新時代の教師もの「鉄槌教師」をマンガライターが深掘り。歴代ヒット作との比較で見えてきたものは

崩壊した学校教育の現場を、ある1人の男が容赦ないやり方で改革していく「鉄槌教師」。LINEマンガで発表され、LINEマンガの2023上半期ランキングでは4位にランクインしている。また声優・諏訪部順一も、SNSで「実写化したら当たりそう」「令和の『GTO』になるかも」と言うほどハマっていた。

「鉄槌教師」のシーズン2が開幕したことから、コミックナタリーでは特集を展開。マンガライター・小林聖が、これまでにヒットした教師ものと比較しながら同作の魅力を掘り下げる。また諏訪部にもこの特集への協力を依頼したところ、すぐに快諾の返事が。諏訪部による本気のおすすめコメントを最後に載せているのでお見逃しなく。

「鉄槌教師」

20XX年、体罰禁止法が成立し、教員から生徒への体罰が原則禁止となった。これにより、教員たちは生徒たちを指導することが非常に困難に。クラス崩壊のような問題が日に日に増え、ついには生徒による暴行行為で教員が死亡する事故まで発生した。

すると教育崩壊の深刻さを感じた政府と教育部が、教権保護法改定案を制定。腐敗した学校に対し、特別指導を施す部署・教権保護局を設置した。この教権保護局に所属する主人公ナ・ファジンが、なんでもありのやり方で崩壊した学校教育の現場に正義の制裁を下していく。

「鉄槌教師」

第1話はこちらから!

教師を信じられない時代から、他人を信じられない時代へ

文 / 小林聖

しこりを残す教師もの

学校というところは不思議な場所だ。本分は勉強だと言われるし、実際学校での大半の時間は授業に費やされる。一方で学校で得たものや思い出を聞かれるとき、友人や部活、恋愛といったことを答える人は珍しくない。「学校の問題」と言うときも、いじめや学級崩壊など、必ずしも学校だけに問題の源泉があるとは限らない素行の問題が挙げられる。しばしば人生における重要な教訓を「学校では教えてくれないこと」なんて言葉で表現することもあるが、それでいて人は「教育」という言葉で学校に万能さ、人格形成を含めた総合的な万能さを求めたりもする。

学校という本来小さな場所は、小さな社会としていろんな役割、あるいは夢を託されていると言える。
だからこそだろうか、マンガにおいても教師ものというジャンルは定期的にヒットが生まれる。いわゆる生徒たちが主役の「学園もの」と違って、教師が主役となるこのジャンルは、世直しの物語だ。そこでは、学校という場所の世直しを通して擬似的に社会全体の世直しが描かれる。

「鉄槌教師」はそんな側面が色濃くにじむ作品だ。
ここでは校内のいじめとその背景にある親の権力の問題、ヤンキーによる抗争、教師の賄賂、家出少女(少年)など、学校に通う少年少女の問題が描かれるが、それは同時に権力の腐敗、暴力、金権政治、ネグレクトや貧富格差など、大人社会の縮図ともなっている。
そんな学校の腐敗を、教権保護局(教権局)という政府機関に所属する主人公、ナ・ファジンらが正していくというのが本作だ。物語のキモとなるのは教権局に強烈な特権があること。教育方式に関する制限がない、つまり体罰なども許されているのだ。
体罰禁止を盾に好き放題に暴れる生徒を容赦なく殴り、議員の息子を恐れて問題を見て見ぬふりをする教師を問答無用の力で裁く姿は、圧倒的な爽快感がある。

と同時に、「鉄槌教師」は単純なヒーローもの・世直しものにはない、“しこり”を残すような読後感がある。それはときにやりすぎではないかというほどの手段を使うファジンの苛烈さゆえでもあるが、理由はそれだけではない。

「教育というのは、言葉ではなく体で理解させて初めて成り立つ」という持論を有するファジン。親の権力を盾に好き勝手振る舞い、同級生を死に追いやった男子生徒に対し、彼の撒いた灯油に火をつけることで極限状況へと追い込む。
「教育というのは、言葉ではなく体で理解させて初めて成り立つ」という持論を有するファジン。親の権力を盾に好き勝手振る舞い、同級生を死に追いやった男子生徒に対し、彼の撒いた灯油に火をつけることで極限状況へと追い込む。

「教育というのは、言葉ではなく体で理解させて初めて成り立つ」という持論を有するファジン。親の権力を盾に好き勝手振る舞い、同級生を死に追いやった男子生徒に対し、彼の撒いた灯油に火をつけることで極限状況へと追い込む。

