「チ。―地球の運動について―」で一躍その名を世に知らしめた魚豊の連載デビュー作「ひゃくえむ。」。100m走の世界で最速に挑む男たちの情熱と狂気を描く同作は、9月19日に劇場アニメ化され、さらなる注目を集めている。そんな「ひゃくえむ。」が、アンダーアーマーのランニングシューズ「UA Infinite」とコラボレーション。全国のABCマートではキャンペーンが展開されている。
コミックナタリーではこのタイミングに合わせ、魚豊へのインタビューを実施。「ひゃくえむ。」とのコラボや、「UA Infinite」を実際に履いてみた感想はもちろん、「単行本化される予定もなかった作品」だったという「ひゃくえむ。」が、予想もしない形で波及し、広まっていくことについて、現在の心境を明かしてくれた。
取材・文 / ナカニシキュウ
こんなことになるとは思っていなかった
──今回、アンダーアーマーのランニングシューズ「UA Infinite」と「ひゃくえむ。」がコラボレーションした広告キャンペーンが、全国のABCマート700店舗で展開されることになりました。
めちゃくちゃうれしいです。こんなことになるなんてまったく思ってもいなかったので、こういうのはシンプルにうれしいですね。ABCマートは学生時代に近所にあったんでよく行ってましたし、こんなご縁をいただけてありがたいです。
──作品の力があってこそ成立する企画だと思います。
いや、マジで皆様のおかげです。「ひゃくえむ。」はそもそも単行本にすらならない予定だった作品なんで、それがこんな一流企業様の広告に使っていただける日が来るなんて、本当に感慨深いですね。
──今日は実際に店頭で展開されるポスターや特典ステッカーなどの実物をご用意しました。マンガの中から厳選された印象的なコマやセリフがデザインされていますが、ご覧になっていかがですか?
「描いたなあ、昔」みたいな感じですね(笑)。なんか、もはや当事者意識がないです。客観的に他人事として「好きなセリフだな」と思うくらいで、自画自賛の感覚すらないというか。
──描いた当時の気持ちなどはあまり覚えていない?
いや、なんて言うんですかね……描いたのがもう7年くらい前だから、どういう気持ちで描いたかを鮮明に覚えているわけじゃないんですけど、ずっと同じようなことを考えてはいるんですよ。やっぱり“競争”みたいなものは世の中にあったほうがいいと思ってるし、その思いは年々強くなっていて。だから、それを描いた「ひゃくえむ。」という作品が今こういう形でコラボしていただけるのはめっちゃうれしいな、という感じですね。
──「競争みたいなものは世の中にあったほうがいい」というのは?
簡単に言うと「スポーツにはポジティブな競争の可能性があるな」という話なんですけど……というのも、大ヒットコンテンツの多くは戦争の構造を利用しているわけですよ。「ハリー・ポッター」もマーベルも「ONE PIECE」も全部そう。それはなぜかというと、背景に人の死が絡んでくるような“戦闘”に人の心が一番動くからですよね。物語を作るうえで暴力の魅力は半端ないわけです。ではそうじゃない形のコンテンツの形は何かというと、チル系。つまりハローキティや日常萌え4コマのような癒しコンテンツも一大勢力としてあって、「暴力」と「チル」その両極にだいたい大別できるわけです。それでいうと僕はやっぱり胸が熱くなるような競争が好きなんですけど、“戦う”ということに正直に向き合っていくと、突き詰めれば「俺たちが戦う正当性ってあるの?」みたいなところへたどり着いてしまう。報復が報復を生み、互いに疲弊していって「もとをたどれば俺たちも悪いんじゃね?」みたいな、“永遠なる反省と語り継ぎ”という結論になるしかないんですよ。それはそれですごくいい結論だと思うんですけど……。
──スポーツはそうではない、と。
今あるエンタテインメントの中で、大きく“殲滅戦ではない競争”“暴力ではない競争”を打ち出せるのがスポーツなんじゃないかと。僕は全然スポーツを知らないしやってもいないんですけど、スポーツって人間が根源的に持っている「競争したい」という本能を、あるルールの中で競わせてオチをつける形で発散させるものですよね。そこに殲滅や死は基本的に絡まないし、でもそこで行われている競争は本気のもので、トップレベルにおいては競技者が人生のすべてをそこに懸けている。そういうものはすごくいいなと思うんです。
──言うなれば“誰も死なない本気の戦争”がそこにあると。
もちろん、スポーツと戦争のアナロジーはあまりに単純で、穴も多い。でも、やっぱり、真剣に競争することを肯定する領域って今はかなり少なくなっているわけですよ。真剣だからこそ、卑怯な格差はタブーで、フェアプレイを徹底する。ルールを考える。こういう、格差を生むのを目的とした競争だからこそ、平等なルールが要求されることとか、作る人、やる人、見る人、みんな必死で本気でやってることとか、この一連の現象すべてが、けっこう好きですね。
──まさに「ひゃくえむ。」はそこを描いていますよね。争いがもたらすものというよりは、争いそのものの美しさが主眼になっている。
そうですね。やっぱりそういうのがいいな、という思いは年々強くなっています。だからこそ、こうやって一流のスポーツメーカーさんに「ひゃくえむ。」を選んでいただけたことはすごく光栄だし、本当にうれしいです。
中身はハイテク、見た目はシンプル
──今回「ひゃくえむ。」とのコラボ広告で売り出される「UA Infinite」ですが、実物をアンダーアーマーさんにご用意いただきました。こちらになります。
(実物を手に取って)おお、キレイ。「中身はハイテク、見た目はシンプル」って感じが今風でいいなと思います。普遍性があるというか、僕はテックなのが好きなんですけど、でもあんまり見た目がハイテクすぎると履く人を選ぶから、これはみんなが使いやすそうなシューズだなと思いますね。
──魚豊先生自身は普段、どんなふうに履く靴を選んでいますか?
