今やらないと、描きたい話が一生世に出せない
──岩田さんは本作がマンガ家として初のオリジナル単行本。マンガ家デビューの前には映画監督としてのキャリアもお持ちですよね。どうしてマンガを描くことになったのか、お聞かせいただけますか。
岩田 経歴を話すと少し長くなるんですが……高校を卒業して1年間OLをやったのち、「キャラクターデザインをやってみたい!」とイラストの専門学校に入り、文具メーカーに入社。そこで文房具のためのキャラクターデザインを担当するようになりました。その会社が馬車馬すぎて、「1回休憩して自分の絵を描きたい」という思いが生まれて上京したのが25歳くらい。セツ・モードセミナーという専門学校の夜間部に通いながら、フリーランスイラストレーターでの売り込みとアルバイトをしながら生活をしていました。29歳で「映像をやりたい」と思い始めて、そこからカメラの学校に通って……。
──行動力がすごい……!
岩田 当時は今よりも動画を撮るのが簡単ではなくて、8ミリフィルムの勉強から始めました。自分の絵を動かすことが当初の目的だったんですが、8ミリで撮れるノスタルジックな映像に胸を打たれて、実写を撮るようになって。さらに突き詰めるために別の学校にも行ったときに教わったのが中島哲也先生です。
──「告白」「嫌われ松子の一生」の中島監督ですね。
岩田 とても厳しい先生でした(笑)。脚本を書く授業の中で「自分の嫌いなもの、苦手なものをやってみろ」と教わりました。そこで卒業制作では、自分がクラスの学級新聞で「嫌われ者1位」になったときのエピソードをお話にしようと思ったんです。
紗倉 そんなこと掲載されるんですか!?
岩田 昔だったからかな……(笑)。1位だと恨み言っぽいストレートすぎる感じになるので、私が1位だったときに「嫌われ者3位」だった子からの目線でクラスの景色を描く話を書きました。その短編映画がいくつか賞をいただいて、映画のお仕事につながっていきました。私はたどたどしいしゃべり方になってしまうときがあって、人に説明するだけで頭が真っ白になることもあるので、監督の仕事は向いていない。でも自分の書いたお話がブレてしまうのが嫌で、「じゃあ監督をやります」と。監督のお仕事をいただけてうれしい部分があるのと同時に、戸惑っている部分もありました。
──1話でキナコが上映会で酷評されて、会議での行き違いを説明しようとするけれど、うまくしゃべれない……というシーンがありました。そこと少し重なるところも感じますね。
岩田 お仕事はどれも共感して「いいな」と思った原作のお話を受けていましたし、毎回自分の出せる120%で、命がけでやっていたというのは言い切れます。一方でそのお仕事をやっている間に「自分の描きたい話」がどんどん先延ばしになっているような焦りというか、一番やりたいことを保留しているなという思いもずっとありました。
紗倉 それ、すごくもどかしい気持ちがありますよね。ずっとやりたい表現が頭にありながらも、優先しなきゃいけないことのほうから消化しないといけない……。
岩田 もちろん仕事って、いただいたお仕事の中からやりがいを見つけることのほうが多いとは思うんです。与えてもらったものの中でどう自分の良さを生かすかとか、何なら役に立てるかとか、どうすれば期待に応えられるかとか。
紗倉 そうですね。与えられた枠組みの中でどれだけ自分の力を出し切るか……というお話はすごくわかります。
岩田 ただ、私も年齢を重ねてきて、手や目がだんだん下り坂になってきて、「今やらないといけない、やらないと止まっている話たちを一生世に出せないで終わってしまう」という気持ちが強まってきて。そこでマンガを描き始めました。
──読み切りマンガ「おナスにのって」で双葉社カミカゼ賞佳作を受賞、その後「悪者のすべて」で小学館コミック新人賞入選。本作「ピーチクアワビ」は初連載作品です。どういった経緯でこのお話を連載することになったのでしょうか?
岩田 先ほども少しお話ししましたが、「ピーチクアワビ」のもともとのストーリーは、15年前に企画をいただいた際に書き上げたものでした。渡辺ペコさんが執筆を担当してくださった「キナコタイフーン」という作品で、一度世に出ています。私はある程度自分に近い要素から掘り下げて作品を作っていくほうで、「映像をやっていたけど、プロの世界につまずきを感じている女性」という主人公像からスタートしました。1つの場所では挫折をしたけど、新しい居場所で素晴らしいものを見て、成長していくという。深く考えずにスタートを切ったものの、自分が思った以上にキャラが生き生きとしはじめて、自分で続きが楽しみになってきたんです。
──「キナコタイフーン」と「ピーチクアワビ」は、基本設定は近いですが、細かいストーリーや読んでいるときの印象がかなり違うところもありますね。
岩田 描き手がどこをフォーカスするかによって、見え方はかなり変わりますよね。自分でマンガの連載をすることになって、「あの物語を自分の考えた脚本に忠実に作ってみたい」という気持ちが湧き、こうして描いています。
紗倉 ちなみにキナコが1話で捕まっていますけど……あれは岩田さんの実体験じゃないんですよね?
