コミックナタリー PowerPush - 手塚治虫「火の鳥」
手塚治虫の超大作、四六版で登場 コージィ城倉が語る、大先輩の“好き勝手”
手塚先生の絵は、何気なく真似してしまう
──城倉先生が、手塚作品から影響を受けた部分はありますか。
やはり絵的な部分ですかね。例えば「ヤマト編」に出てくる、オグナが水の中に足を進めていくシーン。こういう絵は川崎のぼる先生も描くんですけど、よく見ると変な絵なんですよ。俯瞰で上から見ているのか、後ろから見ているのか、いまいちよくわからない。俯瞰で見ていたらこの人物って、もっと頭が大きくなるはずですから。
──ああ、言われてみると。
この絵全体は上から俯瞰しているように描かれているけど、人物だけは真後ろからの視点で描かれている。今のマンガだともっとこう、写真っぽいパースを付けてしまうんですよね。でも手塚先生のマンガを見ると、古きよきマンガのパースのつけ方を、すごくわかりやすく勉強できてしまう。ほかにも「未来編」で頻出する、1ページの中で視点を変えない、舞台劇のような演出があります。
今の編集者に「火の鳥」を見せたら
──城倉先生は、森高夕次のペンネームで原作者としてもいっぱい作品を発表されています。手塚先生の多ジャンル作家ぶりというのは、共通するものがあるように思えますね。
いや、僕なんか足元にも及ばないですけどね(笑)。でも確かに若干、そうなればいいなーとは思っています。
──城倉先生がそういったことを志向される理由は何でしょう。
僕の子供の頃の人気マンガ家って、何本も連載を掛け持ちしてて。だから1作品がめちゃくちゃ売れるよりは、色んな雑誌で何本も描いているほうが人気マンガ家っぽいなという印象があるんですよ。だから手塚先生みたいに一気に何本も連載できたら素晴らしいなぁっていう思いは、一応ありますね。あと懐の深さみたいなのも出せるじゃないですか。
──描き手としての、ということですか?
うん。本当はそんなに深くないんだけど(笑)、何本も描いてると「あいつ何か色々できそうだな」と思ってもらえるんじゃないかな、と。
──城倉先生が今後、「火の鳥」のように好き勝手に描く作品というのは考えてらっしゃるんですか。
うーん、どうでしょう……。今のマンガ編集者とマンガ家の関係や、世の中に出回っているエンターテイメントの感じからすると、ここまで遊ぶのは相当大変ですよね。規制だとか、読者へのウケとかすごく考えている中で……。
──保守的になってしまう部分が。
はい。「火の鳥」はウケとか考えていない瞬間がいっぱいありますからね。今のマンガ編集者に「火の鳥」を見せたら、「ちょっと先生ボツですね」って言われかねない気が……(笑)。
読むときにはスマホを片手に
──インタビューの最後に、「火の鳥」をまだ読んだことのない人に向けてメッセージなどお願いできますでしょうか。
実は僕、現代の読者に「火の鳥」は勧めにくいと思っているんですよね。
──なんと(笑)。それはなぜでしょう。
「アドルフに告ぐ」や「ブラック・ジャック」などと比較して、「火の鳥」は本当にインテリの、頭がよすぎる感じがあって。若干入りこみにくい部分があるように思えるんです。
──なるほど。
でも昔と今では、読む環境も違いますから。「火の鳥」を読んでいて、わからない言葉があったらすぐスマホで調べちゃえばいいんです。それこそ壬申の乱とか、すぐ調べられちゃうから。そういう意味では、現代こそ「火の鳥」を読むのにいい時代だと言えるかもしれない。
──確かに。「ここに描かれてることは何だろう」っていちいち本を紐解いて調べる手間はかからないですね。
だから「火の鳥」を読むときはスマホ片手に、調べながら読むとすごく読みやすいと思いますよ! これから読む人へのアドバイスでした(笑)。あと、「チェイサー」はじめ、僕の作品たちをよろしくお願いいたします。
以下続刊
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手塚治虫(てづかおさむ)
1928年11月3日大阪府豊中市生まれ。5歳のとき現兵庫県宝塚市に引越し、少年時代をここで過ごす。1946年、少国民新聞大阪版に掲載された4コマ作品「マアチャンの日記帳」で デビュー。1950年、漫画少年(学童社)にて出世作となる「ジャングル大帝」の連載を開始。以降「火の鳥」「リボンの騎士」といった歴史的ヒット作を連発し、人気マンガ家としての地位を確立した。1963年、自身の設立したアニメスタジオ「虫プロダクション」にて日本初のTVアニメとなる「鉄腕アトム」を制作。現代のマンガ表現における基礎を打ち立てた人物として世界的な知名度を誇り、その偉大な功績から“マンガの神様”と呼ばれ支持されている。1989年2月9日胃癌のため死去、享年60歳。
コージィ城倉(こーじぃじょうくら)
1963年長野県生まれ。1989年に週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)にて「男と女のおかしなストーリー」でデビュー。デビュー時から野球を題材にすることが多く、同年ミスターマガジン(講談社)にて「かんとく」、1995年に週刊少年サンデー(小学館)にて「砂漠の野球部」、2003年には週刊少年マガジン(講談社)にて「おれはキャプテン」など数々のヒット作を生み出している。一方で人間の暗い心理を浮き彫りにするような作品も手がけ、2002年にビッグコミックスピリッツで連載した「ティーンズブルース」では、ホストクラブにはまって転落していく女子高生を描き読者を驚かせた。また森高夕次(もりたかゆうじ)名義で原作も担当し、「おさなづま」「ショー☆バン」「ストライプブルー」「グラゼニ」「トンネル抜けたら三宅坂」などバラエティ豊かな作品を発表している。2012年よりビッグコミックスペリオール(小学館)にて「チェイサー」を連載。