「チ。―地球の運動について―」の最終8巻が発売された。同作は地動説という真理の証明に命を懸ける人間たちを描いた物語。「マンガ大賞2021」の第2位、「次にくるマンガ大賞2021」のコミックス部門第10位、「このマンガがすごい! 2022 オトコ編」の第2位、そして「第26回手塚治虫文化賞」の大賞など数々のマンガ賞を受賞した、シリーズ累計発行部数250万部を突破する話題作だ。また先日、同作のアニメ化も発表された(参照:魚豊「チ。―地球の運動について―」アニメ化!制作はマッドハウス)。
最終巻の発売を記念し、コミックナタリーでは魚豊と同作の大ファンという声優・津田健次郎の対談をセッティング。マンガ界で今勢いに乗る24歳の魚豊と、声優界の第一線を走り続ける51歳の津田は、年齢こそ離れているがクリエイター同士として共鳴し合う。津田が「このマンガが若い世代から熱く支持されていることが、僕にとって大きな希望」とまで言う「チ。」の魅力とは。そして魚豊は「チ。」を描くことで感じたかったあるものの答えに辿り着く。
取材・文 / 大谷隆之撮影 / 斎藤大嗣
悪の自覚なき悪は、描きたかったテーマの1つ(魚豊)
津田健次郎 単行本最終8巻の発売と「手塚治虫文化賞」史上最年少受賞、おめでとうございます! 実は僕、単行本1巻の発売当初から「チ。」にドハマリしておりまして。「こんなにも知的で熱くなれるマンガはほかにない! 1人でも多くの人に読んでほしい!」と周囲に言い続けてきました(笑)。だから今日は、お目にかかれて本当に光栄です。
魚豊 いえいえいえ、こちらこそです! 僕も以前から津田さんの大ファンで、いろんなアニメや洋画、ゲームなんかでお声に親しませていただいてきたので。自分が今こうして、あの「DEATH STRANDING」のサム(・ブリッジズ)と向き合っている状況が信じられない。まだ夢見心地と言いますか。
──津田さんは最近、テレビ番組で、「アニメ化したら絶対演じたい役」として「チ。」の異端審問官ノヴァクを挙げておられましたね。
津田 ノヴァク、めちゃくちゃ好きなんですよ。生身の役者と同じで、マンガのキャラクターにも“華”のある人とない人がいると思うんですけど、あの男は強烈に人を惹き付ける何かを持っている。それもポジティブな方向性じゃなく、いわば“悪の華”なんですよね。それでいてステレオタイプな悪役とはまるで違うところが面白い。悪の存在って視点の置き方によって変わってきますが、彼の場合、自分が悪だとは微塵も思ってないでしょう。
魚豊 まったくその通りです。言ってみれば、悪の自覚なき悪。それって実は、僕が「チ。」で描きたかったテーマの1つでもあるので。おっしゃっていただけてすごくうれしい。そのテレビ番組で「チ。」にアフレコされてる映像も拝見しましたが、津田さんのお芝居がまた素晴らしくて。それこそ生身のノヴァクが立ち上がってくる気がしました。いわゆる“作品が独り立ちする”瞬間はこんな感じなのかなって。それで今日は、ぜひいろんなお話を直接伺ってみたいなと思ったんです。
津田 いや、ホッとしました。テレビの企画ものとはいえ、原作者の先生がどう受けとられたのか、ドキドキしながら来たので(笑)。
魚豊 で、いきなりの質問で恐縮なんですが(笑)、例えばマンガ原作をアニメ化する際、声優さんは読者であると同時に演じ手にもなるわけですね。おそらく優れた演技者には、キャラクターに自己同一化する才能と、自分を客観視する才能がどちらも必要じゃないかと思うんですけど、そのバランスなり距離感について、津田さんご自身はいかがですか?
津田 そこは作品ジャンルによってもかなり変わってきますね。アニメの場合、どうしても画が芝居を規定すると言いますか。実写の映画やドラマと違って、簡略化された口の動きに声を合わせる必要がある。その意味ではあまり感情に流されず、自分という乗り物を冷静に操縦している感覚が強いかもしれません。テレビ企画のノヴァクに関して言うと、扉を開けた彼の「どうもー」という第一声。このトーンですべてが決まる気がしていて。(※1巻、107P)
魚豊 ああ、そこは僕もまったく同じことを感じました。津田さんの声って、本当に独特というか。何というか、いい意味で胡散臭い。
津田 はははは(笑)。ありがとうございます。
魚豊 たった一瞬で、人為的に胡散臭さを創り出せるのって、すごい技倆だと思うんです。あの映像で言うと、「どうもー」のひと言に込められた気怠さとか、虚無感みたいなものが、まさに伝わってきた。世界観は中世ヨーロッパ風になっていますが、最初から彼を“ただただ仕事をこなす、デキるサラリーマン”みたいなキャラ造形にしたかったので。
津田 そう! それ、すごくわかります。「チ。」という作品が画期的なのは、全編を通しての主人公が存在しないでしょう。根幹には天動説と地動説の対立構造があって。C教という宗教支配のもと、それでも地動説という絶対真理を求める者たちの意志が、言うなればリレー競争のバトンみたいに時代を超えて受け継がれていく。その中でノヴァクだけが物語に通底しているというか……真理に対立する世俗的価値観を一身に背負っている印象がありまして。
魚豊 ええ、まさにそうです。
津田 それこそ最終8巻ではっきり示されますが、彼こそが「チ。」という物語全体の柱になっている気がしました。このキャラクター、魚豊先生はそもそもどこから思いつかれたんですか?
