作品へのリスペクトと新しさのバランスが神懸かり!と海宝直人が太鼓判「ウィキッド ふたりの魔女」

エンタテインメント超大作「ウィキッド ふたりの魔女」が、3月7日に全国ロードショーを迎える。本作はジョン・M・チュウが監督を担い、2003年にアメリカ・ニューヨークのブロードウェイで初演されたミュージカル「ウィキッド」を映像化した作品で、第97回アカデミー賞®では10部門にノミネートされ、衣装デザイン賞、美術賞を獲得した話題作。劇中では、のちの“悪い魔女”ことエルファバと、のちの“善い魔女”ことグリンダが学生時代に出会い、思いがけず深い友情を築いていく様が描かれる。

ステージナタリーでは、日本語吹替版キャストで、ミュージカル作品を中心に活動する海宝直人にインタビュー。海宝はエルファバとグリンダが通うシズ大学にやって来た、ウィンキー国の自由気ままな王子・フィエロの声を務めた。海宝がオリジナルの舞台版への思いや、フィエロの印象、そして“マニアックな視点”で捉える「ウィキッド ふたりの魔女」の魅力を語った。

取材・文 / 町田麻子撮影 / 平岩享

映画「ウィキッド ふたりの魔女」吹替版本予告 公開中

ミュージカルファン待望の映画化

──海宝さんは、オリジナルの舞台版「ウィキッド」を、これまで何度もご覧になっているそうですね。

テレビで放映されたトニー賞授賞式(2004年)でのパフォーマンスを観て圧倒されて、「これは絶対に観たい!」と思ったのが出会い。初めて観たのは劇団四季の日本初演(2007年)でしたが、1幕が終わったときに放心状態になってしまい、席から立てずに「こんな観劇体験があるんだ」と衝撃を受けたことを覚えています。それからは事あるごとに、ニューヨークやロンドンでも観ていますが、奇跡のバランスで出来上がっている作品だなと、観る度に思いますね。

海宝直人

──奇跡のバランスというと、具体的には?

まず脚本、音楽、演出の融合の仕方が本当に優れていますし、エンタテインメント性とメッセージ性のバランスも。決して説教臭くなく、物語がシリアスな展開になっても笑いのエッセンスが要所要所にあるんですが、最後まで観ると、良い意味で“モヤっとした何か”が残るんです。ただ「楽しかった」では終わらせず、「このモヤっとしたものは何だろう?」と観客に考えさせる、ストーリーテリングの秀逸さを毎回感じます。

──それだけ思い入れの深い作品となると、フィエロ役として日本語吹替版に参加することには勇気も必要だったのではないかと思います。

そうですね。僕だけではなく、ミュージカルファンの皆さん待望の映画化だと思いますから、参加が決まったときにはうれしさと同時に責任も感じました。でもどちらが大きかったかと言ったら、それはもう、うれしさのほう。実はオーディションを受けさせていただく段階で、もし違う方に決まったとしたら、僕は悲しみでこの映画をしばらく観に行けないかもしれないと心配していたんです(笑)。それでもどうしてもチャレンジしたかったので受けさせていただきましたが、“敬遠してしまう心配”もあったから余計に、決まったときは「うわあ、そうか!」と素直にうれしかったですね。今も、本当に光栄だと思っています。

繊細で複雑なフィエロを、声のみで表現する難しさと面白さ

──ジョナサン・ベイリーさん演じる映画版フィエロの第一印象を教えてください。

スクールカースト上位男子感もありながら(笑)、次第に繊細さや内に秘めた実直さがチラチラと見えてくる、その複雑さが素敵だなと思いました。特に登場シーンの、エルファバとのやり取りはすごくチャーミング。フィエロにとっては俗に言う“おもしれー女”状態から始まって(笑)、だんだんと距離が近付いていくところに、ふたりの本質が現れているように思います。表情からいろいろなことが読み取れるのはやはり、顔がアップで観られる映像ならではですよね。

映画「ウィキッド ふたりの魔女」場面写真より、海宝直人が日本語吹替版で声を務めたフィエロ。

映画「ウィキッド ふたりの魔女」場面写真より、海宝直人が日本語吹替版で声を務めたフィエロ。

映画「ウィキッド ふたりの魔女」場面写真

映画「ウィキッド ふたりの魔女」場面写真

──ちなみに、最初に今作をご覧になったときはやはり、作品を楽しむというよりは「自分がこの人物に声を当てるんだ」という目線だったのですか?

それもありましたが、同時に楽しんでもいたので、忙しかったです(笑)。グリンダとエルファバの関係性が深まるシーンなどは、涙をたたえる瞳まで映るからこそ、胸にグワ!っと来るものがあって、泣いてしまいました(笑)。自分が声を当てるという目線で観ていても泣けるって、すごいことですよね。

──声を当てるにあたっての役作りは、舞台で演じる際とどのように違うのでしょうか。

自分なりにいろいろと考えて、イマジネーションを膨らませて臨んで、演出家や監督の方との共同作業で表現を探していく点は同じ。ただ吹替版の場合、相手役の吹替を担当する方が目の前にいるわけではなく、基本的には監督と1対1での作業なんです。相手役の声は、日本語で聞こえていることもあれば英語のこともあって、どちらにしろフィエロの声は英語でずっと聞こえているという環境。そのような状況で1人で演じる難しさをあらためて感じましたね。それと、何度もテイクを重ねて最終的には、日本語吹替版の台詞演出を担当された三間雅文さんにお任せするというか、“声を預ける”ような感覚も舞台との大きな違い。どんなふうに仕上がっているのか僕もわからない、という今の状態も新鮮です。

海宝直人

──三間さんとの共同作業の様子、ぜひ具体的に教えてください。

肉体や表情も使って表現できる舞台での演技と違って、声にすべての感情を乗せなくてはいけないのが吹替版の演技。三間さんは、僕が自分ではわからないような微妙な違いも、鋭い感覚で聴き分けて導いてくださいました。声の出し方や高低といったテクニカルなアドバイスもありましたが、それ以上にフィエロの内面に関する指導が多かったですね。技術より感情を大事にする方だと、話に聞いていた通りでした。

──ではそれによって、最初に抱いていたフィエロの印象が変わったりもしたのですか?

人物像の捉え方が変わったということはなく、初見で感じた繊細で複雑なフィエロを表現するためにはどうしたら良いかを、一緒に探っていきました。たとえば前半のちょっとチャラっとした部分が、軽くなり過ぎるのは違うし、かといってテンションが低くなるのも良くないよね、というように。三間さんが言ってくださることを自分の中で消化して試してみることの繰り返しで、根気の要る作業に「あーもう、どうしたらいいんだ!」となることもありましたが(笑)、とても面白い経験でした。