岩田 違います(笑)。ただ今思うと、マンガ原作を頼まれた頃の私の状態って、外側から見ると「短編を任されて、次は長編を手がけている」と順風満帆な新人監督なのに、作っている物語は「干されて、暴れて、捕まる」ところからスタートするというネガティブなものなのが、なかなか興味深いですよね。逮捕こそされませんが、やがて映画の世界から離れていく自分の未来を、どこか暗示しているようで(笑)。
わかってくれる読み手との出会いは運
岩田 紗倉さんが初小説「最低。」のあとがきで、誰に見せるでもなく書きなぐったお話が小説になっていった……というお話をされていて、すごく共感したんです。世に出るかわからないけど書かずにはいられない、書くと自分が救われるものがあって、でもそれを誰かが必要としてくれているんじゃないかという希望があるなと。
紗倉 ありがとうございます。でも、自分にとってはすごく必要で生き続けるために表現せずにはいられないものだけど、他人から見たらどうなんだろう……と不安に思うことはないですか?
岩田 受け取られ方のお話でしょうか。わかってくださる読み手と出会えるのは作品の運みたいなところですよね。
紗倉 そうなんですよね、こちら側から提示することはできても、読んでくださる方をこっちが選ぶことはできない。私も作品を出すたびに感じることなんですが、全肯定してほしいわけじゃないし、「自分には合わなかった」と言う方がいてもしょうがないとは思いつつも、できれば温度感が近い読者に読んでもらったほうが、お互いwin-winな状態になれるんじゃないかなと。わかってくれた読み手の方がどれくらいいらっしゃるんだろうとネットで探したりもするんですが、落ち込むことは多くて。
──読者の方の感想を読まれるんですね。どういう声に落ち込むのでしょうか。
紗倉 よく言われるのが「結局何が言いたいの?」ですかね。でもそれって……こう、何か言いたくて書く場合もあるけれど、「これを伝えたい」と作者がおこがましく押し付けるのも、どこか違うなと感じていて。書きたくて書いているスタンスだったりするので、そう聞かれると沈むような心持ちになることがあります。
岩田 そのお皿に乗せられちゃうと、お料理と合わないな……という感じですね。紗倉さんの作品は「最低。」と「春、死なん」を拝読して、いろいろな題材を取り入れられていらっしゃるなと。作品を作る際には、取材をたくさんするほうですか?
紗倉 自分で既に見聞きしていたり、情報として少なからず持っていたりする分野を題材にすることが多いですね。「春、死なん」は老後を扱っていますが、動機になっているのは祖母との関わり合いです。たぶん取材しようとしていたわけじゃないけど、耳を大きくして過ごしていたんだと思います。毎回自分の作品が似た雰囲気になるのも怖いですし……。それをいいと言ってくださる方もいるんですけど、今後果たして違うものが書けるのかなという不安はありますね。
岩田 題材って「スライド式」なところがありませんか。「ピーチクアワビ」には、昔考えていた「時代に取り残されたエロ本だらけの古本屋さん」のお話の要素も盛り込まれているんです。違う作品や題材をまじえながら、円がつながる、移動している感じというのでしょうか。紗倉さんはどうやってお話を広げていくんでしょうか?
紗倉 私はふわっと想像して、一番印象的だったシーンをただやみくもに書き始めて、そのシーンがつながるかどうかをDJみたいに試しながら書いていく感じです。プロットや綿密な構成を立ててもそこから外れていってしまうんですよね。「こんなにうまくことが運んだら変かな」「あまりにもエンタメに寄りすぎちゃったな」とか、考えているうちにわからなくなることもしばしばです。
──「最低。」は2016年、「凸凹」は2017年、「春、死なん」は2020年と、紗倉さんはコンスタントに作品を発表されています。AVの撮影やニュース番組への出演などもされていらっしゃるのに、「紗倉さん、いつ小説を書いているんだ……!?」と驚いているファンも多そうです。
紗倉 年末年始に一気にやっています。年末って、世の中の動きや人の気配が少なくなる時期じゃないですか。人が動いてるときにはなんだかあんまり書けなくて、年末のような静かなときに「これを書きたい」と1年くらいもやもやと思っていたものを断片的に書き出してみる。でも、第1稿を編集の方に渡すといつも首をかしげられている雰囲気があるんです(笑)。だから第1稿をいったん持ち帰って、全部書き直します。視点を変えたり描写の入れ替えをしてみたりした第2稿が、本当のスタートというか。試練のように、毎回第1稿を書きながら「きっとボツになるんだろうな」とどこかで感じています。
岩田 でもきっと「たぶんやり直しになるんだろうな」と思いながら見せるのも、紗倉さんのひとつの行事なんですよね。出さないと第2稿もないわけですから。
紗倉 本当は第1稿からクリアできるようなものを書けるようになれば、ようやく自分は書きたかったものをきちんと人に読んでもらえる形で成立できたんだと思えるんでしょうけど、いつもその調子です。
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どこまでをファンタジーとして押し通せるか