愛の代理供給機関としての学校と教師マンガ

「鉄槌教師」の独特な読み味を考えるにあたって、まず従来の教師ものが何を描いてきたのかを整理しておこう。

「GTO」(講談社)「ROOKIES」「ごくせん」「暗殺教室」(集英社)などなど、ここ30年ほどだけ見ても教師マンガのヒット作は数多くある。それぞれ特徴や方向性に違いはあるが、典型テーマを見つけることもできる。それは「信頼できる教師の復権」だ。

たとえば「GTO」。伝説の暴走族であった鬼塚英吉が中学校教師となり、担任いじめを続けてきたクラスを立て直していく物語だ。

生徒たちにはそれぞれ過去の事情やトラウマがあるが、結果としてそれは教師(ひいては大人、さらに言うならば大人社会)への不信を形作っている。彼ら・彼女らから見た大人は事なかれ主義で、保身ばかり考えている。実際ここで描かれる多くの教師は自分の生活や出世、収入のことが第一で、トラブルを起こす生徒はその障害くらいにしか思っていない。鬼塚はそういう生徒たちの信頼を1人ずつ回復し、味方を増やしていく。

「GTO」がいわゆるヤンキーものである「湘南純愛組!」(講談社)から派生した作品だというのは非常に面白いところだ。ヤンキーものもまた、学校(社会・大人社会)への不信が根底にあることが多い。学校的価値観で尊厳や絆を手に入れられなかったキャラクターが、学校の外部にある(ヤンキー)社会でそれを獲得していくという物語機能を持っているためだ。鬼塚がしばしば保身に走る場面で、親友の弾間龍二に「俺たちが嫌いだった教師みたいだ」と言われるのは象徴的だ。鬼塚たちが学校の外部で手に入れた尊厳や絆を、学校の内部でもたらそうとする物語であり、子供たちをないがしろにする大人への抗議でもある。

それはつまり「世直し」、社会改革を含む内容になっているわけだが、ここではその方法が属人的だ。鬼塚という個人、ヒーローが信頼を回復させることで子供たちは社会と和解していく。言い換えれば、家庭などで得られなかった承認、愛を鬼塚が代理的に与えることで生徒を再生している。愛の代理供給機関としての学校というのが、従来の教師ものの1つの典型テーマといえる。「教師もの=熱血」という古典的イメージもこうしたところから醸成されたのだろう。

もちろん時代とともに教師ものも変化しており、信頼のありようも変わっている。愛情というウェットな部分でなく、別のところで信頼を得る教師マンガもある。「ドラゴン桜」(講談社)のように社会をハックするような方法で信頼を得て、尊厳を与えるものもあるし、「ここは今から倫理です。」(集英社)のように生徒1人ひとりへの個人的な愛情というのではなく、人類愛的なアプローチの教師もある。1998年にスタートした「ROOKIES」の頃にもすでに「熱血なんて古い」という大前提があったからこそ、主人公である川藤という教師のシンプルなまでの純粋さ・熱さが心を打った。
時代によって求められる教師像、信頼のあり方は変わる。だが、いずれにせよ大きなところでは教師ものには属人性がある。

属人的な世直しから社会システム的な解法へ

「鉄槌教師」が異色な印象を抱かせるのは、本作の「世直し」は属人的な側面が極めて薄いためだ。

主人公のファジンら教権局の面々はヒーローではある。驚異的な身体能力を持っており、その力も振るいながら学校にメスを入れていく。ヤンキーマンガばりの派手な格闘も繰り広げられる。
だが、一方で生徒1人ひとりと個人的な信頼関係を深めるような形で問題を解決するわけではない。たとえば、権力を盾に校内の王として横暴を続けてきた生徒からは権力を奪い、いじめを体験させる。力によるカースト制を生んだ者にはカーストの下位を体験させる。こうした擬似的な復讐によって「鉄槌教師」は学校を変えていく。属人的な愛や尊厳の代理供給でなく、「必殺」の仕事人たちのような、裏稼業の義賊のような存在による変革を描いているのだ。
そもそも教権局という組織自体が政府が作ったものという設定である。マンガ的なハッタリ・突拍子のなさはあるものの、個人による世直しでなく、社会システムによる世直しというのが本作の根本だと言っていい。

国会議員で教権保護局の教育部長官を務めるチェ・ガンソク。ファジンがかつて愛していた、今は亡きガユンの父親だ。
国会議員で教権保護局の教育部長官を務めるチェ・ガンソク。ファジンがかつて愛していた、今は亡きガユンの父親だ。

