魚豊×川島明×岩井澤健治、アニメならではの映像と表現にこだわった劇場アニメ「ひゃくえむ。」

劇場アニメ「ひゃくえむ。」が9月19日に劇場公開される。同作は、魚豊の連載デビュー作を原作に、100m走の世界で最速に挑む男たちの情熱と狂気を描く物語。監督は「音楽」などを手がけた岩井澤健治が務めたほか、メインキャストには松坂桃李、染谷将太、内山昂輝、津田健次郎ら豪華役者陣が名を連ねた。

コミックナタリーでは映画公開を記念し、魚豊と岩井澤監督、そしてかねてより魚豊ファンを公言する麒麟の川島明による鼎談をセッティングした。完成した映画を観て、「通じ合っているものが感じられてうれしかった」と喜びを明かす魚豊と、「圧倒的な作品。全員観てほしい」と素直に称賛する川島、そして「やりたいようにやらせてもらった」と振り返る岩井澤監督。原作者、監督、ファンという立場の違う3人に、劇場アニメ「ひゃくえむ。」の魅力をたっぷり語ってもらった。

取材・文 / ナカニシキュウ撮影 / 武田真和

こういう人が時代を作っていくんやろうなと(川島)

川島明 魚豊さんには以前、僕とかまいたち山内くんとでやっている「川島・山内のマンガ沼」という番組に来ていただいたことがありまして。そこで初めて会ったときに、思ってた半分ぐらいの年齢やったんでビビり倒したんですよ(笑)。「チ。」とか「ひゃくえむ。」の印象から、てっきり同世代ぐらいの作家さんかと思ってたんで。

岩井澤健治 わかる気がします。

魚豊 (笑)。

川島 そのときに、めっちゃ面白い人やなと思ったんですよね。今の時代って自信があっても表に出さない人が多いですけど、魚豊さんはそれを前面に出していて。言葉の端々から「全部自分の才能で切り拓いていきます」ぐらいの熱を感じて、こういう人が時代を作っていくんやろうなと。今日はそれ以来2回目になるんですけど、お話できるのをすごく楽しみにしてました。

川島明

川島明

魚豊 いやあ、そんなふうに言ってもらえてめっちゃ光栄ですよ。ありがとうございます。あのときは特に番組に出る予定じゃなくて、単に見学させてもらってただけなんですよね。そしたら収録中に急におふたりが話しかけてくれて、応答したものが放送に乗ったような感じで……。ああいう現場に行くのが初めてだったこともあって、個人的にはプロの芸人さんの凄味を感じました。雑居ビルの一室で収録しているのも驚きでしたけど。

川島 予算がないんでね(笑)。

魚豊 川島さんと山内さんが本番直前まで雑談していて、カメラが回った瞬間に「はいどーもー!」みたいな感じで、声も急に全然変わるんですよ。そういう“切断”がある世界の中で生きている人を初めて目の当たりにして、めっちゃ不思議な感覚でした。オンとオフってマンガ家にはないものなので、“本番”がある人の生き様ってすごいなと思いましたね。

岩井澤 僕が川島さんに初めてお会いしたときの印象は、とにかくテレビで見たまんま、めちゃくちゃ声がいいなと(笑)。5年前にラジオに呼んでいただいて……。

川島 そう、監督の過去作の「音楽」のときに出ていただいて。

岩井澤 当時は「音楽」の公開直前で、まだ世間からの反応が何もない状態だったので、最初に感想を直接聞かせていただけたのが川島さんだったんですよ。そのことにめちゃめちゃ浮き足立ってしまって、「すごいものを作ったのかもしれない……!」と思った記憶がありますね。

岩井澤健治

岩井澤健治

魚豊 いやいや、作ってます!(笑)

岩井澤 今回も「ひゃくえむ。」の公開前にこういう形でお会いできて、ご縁がつながってありがたい限りです。

川島 「音楽」に関しても、もともと大橋裕之さんの原作が好きで読んでいたんですけど、あれも映像化するのが難しそうな作品じゃないですか。自分が監督の立場やったらオファーが来ても断るやろうなと思うぐらい、マンガの時点で完成されていたんで。