どんなふうに……繰り返しになっちゃいますが、ハイテクっぽいものは「いいな」と思いがちではありますね。ダッドシューズとか未だにめっちゃ好きで。まあローファーとかのローテクなものも履くし、何もかも好きではあるんですけど(笑)。
──機能面についてはどうですか?
もちろん、歩きやすさは気にします。だからデザインが好きで買ったけど歩きにくい靴の場合、別メーカーの歩きやすいインソールに入れ替えるみたいなことはしょっちゅうやってますね。世の中には歩きにくい靴が多すぎるんですよ。「ふざけんなよ、こんなの歩く用じゃねえだろ! でもカッコいいからなあ……」みたいな。
──(笑)。靴は本来“歩く用”以外あり得ないはずなんですけどね。
ですよね(笑)。まあ、だからこそ“歩く”ってことの解体や再解釈に挑戦するデザイナーさんたちの開拓心には敬服ですが、でも、歩きやすいスニーカーがブームになったりするのは非常に合理性を感じますね。
──もしよければ実際に「UA Infinite」を履いていただいて、感想を伺えたらと思うんですが……。
えー! いいんですか? すごい、そんな仕事あるんだ(笑)。僕は別に靴の専門家でもなんでもないんで、何か言えることがあるとも思えないですけど……。(試着して)あ、履き心地いいっすね。なんか、ふわふわしてます。めっちゃ軽いし、今日履いてきたスニーカーより全然歩きやすいです。いや、これいいっすね。
──こちらはランニングシューズではあるんですが、普段使いもしやすいカジュアルさも兼ね備えたモデルになっています。先生は普段、走ったりすることはありますか?
一般的な“走る”では全然ないんですけど、本当に時々、自暴自棄的に息が切れるまで全力疾走したりすることはあります。
──なるほど(笑)。
なんか急にすごく走りたくなるっていうか、走り出さずにはいられないときがあるんで。このシューズだったら全然その用途にも応えてくれそうですね。いやホント、ただの素人なんで評価するのもおこがましいですけど……。
──この「UA Infinite」は、どんな人に薦められるアイテムだと思いますか?
そこにいらっしゃるアンダーアーマーの社員さんを差し置いて、今さっき初めて履いた僕が言うのもおこがましいですが(笑)。ただまあ、実際に履かせていただいて負担なく走り出せそうな感触はありましたし、歩きやすい靴が好きな人にはめっちゃいいんじゃないですか? つまり全員ってことですけど。
──歩きやすい靴が好きじゃない人は存在しないでしょうからね。
そうそう。もし「このコラボ広告がきっかけでこれを買いました」って言われたらめちゃくちゃうれしいんで、「ひゃくえむ。」を好きで読んでくれている方は記念にぜひ。
──ちなみに、ABCマートにはよく行かれていたとのことですが、何か印象に残っている思い出などはありますか?
京都のABCマートでVANSのローファーを見つけて、珍しい色だったんでめっちゃ欲しいと思ったんだけどレディーズサイズしかなくてギリ履けなかった、みたいな思い出がありますね(笑)。もちろんこれからも全然行くと思うんで、今後ともお世話になりますって感じです。
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いい感じに実在の靴を登場させられたらいいな