コミックナタリー PowerPush - 手塚治虫「火の鳥」

手塚治虫の超大作、四六版で登場 コージィ城倉が語る、大先輩の“好き勝手”

手塚治虫の名作「火の鳥」が、小学館クリエイティブの復刊シリーズGAMANGA BOOKSから登場した。連載時のまま再現されたカラーページや扉ページを大きなサイズで楽しめるほか、全巻予約者への特典として手塚の講演CDなどが用意されている。

コミックナタリーではこれを記念し、手塚をマネしつづけるマンガ家を描いた「チェイサー」を連載中のコージィ城倉にインタビューを実施。「火の鳥」3巻に巻末エッセイも寄せている城倉に、手塚作品の魅力や自作への影響を大いに語ってもらった。

取材・文・撮影/安井遼太郎

「この作者は何を描きたいんだろう」と思うはず

──コージィ城倉先生が連載されている「チェイサー」は、手塚治虫を妙に意識しているマンガ家・海徳光市の行動や考えを通して、手塚治虫像を明らかにするという作品です。作中で主人公の海徳が、連載当時の「火の鳥」について「わけのわからん作品」と評していますが、これは城倉先生が考えられたことなんでしょうか?

コージィ城倉

はい。僕がタイムスリップしたとして、当時リアルタイムでこれを読んでいたら絶対「あれ? この作者は何を描きたいんだろう」と感じると思うんです。しかもその連載の時期を調べると、「リボンの騎士」といった人気作品を終わらせた直後。で、よくあることとして、人気作品を終わらせて変なのをやると、その編集者は文句を言うんですよ。現代の編集者から考えると絶対にそうです(笑)。

──確かに編集者からすれば、やっかみのひとつも言いたくなりますね。

コージィ城倉「チェイサー」より。主人公のマンガ家・海徳は「火の鳥」について「わけのわからん作品」と評する。

ええ。「あの先生もあんな人気あるの終わらせて、わけのわからないの始めて」と。そういうのは本当によく言われることなんですよ。僕という同業者がその時代にタイムスリップすれば、編集者っぽい視点も含めて、そういうこと言うんじゃないのかな、と。そういう想像を描いたシーンですね。

──「色の塗り方はキレイなんだよね」と海徳がひとりごちるシーンも?

そうですね。「エジプト編」とかの復刻版を見ると、うわーって、心が踊るような色づけをしているんですよ! 当時それを見た同業者も、やっぱりそういう風に思ったんじゃないかなと。

やっぱり「火の鳥」は小難しいなと

──実際に城倉先生が「火の鳥」と出会われたのはいつごろになるんでしょうか。

実はまともに全部読んだのは、40歳を越えてからだと思います。今50歳なんですが……そんなに若いころに読んだわけではないんですよ。手塚作品の中でも、かなり後に読んだと思います。

──それはなぜでしょう。

うーん、やっぱり傍目から見て難しそうで(笑)。食指が動かなかったんですよね。

──最初の手塚作品との出会いは、どのあたりになるんでしょうか。

やはり最初は、子供の頃に見たアニメ作品ですね。「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「ふしぎなメルモ」といった虫プロのアニメが、僕が物心ついたころから大量に出てきていたので。

「ふしぎなメルモ」

──マンガ作品はその後に?

ええ。小学館の学年誌に、手塚作品が連載されていたのを読んでいました。それこそ「ふしぎなメルモ」などが載っていた時期でしたね。その数年後にはチャンピオンで「ブラック・ジャック」が始まって。本格的なマンガを読み出したのはそのころだと思います。

──それから何十年か経って、最初に「火の鳥」を読まれたときの印象というのはどのようなものでしたか。

そうですね……やっぱり小難しいなと(笑)。“火の鳥”が別に出てこなくてもいいストーリーもあるじゃん! と思ったりしました。

──あはは(笑)。

実は僕は、「火の鳥」は「黎明編」と「未来編」で、作品としては完成していると思っていて。この2編で、おいしいところは描き切ってしまったんですよね。手塚先生本人が、大昔と未来を描いたうえで、その後は中間の時代の物語を描いていくとおっしゃっているんですが。

──エッセイの「『火の鳥』と私」などですね。

そうです。そうなると手塚先生本人も、次の「ヤマト編」は、描くのがかなり難しかったと思うんです。こんなこと言っちゃったはいいけど、次はどうしようという(笑)。その結果生まれた「ヤマト編」は、「火の鳥」の中でも変な物語になっていると僕は思うんですが。

「ヤマト編」より。唐突に挿入される、ギャグタッチの人生相談。

──変といいますと。

まず妙なギャグのオンパレードですよね。それでストーリーも取り留めがなくて……。軸になるオグナとカジカについてのエピソードを、もっとストレートに読ませてくれればいいのにと思っちゃう。

──なるほど。確かに「ヤマト編」には、変なギャグが頻出する部分がありますね。

「ヤマト編」に続く「宇宙編」は、話としてはすごくよくできているミステリーなんですよね。何があったんだろうと思うぐらい(笑)。僕はその後も、各編ごとに歪みというか、クオリティの差があると思っているんです。そういう部分も全部引っくるめて、「火の鳥」の読みどころだとも思うんですが。

