メロディ特集 第2回「魔法にかかった新学期」超常現象専門誌・ムー編集長 三上丈晴|神代文字、あわのうた、埴輪… 読めば“和ものの魔法”にかかる、王道のスクールラブコメ

1979年のデビュー以来、LaLa(白泉社)で「荒野の天使ども」「彼方から」などヒット作を生み出してきたひかわきょうこ。「お伽もよう綾にしき」の連載中にメロディ(白泉社)に移籍し、2016年からは同誌でハイスクールファンタジー「魔法にかかった新学期」を発表している。連載当初、ひかわの12年ぶりの新作ということで大きな話題になった(参照:ひかわきょうこの12年ぶりの新作「魔法にかかった新学期」メロディで開幕)。また2019年、ひかわが画業40周年という大きな節目を迎えた際に、メロディで40周年記念小冊子を付録にするなど誌面をあげてお祝いしたことも記憶に新しい。

メロディの魅力を深掘りする、コミックナタリーの本特集でも「魔法にかかった新学期」をピックアップ。オカルトテイストの「魔法にかかった新学期」にちなみ、超常現象専門誌・ムー(ワン・パブリッシング)の名物編集長・三上丈晴に同作を読んでもらい、感想を聞いた。ひかわも三上編集長のファンとのことで、コメントをしたためてくれた。ぜひインタビューと併せてチェックしてほしい。

取材・文 / きっかけキッチン 撮影 / 石橋雅人

「魔法にかかった新学期」

左から“とにかく明るいオカルト研究会”の部長・円城護、さっぱりとした性格の押方咲良、気さくで琴美を何かと気にかける宇野隆介、主人公の一ノ宮琴美、琴美の幼なじみで高校の新任教師・阿雲雅巳。

高校3年生の春、三葉高校に転校してきた主人公の一ノ宮琴美はちょっぴり霊感の強い女の子。幼い頃に離れ離れになった阿雲雅己(まーくん)が、日本史の教師として三葉高校に赴任してきたことから、2人は運命の再会を果たす。しかし、とある出来事をきっかけに、琴美と阿雲、そして同じ学校の生徒3人は異空間へ飛ばされて……。

作品のカギを握るのは、「こっくりさん」「埴輪」「呪術」、そして「ヲシテ文字」と呼ばれる古代文字など、なんだか不思議なものばかり。ひかわきょうこの真骨頂である甘酸っぱい恋のお話とオカルトの要素が見事に融合した学園ファンタジーだ。

ムー編集長・三上丈晴インタビュー

ムー編集長も認める「学園ラブコメファンタジーの王道」

──早速ですが、三上編集長は少女マンガをお読みになることはありますか。

少女マンガ風の絵を描く三上編集長。

最近はあまり読む機会に恵まれませんが、実は小学校高学年ぐらいのころにマンガ家を目指していたことがありまして。Gペンやらインクやらといった定番の道具を揃えてマンガクラブに入っていましたね(さらさらと手元の紙に少女マンガ風のイラストを描き上げる三上編集長)。

──とっても絵がお上手です……!

当時はマンガ家になるためのハウツー本も出ていたのですが、「マンガ家を目指す人向け」というよりは、「少女マンガの描き方」がメインという感じのものが多くて。中には美内すずえ先生の「ガラスの仮面」の第1話がまるまる載っているというようなものもありましたから、自然と目にはしていました。

──週刊ヤングジャンプ(集英社)主催の「オカルト漫画賞」審査員に抜擢されるなど、マンガとも縁が深い三上編集長に、今回読んでいただいたのは「魔法にかかった新学期」。ひかわきょうこ先生が2016年からメロディで連載しているハイスクールファンタジーです。こっくりさん、埴輪、呪術、そしてヲシテ文字といったムー的なオカルト要素もある作品ということで三上編集長に感想を伺いたいのですが、お読みになっていかがでしたか。

「魔法にかかった新学期」1巻より。幼い頃に離れ離れになった阿雲と再会を果たした主人公の琴美。

正統派少女マンガの雰囲気はそのままに、よき時代の高校生のキャンパスライフが描かれているので、安心して読める一作だと感じました。正統派としての「変わらないものは変わらない」というような、ある意味レトロな良さがあるんですよね。

──そうですね。ひかわ先生らしいほんわかとした主人公で、懐かしさも感じる学園生活が描かれています。

ええ、オカルト的ではあるんだけれども、基本的には少女マンガ風の恋愛事情が展開されていて、まさに学園ラブコメファンタジーの王道と言える作品です。ドラマなど、実写化しても面白そうだなと思いました。