魚豊 ナチスドイツに、アドルフ・アイヒマンという親衛隊員がいたんですよ。膨大なユダヤ人をアウシュビッツの強制収容所に移送した担当者なんですが、もともとのイメージは彼から採りました。
津田 あああ、なるほど。なるほどね。
魚豊 そうなんです。ハンナ・アーレントという、戦時中アメリカへ亡命したユダヤ人哲学者がいまして。全体主義の研究で有名なんですが、彼女が戦後、イスラエルで開かれたアイヒマンの裁判を傍聴し、“悪の凡庸さ”という有名な言葉を残しているんですね。アーレントいわく、アイヒマンは決して狂信的な反ユダヤ主義者ではなかった。むしろ有能な中間管理職、もっと言えば組織の歯車として淡々と業務をこなしていたと。「自分にこの流れを止める力はない」という思考停止と、「結局は仕事なんだから、効率的にこなすしかない」という極端な割り切り方が、僕にはすごくグロテスクに思えまして。
津田 同じ構図、現代日本でも普通にあるもんなあ。
魚豊 ええ。同じ状況に置かれたら、僕だって容易くそうなるかもしれない。自分の身の安全を守るために、おそらく声を上げられないだろうと。そういう人間の弱さに根ざした悪というのが、やっぱりストーリー的にはインパクトがあると思って。地動説を追求する主人公たちを追い詰める人物として、最初に考えたんです。
津田 ノヴァクは悪意の人じゃない。彼の中では、C教という宗教に基づいた社会秩序を維持することだけが大切で。だからこそ読んでいて、背筋がゾッとするリアルな怖さがある。そこに「チ。」というマンガの現代性があるのかなと、今お話ししていて改めて感じました。
知りたいという好奇心。この純粋な衝動が世界を変えてきた(津田)
津田 そもそも先生は、どうしてこの世界観を描こうと思ったんですか? 作品を生みだす根本的な衝動というのは?
魚豊 今お話しした“知性と暴力の関係性”みたいなものには、学生の頃から漠然と興味があったんですね。明確な理由は自分にもわかりませんが、たぶんその構造自体がはらむダイナミズムと危うさ、相反するようで実は密接、みたいなものに惹かれていたんだと思います。で、2019年まで「ひゃくえむ。」という短距離競争をテーマにした青春部活ものを連載してたんですが、これが完結した後、次はガラリと作風を変えて、もっとスリリングで射程の長い作品を描いてみたいなと。それでまず、関心のあった“知性と暴力”を主軸に据えようと決めまして。
津田 うーん、それもすごい話だなあ。
魚豊 それでいろいろ題材をリサーチするなかで、地動説が一番ぴったりじゃないかと思った。ざっくり言うとそういう流れです。
津田 天文学はもともとお好きだったんですか?
魚豊 なんとなく関心は持っていましたが、全然詳しくはなかったです。ただ、有名なガリレオ裁判とか調べてみると、地動説の成立過程って単純じゃなくて。今と違って宗教と科学の関係性も混沌としていたし。そもそも迫害があったかどうかを含めて、いろんな見方が成立しうるんですね。その複雑な歴史自体が、めっちゃエンタテインメントだなと。しかも、いかにもNetflixあたりが映像化してそうなネタなのに、意外と誰も取り上げていなかった(笑)。だったら自分自身が読みたいものを、思いきって描いてみようかなと。
津田 地動説を追い求める過程で、主人公たちはどんどんヤバイ状況に陥っていくじゃないですか。真理に近付くほどリスクが増すことは分かっているのに、でも止められない。そうやってメーターが振り切れていくドライブ感が、僕はたまらなく好きで。単行本の1巻でラファウという少年が、先人から託された観測データを燃やそうとする場面があるでしょう。身の安全を守るために。
魚豊 はい。
津田 ラファウはとても賢い男の子で、そんな研究に関わっても一文の得にもならないってわかっている。でも燃える書類を目にして、それこそ鬼の形相で火を踏み消すんですよね。知ってしまった以上、先に進むしかない。こういう純粋な衝動が世界を変えてきたんだなと、美しさを感じました。
魚豊 ありがとうございます。そこもまさに描きたかった部分で。マンガ表現における衝動って、従来エモーショナルな欲求として描かれることが多かったと思うんですね。例えば「君が好き」とか、「あいつに勝ちたい」とか。でも僕は、「何かを知りたい」という好奇心にも、実はそういう本能的なダイナミズムは宿っている気がして。好奇心の持つ暴力性、さらに言ってしまえば加害性って、「シンプルに物語として興味深くないか?」って。
津田 核開発に関わった科学者たちも、ダイナマイトを発明したノーベルも、たぶん根本は同じですもんね。そう考えると、改めて「チ。」というタイトルにグッとくる。地動説の「地」であり、真理の「知」であり、暴力の「血」でもあるという。でもこれ、海外展開するときはどうするんですか?
魚豊 外国語には訳せないですよね(笑)。でもまあ、日本語でしか成立しない言葉遊びというのも、それはそれでいいかなと。
津田 確かに。個人的にはぜひ、原題で押し通してほしい!