1997年に毛利亘宏、井俣太良らが中心となり旗揚げされた少年社中が、2023年に結成25周年を迎えた。6月に上演される「三人どころじゃない吉三」を皮切りに、25周年記念公演が順次展開される。
ステージナタリーでは、25周年記念公演の開催を記念して、主宰の毛利、少年社中の“長女”大竹えり、少年社中と縁が深く、自身を“周年男”と称する矢崎広の座談会を実施。少年社中作品に魅せられた矢崎の熱い思いに導かれるように、劇団の軸を担う毛利と大竹が少年社中の“これまで”と“これから”について語った。
取材・文 / 興野汐里撮影 / 玉井美世子
スタイリスト / 小田優士
シャツ、パンツ(矢崎広) / Iroquois、その他(矢崎広、毛利亘宏) / スタイリスト私物
もう一度、少年社中を始めたい
──今回は、2014年上演の「贋作・好色一代男」、2017年、2020年上演の「モマの火星探検記」などに出演経験がある矢崎広さんを交えて、25周年を迎えた少年社中の“これまで”と“これから”について語っていただきたいと思います。
矢崎広 「モマの火星探検記」はもう3年前になるんですね。早いなあ。「モマの火星探検記」が上演されたとき、「なんだか、ウイルスの波が来てるらしいよ」みたいな状況でしたよね。
大竹えり 「モマの火星探検記」が終わったあと、劇場が一斉にクローズして……。「モマの火星探検記」はギリギリ完走できた感じだったよね。東京公演のカーテンコールで、井俣(太良)さんが「お客さんもみんなで手をつないで、僕たちとつながりましょう」みたいなあいさつをして、大阪公演まではやっていたんだけど、ツアー最終地の福岡公演ではやらないでおこう、となったんです。
毛利亘宏 そうだったね。「モマの火星探検記」以降の1年がしんどかった気がする。みんなコロナを恐れていたし、公演中止も相次いでいたから。矢崎はコロナ禍でけっこう影響を受けたの?
矢崎 僕はちょうど映像のお仕事が多い時期だったので、舞台のお仕事にそこまで影響はなかったかもしれません。舞台の現場でもコロナの罹患者が出ることはなかったので、幸い中止になることがなかったんです。ジンクス的には、“矢崎広がいれば、コロナで公演が止まることはない”っていう。
毛利 頼もしいな!(笑)
大竹 すごいねえ(笑)。少年社中は「クアンタム -TIMESLIP 黄金丸-」(2022年)の大阪公演がコロナで中止になってしまって。
毛利 いやあ、俺たちにもその波が来るんだなと思ったよ。俺自身、コロナ禍に入ってからなんだか気持ちが切れてしまったところがあって、何かを全力でやることに対してブレーキをかけるようになっちゃった。一歩踏み込めない、すごくもどかしい気持ちをずっと抱えていた気がする。
矢崎 それはあるかもしれないです。ましてや興行的にはとんでもない損害を受けることになりますし。
毛利 そう。コロナ前って演劇界的にはかなり好調だった時期で、少年社中も上り調子だったと思うんですよ。だけど、コロナを機に演劇界の構造自体もだいぶ変わってしまったし、離れていってしまったお客さんもいる。今回、25周年記念公演をやるにあたって、“もう一度、少年社中を始めたい”というか、「少年社中って、初めて来るお客さんが観ても、演劇の楽しさを教えてくれる劇団だよ」ということを1から伝えていきたいなと思うようになったんです。
大竹 25周年記念公演をきっかけに、新しい形でお客さんとつながっていきたいですよね。この状況に対して不安な気持ちを抱いているのは、たぶんお客さんも一緒だと思うんです。だから、我々が「大丈夫だよ」と言ってあげたい。お客さんに楽しんもらえるようなことを、少年社中として常に発信し続けていきたいなと思います。
少年社中の虜になった男
