共同ディレクター・川崎陽子×塚原悠也×ジュリエット・礼子・ナップが語る「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021 AUTUMN」|10年後、20年後に“舞台芸術”と言われるものは何か

京都は実験に対する許容範囲が広い

──東京ではない、京都のフェスティバルである、ということについては、どう考えていますか。京都ならではの風土、気風があって可能になるようなこともあるんでしょうか。

川崎 実験的なことを自由にできる環境はあります。観客の許容範囲が広くて「東京だったらどうかなあ」ということもやれてしまう。伝統的にリベラルな気風があって、性的なことや政治的なことも受け入れてくれるので、自信を持って作品を出せます。大学が多くて研究者や留学生もたくさんいるということもあるのかな。あと、コミュニケーションを取りやすい狭さだということも関係していると思います。

左から塚原悠也、川崎陽子、ジュリエット・礼子・ナップ。

塚原 チャリ乗ってたら誰かに会うもんね(笑)。あと、京都だからって一枚岩になるわけじゃないけど、昔からいろいろな実験がされてきた歴史も背景にはある。

川崎 そうそう。京大西部講堂の実験を考えたら、私たちなんて優しいものかもしれません。

塚原 西部講堂には、フランク・ザッパも来てたし、うちの叔父からもよく、非常階段ってノイズバンドの話を聞かされました。「電動鋸で太もも切ってしまったんやー」って(笑)。ほかにも、「SPRING」に出てもらった山本精一さんのボアダムスだったり、ダムタイプが切り拓いてくれた領域もあると思います。

──そういった実験の積み重ね、歴史の先端に、「KEX」があるわけですね。それは、“東京”とは違う独自の文化で、“日本”でまとめられるものでもないのかもしれません。

川崎 そうですね。だから、国際的な目線における“日本”というものを、東京が代表している現状は違う、というようなことは、よく話しています。

塚原 ことさらそれを売り出したいわけでもないですけど、自分たちがどういう土台に立っているかというのは意識しておいたほうが良いんじゃないかという思いがあって、それが関西の文化をリサーチする「Kansai Studies」の立ち上げにもつながっています。

コレクティブだからこそ、できること

──ディレクター3人体制でのフェスティバル運営も2度目になります。「SPRING」での経験を経て、今、複数でいることの意義、意味をどう考えていますか。

ナップ アイデアの生み出し方は全然違うと思います。考え直すきっかけがすごく多いし、自分1人の考え方、1つの線では進まない。例えば、私が担当だから、川崎さんは何にも言えないみたいなこともないし(笑)。いつでも「いや、それちょっと……」と、横から言える。

川崎 実務ではもちろん分けているところもありますけど、ディレクションの面では役割分担はしてないんです。「これちょっと、やっといたほうがええんちゃう?」とか3人で言い合って、けっこう細かいところまで共有しながら進めています。

──ということは時間がかかる……。

川崎 めっちゃ、かかります。以前なら自分がこう思うからこう、と決めていたことも、3人の中で話し合うという民主主義的手続きを必要とするし、さらにそれを事務局のメンバーや現場のスタッフに「どう思う?」と聞くわけです。何段階もの手続きがあるから、強くて早いリーダシップは望めない。ただ、それこそが、本来あるべき形なのかなとも思います。

塚原 僕は大阪のアートエリアB1といスペースで共同ディレクションを経験してきたこともありますし、contact Gonzoでもしょっちゅうダラダラ話し合いながらやってきたので、強い早いリーダーシップみたいなことには初めから実感がないんです。むしろ、美術展の設営でも僕らはチームで乗り込んでわいわいやってるけど、1人で決めなあかん作家もいるわけで、そういう人たちって、悩みを抱えたまま家に帰って、部屋で考えこんだりしてるのかなって心配するときがある。結局、僕らの場合は、作品を発表する前にも、社会化される場があるというか、「どう思う?」って聞いて、修正したものを出しているから、批判されても怖くないし。

川崎 作品創作のあり方自体も今は変わってきてますよね。複数のコラボレーターが一緒に作っている現場が増えて、演出家が1人で悩んで、その周りで俳優たちがぼーっと待っているっていう構図だけじゃなくなってきた。

