押山清高ロングインタビュー|作品と向き合うことは、自分と向き合うこと──創作の軸を育てた景色と最新作「赤のキヲク」

演出の道へ進むきっかけになった「スペース☆ダンディ」

──その後アニメの仕事に就くため福島を出て上京されるわけですが、しばらくはアルバイト生活だったそうですね。

1年半くらい渋谷の郵便局でアルバイトをしてました。その頃は苦しかったですね。福島出身だから周りに誰ひとり友達がいないし、安い時給でただ働いて、職場と家との往復しかない生活に、なんて無駄な時間を過ごしてるんだって。絵はおろか好きなこともできていない状況に「自分は今、人生の底辺にいるのかも」って感覚になったりもしました。なので、ようやくアニメの仕事ができるようになったときは、バイト時代に比べれば全然マシという感じで、そんなに精神的なキツさはなかったです。出来高制だったので、稼ぎの少なさはありましたけど、「もっと枚数を描くにはどうしたらいいか」って工夫したり、日々自分を成長させていく面白さがありました。

──今の押山さんの作画量・スピードから考えると、ジーベックにいた当時からさぞ優秀な新人だったんじゃないかと思いますが……。

いや、周りと比べると問題児だったと思います(笑)。どちらかというとルールのギリギリを攻めるタイプ。とはいえ会社としても「役に立つようになってくれたらラッキー」くらいの感じだったんじゃないかと思いますし、今自分がいるポジションのことを考えれば、そういうふうにやってきてよかったと感じています。

──その後ジーベックを離れ、「電脳コイル」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」「風立ちぬ」「鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星」など錚々たる作品に携わります。ご自身のターニングポイントになった作品を1つ挙げるなら何になるでしょうか。

いろいろありますが、監督になるためのターニングポイントという意味では、「スペース☆ダンディ」ですね。

「スペース☆ダンディ」キービジュアル ©2014 BONES/Project SPACE DANDY

「スペース☆ダンディ」キービジュアル ©2014 BONES/Project SPACE DANDY

──ボンズ制作の2014年のTVアニメですね。18話では押山さんが脚本から絵コンテ・演出、原画もすべて1人で担当されました。

ある程度1人で完結する今のスタイルの原型だと思います。当時、「自分はアニメーターに向いてるな」ってすごく感じてたんですね。アニメーターとしての仕事を受け続けて、アニメーターとして生きる道が全然あったし、将来が見えてたんです。そこから演出方面に舵を切ったのがこの作品で、若いときにチャレンジすることができてよかったなと。そういう行動力がなかったら、今もまだアニメーターの仕事だけでやっていたかもしれません。

──全部1人でやってみて、それを楽しいと思えたってことですよね。

そうですね。やっぱりアニメーターをやってると、不自由な部分にフラストレーションが溜まることもあるので、それまで不自由に感じた部分も自分で責任を持てる面白さを感じました。

「電脳コイル」磯光雄からもらった言葉

──もう1つ、35歳で現在代表を務めるスタジオドリアンを設立したことも、大きなターニングポイントだったんじゃないかと思います。

スタジオは作っておいてよかったなって、すごく思います。アニメーターをやっていると、なかなか起業という発想にはならないと思うんですが、弟が会社経営をやってたのもあって「やれるな」と思って。アニメ業界の既存のやり方の中で不自由さを感じたり、自分のやり方とチームのやり方とのミスマッチも出てきていたので、それが起業のモチベーションになりました。もともとグループで遊ぶのが苦手だから1人で絵を描いてたのに、みんなで仲良く絵を描いて作品を作っていきましょうというのは、自分の特性と正反対で、すごく大変だったんですよね。もっと自分のやりたい作り方がしたかった。「フリップフラッパーズ」で初めて監督をやってそういう意識がより芽生えたというか、自分のやりやすいチームで作りたいように作品を作れたらどうなるだろう、という気持ちがありました。

──仮に「自分で全部やるほうが早い」って思っても、なかなかそこから本当に全部自分でやろうとはならないですよね。

もちろん1人でやれる限界もありますし、その体力がいつまで持つのか、という問題もあります。そもそも商業アニメは昔から労働集約型の産業なので、自分たちもどこまでやれるかわかりませんけど、今後AIが発達したりテクノロジーの発展で、もっとやりやすくなるかなという期待はしていますね。

──押山さんはそういう自分の創作スタイルを守りたいという気持ちが強くありつつ、閉じている印象はあまりないというか。先日出版された著書の「作画大全」のように、ご自身の考え方や技術をすごくオープンにされますよね。

6月にKADOKAWAから発売された「作画大全 作画添削教室・押山式作画術増補合本 神技作画シリーズ」。実例付きの作画添削と、押山の来歴や作画思想を紐解いた豊富なテキストが収録された、充実の1冊だ。

6月にKADOKAWAから発売された「作画大全 作画添削教室・押山式作画術増補合本 神技作画シリーズ」。実例付きの作画添削と、押山の来歴や作画思想を紐解いた豊富なテキストが収録された、充実の1冊だ。

人に教えるのは意外と好きなのかもしれません。あとは自分でも、もっと理想の何かがどこかにあるんじゃないかというモヤモヤを、ずっと抱えてるのかもしれないです。アニメーターをやってても監督をやってても、なんかまだ物足りないし……みたいな。

──教える技術も高いと言いますか、“絵を描くこと”をここまでロジカルに言語化できる人もなかなかいないと思います。

それは後から獲得したものでしょうね。本来そういうのは苦手で、「なんとなく好き」「なんとなくカッコいい」くらいの感じで、アニメーターをやっていれば、絵が言葉を代弁してくれていたんですけど、作画監督をやり始めるとそれだけでは不十分になって。演出だとなおのことコミュニケーションがすごく重要になるので、ある程度ロジカルに説明できたほうがいいという環境に置かれるんです。もともとそんなに賢い人間じゃないので(笑)、自分も丁寧に物事を考えないと理解できないし、難しい言葉を使わないので、そういうのがわかりやすいと思われるんじゃないかな。

──極端な話、自分が教えることで、自分のようなアニメーターが増えたらいいなと思ったりはしますか?

いや、それは無理ですね。環境も違えば遺伝子も違いますし、時代も違うので。僕みたいなタイプが今の時代にうまくいくかというとわからないですし、あとはそういう人間を育てたところで、自分の力になってくれるとも思えない(笑)。

──なるほど(笑)。では逆に、押山さん自身がこれまでさまざまな先輩クリエイターとお仕事されてきた中で、何か印象に残っている教え、記憶に残る言葉があれば教えてください。

あんまり記憶力がいいほうではないんですが……「電脳コイル」のとき、磯光雄監督にサインを書いてもらったんですが、そこに「男は背中で語れ」というような言葉を書いてもらったことがあって。別に「ルックバック」につなげたいわけじゃないんですが(笑)。

──見事な伏線回収だなと思ってしまいました(笑)。

ではないんですけど(笑)。当時「電脳コイル」の現場に入ったのが24歳くらいの頃で、初めての作画監督で、むちゃくちゃな仕事をしてたんですよね。現場は僕の能力を買ってくれてはいたんですけど、自分としては周りがスーパーマンすぎて、決して優等生的な仕事はできなかった。でも最後に磯さんから「男は背中で語れ」と言われたのが、それまでの自分の不甲斐なさと重なって、「もっとがんばれよ」と言われてるようで、そのことはずっと今でも残っています。