矢崎 コロナ禍でもマイナスなことを考えてしまうことはあったんですけど、実は僕自身が一番悩んでいたのが、少年社中作品に初めて出演した「贋作・好色一代男」(2014年)の頃だったんです。このとき、精力的に舞台に出ていて、1年に8・9本くらい出演していたのかな。1つひとつの作品に全力で取り組んでいたし、お客様とも“熱”を共有できていたと思うんですけど、「本当の自分ってなんなんだろう?」「自分は今、何のためにお芝居をやってるんだろう?」と考えてしまう自分もいたんです。自分自身が迷子になっているとき、この「贋作・好色一代男」に出演することになり、毛利さんが世之介という役を当て書きをしてくれたんですよ。僕が演じた世之介はいろいろな人に良い顔をするんですが、根本には「嫌われたくねえ」「俺はみんなに幸せになってほしいんだ」という思いがあって。「ああ、僕も世之介と同じような感情を抱えていて、人に嫌われることへの恐怖を感じながら仕事をしているのかもしれない」と、当時の自分とすごくリンクする部分があったんです。物語の最後、世之介は地獄へ行く選択をするんですけど、そのときに悩んでいた自分自身も地獄に送ったような感じがして、本当に救われたんですよね。そこからもう僕はずっと少年社中の虜です。初めて稽古に行ったこともいまだに思い出すなあ。太良さんがすっごく元気いっぱいだった記憶がある(笑)。
大竹 元気いっぱいなのが少年社中の売りだから!(笑)
矢崎 ははは! 太良さん、「贋作・好色一代男」の稽古でえりさんに体当たりしてませんでした?
毛利 してたかも。井俣と大竹が少し長めに会話する場面があって、そのシーンを観たスタッフから「ちょっと長くない? 短くしようよ」って言われたんだけど、「うちの長男・長女のシーンだからやらせて……!」ってお願いして(笑)。
大竹 育児で一度劇団活動をお休みする前に「劇団の15周年記念公演だからどうしても出たい」と言って出させてもらって。それがあったから、毛利さんはたぶんそのシーンを書いてくれたんだと思うんですよね。
矢崎 太良さんがすごくテンション高かったのは、「がんばれよ、えりさん!」っていう意味だったのかな。
大竹 ははは!
矢崎 僕が「贋作・好色一代男」の次に少年社中の作品に出たのは「モマの火星探検記」(2017年)なんですけど、そこでえりさんが復帰したんですよね。だから、僕的には少年社中にえりさんがいない時期がないっていう(笑)。
大竹 そうだったねえ(笑)。2012年の初演では当時劇団員だった森大が主役のモマを演じたんですが、2017年の再演で広くんが新たなモマを作ってくれたと思っているんです。森が演じたモマは夢に向かってひたすら真っすぐ進むようなキャラクターで、広くんが演じたモマはいろいろと考えた末に、やっぱり夢を追うんだという決意をして進んでいくキャラクター。最終的にまったく別のイメージに仕上がって、すごく面白いなと思いました。
矢崎 僕、大さんが演じるモマが大好きで、初演を観たとき、大号泣しながら帰ったんですよ。ステージナタリーの少年社中20周年記念特集にも書いたように、「モマの火星探検記」が本当に好きで、自分がモマを演じることが決まったときはうれしかった反面、自分の中では大さんの存在が大きくて、役作りをするうえでかなり苦労しました。
実は「モマの火星探検記」にも救われていて……。僕もモマと同じように、父親を亡くしているんです。それまで、夢に出てくるぐらい父親のことばかり考えてしまっていたんですけど、「全部つながっているんだ」というモマのセリフで、すべてが浄化されたんですよ。親父の存在は今でも僕の中で生きていて、それが下の世代につながっていく。それが理解できたことによって、「死も、次の世代へのつながりの1つなんだ」と思えるようになったんです。2017年公演に出演したときにきっかけをもらって、2020年公演で完全に思いが昇華された感じですね。
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各々の方法論で戯曲を読み解いて、舞台上で再会する