──オカルトをテーマにした作品は数多くありますが、本作ならではの特徴を挙げるとしたらどんなところになるでしょうか。

ズバリ“和ものの魔法”をテーマにしているところですね。「魔法」と聞くと、魔法円を書いて天使を召喚するとか、ワンド(杖)を振って呪文を唱えるといった形で、西洋魔術を思い浮かべる人が多いと思います。しかし本作では、高校のキャンパスを舞台に“和の呪術の世界が展開されている”という点が、ユニークで面白いんですよね。それに“和風の呪術”を取り扱った作品といえば、必ずと言っていいほど陰陽師がストレートに出てきますが、本作には陰陽師が登場せず、ちょっとしたサイキックが積み重なることでお話が展開されるという構成になっているので、そういうところも気に入っています。

鍵を握る謎の古代文字「ヲシテ文字」とは

──1巻では5人のキャラクターが偶然“埴輪のフィギュア”を手にしていたことから、異空間へと迷い込みます。埴輪にはヲシテ文字と呼ばれる古代文字で「地」「水」「火」「風」「空」の意味を持つ字がそれぞれ刻まれており、主人公の琴ちゃんが持つ埴輪の文字は「時間と空間を操作する」という「風」。ほかのキャラクターも、文字ごとにさまざまな能力を引き出してピンチを切り抜けましたが、こうした設定についてはどう感じられましたか。

さらさらとヲシテ文字を書く三上編集長。

古代日本で使われていたという説がある神代文字の一種・ヲシテ文字を、「地」「水」「火」「風」「空」の五大(※)に見立てるという、ひかわ先生独自の解釈でお話が進んでいくのは面白いポイントだと感じました(手元にあった紙にすらすらヲシテ文字を書いて見せる三上編集長)。

(※)五大……5要素があらゆる世界を構成しているとする仏教の考え方。

──ヲシテ文字を何も見ずに書けるなんて、さすがムーの編集長です。最初のクライマックスである2巻の見どころは、なんといっても日本最古の叙事詩「ホツマツタヱ」に記された「あわのうた」を主人公たちの力で完成させるというシーンですが、三上編集長はこの場面をどう読み取りましたか。

イザナギ・イザナミが世の乱れを正すために唱えたとされるうた「あわのうた」をベースに、本作では「あいうえお」の48文字それぞれに“神が宿る”という考えで文字をマトリクス的に解釈していくのですが、50音を校舎の形状とリンクさせて立体的に見立てたという点には驚かされました。ヲシテ文字をきっかけに超古代へさかのぼるという発想も、神代文字についての伝承や神代文字によって綴られた文章が収録されているという超古代史「古史古伝」(※)の捉え方の1つとして見事ですし、そもそも呪術によって学校に閉じ込められるという展開が面白いですよね。

(※)「古史古伝」……「上記」(うえつふみ)などいくつかの文書が見つかっているが、後世に制作された可能性があるとして、偽書が疑われているものもある。

──「50音のマトリクス」というお話が出ましたが、マトリクスが生み出す力にはどんなものがあるのでしょうか。

「魔法にかかった新学期」2巻より。琴美は学校なのに自分たち以外誰もおらず、化物も出る異空間に閉じ込められてしまう。「あわのうた」を完成させ、無事脱出することはできるのか。

例えば「縦・横・対角線のいずれの列も合計が同じになるように、3×3のマスの中に1~9の数字を入れなさい」という問題を見たことはありませんか。これはいわゆる3次魔方陣と呼ばれるもの(通称:三方陣)で、三方陣の場合はすべての列の合計が「15」になるように数字を埋めるのですが、これを書くだけで呪術魔法、つまり封印護符になると言われているんですよ。

──マトリクスが使われている分野で、一般によく知られているものはありますか。

特によく知られているのは風水です。東が青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武ですね。例えば大相撲でも、つり屋根から四隅に垂れ下がっている布、四房(しぶさ)に、青、赤、白、黒の4色が使われており、これで四季と四神を表していると言われています。さらに真ん中に位置する土俵に黄色い土を配置することで、丸い土俵は陽、それを囲んだ四角が陰になります。こうした状態を陰陽五行(いんようごぎょう)と呼ぶのですが、意外と知らないうちにこういうものが生活に溶け込んでいるんですよね。そのあたりを勉強していくと、さらに本作が面白くなるかもしれません。