魚豊 うんうんうん。

川島 それが映画になると聞いて正直不安もあったんですけど、実際観てみたらマンガとはまた別の色が1個ついていて、すごかった。ロトスコープという技法もそのときに初めて知りましたし、当てはめる音楽も全部想像以上のものになっていて。1個のミュージックビデオを観ているような感覚があったんで、番組ではそれを正直に伝えさせていただきました。すごい監督さんがおるもんやなと。

岩井澤 いやいや……(恐縮した様子で照れくさそうに頭を下げる)。

自分のやりたいようにやらせてもらいました(岩井澤)

川島 今回の「ひゃくえむ。」も映像にするのは難しい作品だろうなと思っていましたけど、“間”とか空気感、セリフのトーンなど、大好きな原作だからこそ「どうなるんやろ?」と思っていた部分が全部いい意味で想像どおりに映像化されていて。この原作をもう1回新たに読んだぐらいの感覚で心にスッと入ってきて、正直めちゃくちゃおもろかったですね。

岩井澤 ありがとうございます……!

劇場アニメ「ひゃくえむ。」ポスタービジュアル。

劇場アニメ「ひゃくえむ。」ポスタービジュアル。

川島 今回も走るシーンなどでロトスコープの手法を取り入れていますけど、実写をもとに1枚1枚描くわけだから、気が遠くなるほど大変な作業だと思うんですよ。そこにやっぱり魂が乗ってくるというか、観てるほうも思わず息を止めてしまうような緊張感がありましたね。

魚豊 なんか、「動いてる!」っていうすごさをまず感じました。走る表現にはやっぱりマンガとは違う映像ならではの感覚があるし、しかもそれがロトスコープによってリアルに描かれるんで。体の動きにちゃんと疲労が見える感じとか、慣性で急には止まれない感じとか……あと“背景をアニメーションで動かす”っていうのがそもそもめっちゃカロリー高い作業じゃないですか。それが1度や2度ではないのが本当にすごいなと思いました。

岩井澤 自分では「ちゃんとできただろうか」という思いがいまだにちょっとあって。というのも、この「ひゃくえむ。」という作品は魚豊さんの初期の作品なので、いい意味でまだ洗練されていないところが魅力だと思うんですよ。でもアニメ化というのは原作を改めて再構築する作業になるので、どうしてもそういう初期衝動的な“整っていない”魅力は削ぎ落とされてしまうところが出てくる。そこが難しいんですよね。

川島 なるほどねえ。

劇場アニメ「ひゃくえむ。」より。

劇場アニメ「ひゃくえむ。」より。

劇場アニメ「ひゃくえむ。」より。

劇場アニメ「ひゃくえむ。」より。

岩井澤 印象的だったのは、制作に入る段階で魚豊さんに自分が作った構成案を見ていただいたんですけど、意外と何も言われなかったことなんですよね。細かいニュアンスについていくつかご要望をいただいただけで、「それだけでいいんですか?」と思うぐらい(笑)。「全部ダメです」と言われるかなと思ってたんですけど……。

魚豊 岩井澤さんのような作家性のある監督さんに映像化していただけるというのがまずうれしかったし、その方がどういう選択をしようが、こちらが口を出すことではないと思うんで。基本的に自分が大事にしているポイントさえ共有できていれば、あとは何をやっていただいても……というか、むしろ自由に実験していただいたほうが意味のあるものになると思って。

岩井澤 なので、かなり自分のやりたいようにやらせてもらったんです。それが果たしてよかったのかどうかは、完成した今でもまだちょっとわからないんですけど。ただ、今魚豊さんもおっしゃったとおり、原作の芯になる部分は絶対に動かしちゃいけないという意識は強く持っていました。その核さえ見失わなければ、構成上の要素を入れ替えたり、特定のセリフをしゃべるキャラクターを変更したりしても成立するだろうと。変えていい部分と変えちゃいけない部分というのは、自分の中で自然と線引きができていたと思います。たぶん、それが魚豊さんの感覚ともそんなにズレていなかったのかなと。