「太陽編」は本当にしっちゃかめっちゃか

──ほかに思い入れのあるエピソードなどはありますか。

そうですね……例えば「異形編」は、タイム・パラドックスを題材にした作品として非常にオーソドックスな描き方をしていて、すごく面白いと感じました。あと「未来編」や「宇宙編」も好きですけど、あとはどうかなぁ……「太陽編」とかもう、本当にしっちゃかめっちゃかだと思うんですけどね。

「太陽編」より。壬申の乱を題材に、仏教と日本土着の神との戦いが描かれる。

──しっちゃかめっちゃか(笑)。

まず題材になっている壬申の乱ね。応仁の乱ならまだしも、壬申の乱なんて一般の読者はあまり知らないですよ(笑)。中身としては親族同士の殺し合いに主人公たちが巻き込まれていくわけなんですが……基本的な設定があまりピンと来ないところに加え、未来と過去を行ったり来たりするこの構成。普通の人だったら、一読しただけじゃよくわからないと思います。

──確かに「太陽編」の構成や題材は、かなり実験的な要素があります。

普通に読んでると、頭に入ってこない。単純に僕の頭が悪いからかもしれないですが……(笑)。「太陽編」だけでなく、歴史的な舞台を扱った部分はそういうところがあると思います。

「復活編」の冒頭部分。

──では未来を舞台にした「未来編」「復活編」などは……。

うん、割とすっと読めちゃう。「復活編」も僕は大好きなんですが……冒頭で少年がエア・カーに乗ってて、それから墜落しちゃうシーン。あれはね、僕には円谷プロの「ウルトラセブン」に見えて仕方がないんです。ロボットが可愛く見えてそれ以外の生き物は岩みたいに見えちゃったり、変な未来都市とかが出てきたりとか……当時の昭和40年代から50年代に円谷プロあたりが作っていた特撮ものみたいな、あの雰囲気が「復活編」にはあるんですよ。それが大好きで。

──確かに、ちょっと安っぽい感じも含めてですね。

そう、「復活編」は、SFとしてはチープなんですよ。その反面、「宇宙編」なんかは非常に重厚なSFになっている。やはり手塚先生の頭の中にはSFのあらゆるデータが入っていて、色んな所から引き出して描いているんだなあと。……とまあこのように、SF方面に行ったのはすごい楽しませてもらえるんですけどね。

──なるほど。そういったごった煮感が、「火の鳥」の魅力のひとつかもしれません。

COMに発表されていたというのも、大きな影響を与えていると思います。COMはもう手塚先生の雑誌だから、自由に何でもかんでもできちゃったんだと。締め切りも一番遅く設定してて。他社の雑誌は先にやっておいて、最後に自分が好き勝手やれるところで野放図にやってたんではないかと(笑)。

──(笑)。

COMで自由に描いていった結果、SFや歴史といったマニア向けの要素や、他の作品で入れられなかった要素が、「火の鳥」にはむちゃくちゃに盛り込まれているわけです。それを楽しむっていう意味では「火の鳥」はもう、最高の作品だと思いますね。

GAMANGA BOOKS サポート店

GAMANGA BOOKSのサポート店では、「火の鳥」1巻を購入の方に、貴重な未公開原画を使用した特製ポストカードセットをプレゼント。サポート店のリストは特設サイトにて確認を。

GAMANGA BOOKS 特設サイトはこちら

手塚治虫(てづかおさむ)

手塚治虫

1928年11月3日大阪府豊中市生まれ。5歳のとき現兵庫県宝塚市に引越し、少年時代をここで過ごす。1946年、少国民新聞大阪版に掲載された4コマ作品「マアチャンの日記帳」で デビュー。1950年、漫画少年(学童社)にて出世作となる「ジャングル大帝」の連載を開始。以降「火の鳥」「リボンの騎士」といった歴史的ヒット作を連発し、人気マンガ家としての地位を確立した。1963年、自身の設立したアニメスタジオ「虫プロダクション」にて日本初のTVアニメとなる「鉄腕アトム」を制作。現代のマンガ表現における基礎を打ち立てた人物として世界的な知名度を誇り、その偉大な功績から“マンガの神様”と呼ばれ支持されている。1989年2月9日胃癌のため死去、享年60歳。

コージィ城倉(こーじぃじょうくら)

コージィ城倉

1963年長野県生まれ。1989年に週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)にて「男と女のおかしなストーリー」でデビュー。デビュー時から野球を題材にすることが多く、同年ミスターマガジン(講談社)にて「かんとく」、1995年に週刊少年サンデー(小学館)にて「砂漠の野球部」、2003年には週刊少年マガジン(講談社)にて「おれはキャプテン」など数々のヒット作を生み出している。一方で人間の暗い心理を浮き彫りにするような作品も手がけ、2002年にビッグコミックスピリッツで連載した「ティーンズブルース」では、ホストクラブにはまって転落していく女子高生を描き読者を驚かせた。また森高夕次(もりたかゆうじ)名義で原作も担当し、「おさなづま」「ショー☆バン」「ストライプブルー」「グラゼニ」「トンネル抜けたら三宅坂」などバラエティ豊かな作品を発表している。2012年よりビッグコミックスペリオール(小学館)にて「チェイサー」を連載。