──確かに私たちも知らず知らずのうちにそうした力に触れたり、守られたりしているのかもしれませんね。本作ではナビゲーター的な役割として埴輪が登場します。ファンからは「かわいい」と好評なキャラクターなのですが、三上編集長はどういった感想を持たれましたか。

「魔法にかかった新学期」1巻より。琴美はガチャガチャで埴輪をひくが、それはミニブックにも載っていないタイプのもの。琴美以外の同級生や阿雲も、同じ埴輪を持っていて……。

本作に登場する埴輪は、“両手を挙げている”点がひかわ先生オリジナルでユニークだなと思いました。よく「踊る埴輪」と言われたりしますが、埴輪は基本的に片腕を挙げて、片腕を下ろしているんですね。そして、埴輪が腕を挙げている側には必ずセットで馬の埴輪がいるんですよ。これはどういう意味か。埴輪が馬の手綱を引っ張っているということなんです。よくお祝いごとなどで「餞別(せんべつ)を渡す」と言ったりしますが、「餞」という字は「はなむけ」とも読みます。これは文字通り「鼻をそちらの方に向ける」ということから来ていて、「馬の鼻を向ける」=「これから旅立つ」ということを表すと言われています。

──それは知りませんでした。だから埴輪が墓である古墳から出土するんですね。もう少し埴輪に関するオカルトトリビアがあればぜひ教えていただきたいのですが……。

埴輪の“はに”ってなんのことかご存じですか? 実は赤土のことなんですよ。例えば「羽田」という地名がありますが、これも赤土がよく出ることから呼ばれた「はにだ」が語源だとする説があります。その赤土をヘブライ語ではアダマーといいます。最初の人間アダムは赤土から作られました。人形の埴輪はアダムに見立てることができ、日本神話ではイザナギに相当します。

──埴輪ってけっこう奥深い存在ですね。本作にはユニークで魅力的なキャラクターが多数登場します。例えば主人公・琴ちゃんの思い人、まーくんこと阿雲はいわゆる“視える人”ですが、“視える”とはどんな感じなのでしょうか。

三上編集長

一般の方やメディアは、「視える人はなんでもできる」というように、その力がオールマイティな能力だと思っていることが多いのですが、霊能者やサイキックはアスリートのようなものなので、人によっていろいろな技があるんです。わかりやすく言うと、「陸上」という競技でも「徒競走」なのか「幅跳び」なのかで、全然ジャンルの違う競技じゃないですか。それと同じで、「視える人」であっても全員違う視え方をしているんですよ。

──となると、作中では化物が登場しましたが、琴ちゃんとまーくんでは“違う視え方”をしていたかもしれないということですね。そう考えると「魔法にかかった新学期」がさらに面白くなります。

現実の世界でも幽霊なるものがいる場所に、霊能者を2人呼んだとしても、同じものが見えるかと言えば、1人は人の姿の幽霊を見て、1人は妖怪のようなものを見るということもありますし、2人とも同じものが見えるという場合もあります。例えば妖怪でも、カッパなど特有の形のあるものが実際に霊的に存在している可能性はありますが、「狐に視える」という話が昔からよく聞かれますよね。これはどちらかというと「狐として視えている」という状態であって、果たしてその実態が狐なのかどうかは、あまり関係ないんです。

──というと、どういうことなのでしょうか。

“得体のしれないものを見たとき、人は脳の中で狐に置き換える”ということです。脳が置き換えるものは文化によっても違いますし、訓練によっても変わってきますが、日本では古くから「狐憑き」という言葉がある通り、得体のしれないものは「狐」としてきたこともあり、狐に見える場合が多いのでしょう。

──だから日本の怪談には狐がよく出てくるんですね。そういえば、ひかわ先生の前作「お伽もよう綾にしき」でも大狐のもののけが重要なキャラクターとして登場しました。狐以外にも「魔法にかかった新学期」に登場したような化物として見える場合もあるのでしょうか。

そうですね。人が“モヤモヤした何か”を感じたとき、脳は第六感を五感でしか表現できないので、五感に変換すると言われています。ですから中には視えるのではなく、「生臭い」とか匂いで感じる人もいます。もちろん物理的にはなんの臭いも発生していないんですがね。男性と女性でも物の見え方が違ったり、年齢によって聞こえる音聞こえない音があったりしますから、視え方、感じ方に個人差が出るのはむしろ自然なことだと思います。