魚豊 うんうん。特定の層に向けた媚の売り方をするような改変でさえなければ、映像の素人である僕が口を挟むべきことは何もないんで。

劇場アニメ「ひゃくえむ。」より。

劇場アニメ「ひゃくえむ。」より。

劇場アニメ「ひゃくえむ。」より。

劇場アニメ「ひゃくえむ。」より。

岩井澤 わかりやすいところで言うと、絶対にやっちゃいけないのは恋愛要素を入れることですね。例えば劇場版でだけ浅草とトガシに何かを匂わせるような演出を加えたりするのって、商売的には常套手段ではあるんですけど、そんなことをしたら魚豊さんは激怒していたと思います。

魚豊 (笑)。

川島 確かに「ひゃくえむ。」で急に恋愛を見せられたら、ファンの人も「あれ?」ってなりますよね(笑)。

岩井澤 だから、ちょっとでもロマンスを感じさせるような要素は徹底的に排除するよう心がけましたね。匂わせるだけでもアウトだと思っていましたから。

マンガと映像で一番違うところは?

川島 やっぱり映画というのは尺がある程度決まっているものだと思うので、5巻まである原作のどこを描いてどこを描かないかという判断はすごく重要になってきますよね。2時間尺に収めるためにカットしている原作の要素はもちろんたくさんあるんだけど、僕はすごく自然に感じました。しかも面白いのが、間を取るところは逆にめっちゃ取るじゃないですか。

岩井澤 そうですね(笑)。

川島 どうしても不安になって音楽やセリフで埋めちゃいがちなものだと思うんですけど、無音で観客を“待たせる”シーンがけっこうある。そこで僕ら観ている側の人間は心臓の鼓動が早まっているのに気づいたりしますし、感情の整理をさせてもらえるというか。「音楽」もそうなんですけど、その“余白”を置いてくれるところが岩井澤監督のすごさだと思いますね。

川島明

川島明

魚豊 そういう時間の表現って、マンガと映像で一番違うところで。マンガの時間ってめっちゃ自由なんですよね。例えば100m走だったら、ゴールするまでの10秒をどこまで微分的に拡大して描いてもいいし、読者の人もそれぞれの時間感覚で違和感なく読み取ってくれるというメディア特性がある。それに対して映像における10秒は絶対的に10秒であって、キャラクターが感じている10秒と観る側が感じる10秒が一致するわけです。それはマンガでは絶対にできないことなので、映像ならではの魅力だなと思いましたね。

岩井澤 「ひゃくえむ。」は10秒という時間に懸ける男たちの物語なので、その“10秒という時間”を観てる人にも体感してもらいたいというのはけっこう意識していました。すべてではないですが、試合のシーンによっては本当にほぼ10秒、長くても13秒とか15秒に収めるようにしています。そこへ至るまでの準備にかける時間は長いけど、試合自体は一瞬というのが100mという競技の醍醐味でもあると思いますし。

魚豊 うんうん。

岩井澤 競技の特性ということでいうと、原作にあった仁神がフライングで失格になっちゃうシーンは本当は入れたかったんですよね。何年間も積み上げてきたものが一瞬で失われて、試合すらできずに終わってしまう。そういう残酷なスポーツでもあることが描かれるシーンなので……ただ、それを入れるとなると前後にもドラマを足さなければいけなくなるので、構成的に難しいという判断で泣く泣くカットしました。

岩井澤健治

岩井澤健治

川島 でも、その“何を描かないか”というバランスがめっちゃ絶妙やなと思いました。最後のオールスターみたいな勝負のところとかも、原作ではけっこう前段階の選手同士のやり取りが描かれるんですけど、映画では割とスッキリしていて、いきなり試合に行くじゃないですか。その潔さは観ていて気持ちよかったなと。

魚豊 モノローグを潔く排除してくれていたのもめっちゃよかった。1年半前くらいに、その時点でできているところまでを一度通しで見せてもらう機会があったんですよ。もちろんまだ全然未完成の状態だったんですけど、「うわ、ここであのセリフがモノローグで入ってきたらちょっとクドいよな……」と思った瞬間があって。そしたら切ってあったんで、よかったーと思って(笑)。「切ってほしい」と言わずとも最初から切ってくれていたのが、何か通じ合っているものが感じられてうれしかったですね。