塚原 その辺のことと、僕らがコレクティブだということは全部連動しているんだと思います。

ナップ ただ、コレクティブだから多様性があるというわけでもないじゃないですか。グループシンク(集団浅慮)に陥ってしまう可能性もあるから、この3人の中でもきちんと自分性を保っていく必要はあると思います。

塚原 そうですね。まあ、そう簡単に意見の曲がるような人はここには選ばれてないと思いますけど(笑)。

フリーランスとして…3人が思う“これから”

──開幕に向け、3人で話す時間もさらに増える時期だとも思いますが、あえて話し合ったことのないこと、お互いについて知っておきたいことなどあれば、この場でぜひ、お話ください。

塚原 あ、僕ね、2人はいつか引退することを考えてるのか、仮に引退したら何をするのか、を聞きたいです。

左から塚原悠也、川崎陽子、ジュリエット・礼子・ナップ。

ナップ それ、いつも考えてます。それで、暇になったら、日本語の勉強をして、日本の小説を読みたい。

塚原 60歳くらいになってからってこと? すごい向上心。えらい。

川崎 確かに私も、やめたらどうしようかなって日々考えているかもしれない。私、すごく体力があるんです。ただ、それも、いつまでもつかはわからない。そうするとやっぱり働き方を変えるのか。若い世代に、自分たちと同じような体力と根性を求めるのは違うと思うし、そもそも、そんな根性がないとできないような仕事で良いのか……と、日々考えさせられています。

塚原 僕らみたいなフリーランスって、結局は1人で戦い続けることになるから、人生を通じて休まらへん気がしますよね。維新派の松本雄吉さんも結局最後まで戦ってたし。「この人やめへんな、まだケンカを仕掛けようとしてる」って思ってました。ケンカって作品を作ることですけど。だから僕も今42歳で、あと30年はやるのか……ってことは、たまに考えてしまいます。例えば毎年の収入がすごく変わるとか、賃上げ要求でもっとがんばったほうが良いのかとか……作品を作ることの大きな楽しみと、現実的な不安の間にいる感じ。

川崎 やってるときはつらくても楽しいんですけどね。ハッと我に返るときがあって。

塚原 そうそう。ようこんなこと15年もやってきたなって(笑)。

ナップ 今後、若いアーティストたちが、どういう生き方をして、どんなふうに作品を発表していくのか。と同時に、彼らがどうやって家賃を払っていくのかのバランスを見出すには、全体の構造の問題もあって、5年、10年と考えていかなきゃいけないと思います。どうにかして、もう疲れたからゼロというんじゃない、柔らかい戦い方を編み出せないか、いろいろと、考えることがありますね。

川崎陽子(カワサキヨウコ)
1982年、三重県生まれ。「KYOTO EXPERIMENT」共同ディレクター / 舞台芸術プロデューサー。東京外国語大学ドイツ語学科を卒業後、ドイツ・ベルリン自由大学で学ぶ。2011年から2014年まで京都芸術センターのアートコーディネーターを担当。2014年から1年間、文化庁新進芸術家海外研修制度により、ドイツ・ベルリンのHAU Hebbel am Ufer劇場で研修。2011年から「KYOTO EXPERIMENT」に制作として参加している。
塚原悠也(ツカハラユウヤ)
1979年、京都府生まれ。「KYOTO EXPERIMENT」共同ディレクター、アーティスト、京都市立芸術大学彫刻科非常勤講師。関西学院大学大学院文学部美学専攻修士課程修了。2002年にNPO DANCEBOXにボランティア、運営スタッフとして参加したあと、2006年にパフォーマンス集団contact Gonzoの活動を開始。2020年に、セノグラフィと振付を手がけた「プラータナー:憑依のポートレート」(岡田利規演出)で読売演劇大賞の優秀スタッフ賞を受賞。
ジュリエット・礼子・ナップ(ジュリエットレイコナップ)
1992年、福岡県生まれ。「KYOTO EXPERIMENT」共同ディレクター。イギリス・オックスフォード大学英語英文学科卒業。2013年にJETプログラムで来日し、静岡の小中学校で英語教師として働く。京都・京都芸術センター、静岡・SPAC静岡県舞台芸術センターでインターンやボランティアとして活動したあと、Ryoji Ikeda Studio Kyotoでコミュニケーションマネージャー、音楽及びパフォーマンスのプロジェクトマネジャーを担当。2017年から「KYOTO EXPERIMENT」に所属し、広報とプログラムディレクターのアシスタントを務めた。