」などテレビドラマの演出も手がけている。最新作は第70回ベルリン国際映画祭でも上映された「Charlatan(英題)」。