国会議員で教権保護局の教育部長官を務めるチェ・ガンソク。ファジンがかつて愛していた、今は亡きガユンの父親だ。

これは各エピソードの結末にも影響する。基本的に愛の代理供給を行わないゆえに、そこでは問題のある生徒や教師が改心して終わるとも限らない。学校は浄化したけれど、原因となった生徒が変わり、救われるかというとそうではないエピソードも多い。

本作の象徴的な言葉に「変わらない」というフレーズがある。行き着くところまで行ってしまった、モンスター化してしまった人間はもはや変わらない。癒やし、直すことはできないということだ。

ハン・イェリは中学時代のある事件をきっかけに心が壊れ、高校では自身が主導し担任教師を生徒たちで無視していた。
ハン・イェリは中学時代のある事件をきっかけに心が壊れ、高校では自身が主導し担任教師を生徒たちで無視していた。

ハン・イェリは中学時代のある事件をきっかけに心が壊れ、高校では自身が主導し担任教師を生徒たちで無視していた。

社会が用意したモンスターは救えるのか

それはドライというのとは少し違う。「鉄槌教師」では、モンスター化する生徒や大人たちの背景も描かれる。たとえば貧困が尊厳を奪い、そこからの脱出の方法を暴力しか見つけられなかった子供。家庭の愛情不足と無関心とも表裏一体といえる社会の子供への甘やかしから、横暴になる者。問題として表出するのは学校であり、主に子供だが、その背景は社会問題であることを丁寧に描いている。いわば、子供という弱い立場の人間が社会問題の犠牲になっているということだ。
憎むべき邪悪は、実は個人ではなく社会が用意している。だからこそ、モンスター化した人間の救えなさを見るとき、単純な爽快感だけでなく、やりきれなさが残る。完全無欠の教権局の面々のヒロイックな活躍が描かれれば描かれるほど、社会に対する無力さも痛感するという、皮肉な構造になっている。

伝統的な教師ものには、教師(大人)は信用できないといういらだちがあり、だから信頼できる教師の復権が学校と社会を正していく。だが、「鉄槌教師」ではもはや大人に限らず、「他人は信用ならない」という不安が見え隠れする。
凶悪犯罪が起こったとき、あるいはSNS炎上が起こったとき、どうすれば防げたか、どう更正するかよりも先に重い刑を求める声がインターネット上に湧き上がる。顔の見える小さな共同体から、背景の見えない人間同士が共生する都市的共同体では、理解できない他者が増える。そこではもはや属人的な解決、愛の救済を求めることが空虚にすら響く。
「鉄槌教師」には、そんな不安にも似た諦念が底に漂っているように思える。

だが、本作はただ諦念と復讐的決着だけを描いているわけではない。物語が進み、ファジンらの過去が明かされるなかで、「変わらない」という諦念にどう立ち向かうかが大きな問いとして投げかけられるようになる。私たちは社会の犠牲者でもある怪物たちをただ見殺しにするしかないのか。弱者の立場となったらもう取り返しは付かないのか。誰も救ってはくれないのか。「鉄槌教師」はこの先、どういう結論を見せてくれるのだろうか。

ファジンの恋人だった教師のガユン。「人間生まれ持った気質は変わらない」と言うファジンに対し、このような思いを述べる。
ファジンの恋人だった教師のガユン。「人間生まれ持った気質は変わらない」と言うファジンに対し、このような思いを述べる。

ファジンの恋人だった教師のガユン。「人間生まれ持った気質は変わらない」と言うファジンに対し、このような思いを述べる。

プロフィール

小林聖(コバヤシアキラ)

フリーライター。主な執筆分野はマンガ。その1年で読んだマンガから面白かった作品を自身の独断と偏見で選ぶTwitter上の企画「俺マン」こと「俺マンガ大賞」を主催している。

「鉄槌教師」のガチファン 諏訪部順一からも
おすすめコメントが到着!
諏訪部順一

諏訪部順一

どんなもんだろう?とオススメ広告をきっかけに読んでみたところ……面白い!グイグイ引き込まれました。
特別権限を与えられた主人公が、蔓延る理不尽や悪行に文字通り鉄槌をくだしていく。その様は大いにカタルシスを感じさせてくれます。単なる勧善懲悪ではない、ドラマ性の高さも魅力ですね。
この作品、きちんと実写化したら日本でもヒットすると思います。各種名称や舞台設定など、ローカライズして敷居を下げる必要があるかもしれませんが、それでも物語の根幹がブレたり、チープ化したりせず、無理なく制作できるはず。もちろん、声優なのでアニメ化もウェルカムです(笑)。
その筋の方、急いで映像化権を獲りに行った方がいいですよ!

LINEマンガの公式YouTubeアカウントでは、諏訪部が主人公に声をあてたPVも公開中!