3月1日にリニューアルオープンする彩の国さいたま芸術劇場が、ノゾエ征爾率いる劇団はえぎわとタッグを組み、新たなアプローチで「マクベス」を立ち上げる。
「マクベス」は、実在のスコットランド王マクベスをモデルにした、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲。ダンカン王の優秀な臣下マクベスは、森の中で出会った魔女たちの予言により、自分が王になるという思いに囚われる。そしてマクベス夫人と共に王を殺害し、王位に就くが、その後夫妻は奇妙な言動をとるようになり……。
2022年に行われたワークショップと成果発表を踏まえ、新たなキャストも迎えての上演となる今回、稽古はどのように進んでいるのか。気になる稽古場の様子を取材した。また特集後半ではノゾエにインタビュー。「シェイクスピアが初めてのお客さんにも、シェイクスピアをよくご存知の方にも楽しんでいただきたい」と意気込む、その思いを聞いた。
取材・文 / 熊井玲撮影 / おにまるさきほ
人間味あふれるノゾエ版「マクベス」の登場人物たち
1月下旬に稽古場を訪れると、ちょうど休憩時間で、俳優たちはアクティングスペースに整然と並べられた椅子のいくつかに腰掛けて台本に目を通したり、談笑し合ったりとリラックスした様子を見せていた。アクティングエリアの正面に置かれたデスクの上には、目の前の光景と同様、模型の椅子が整然と並べられている。そのデスクに飲み物を置きにやってきたノゾエ征爾は、周りのスタッフや私たち取材班にも声をかけ、和やかな雰囲気を作り出した。
程なくして稽古は再開。1幕第3場、戦いを終えダンカン王の元へと急ぐ内田健司演じるマクベスと、山本圭祐演じるバンクォーのもとに魔女3人が現れて、最初の予言をするシーンだ。2022年の成果発表会では茂手木桜子が1人で魔女役を演じたが、今回は菊池明明と井内ミワク(取材後に降板が決まり、はえぎわの踊り子ありが代演)の3人で魔女役を演じる。身体的な特徴や声のトーンがそれぞれ異なる3人は、同じセリフを言っていてもアプローチが違い、絡みつくような話し方でマクベスとバンクォーを取り巻いていく。するとノゾエが一瞬稽古を止め、「『3はマジックナンバー』のセリフのところにリズムがあるとどうなります?」と投げかける。と、3人はすぐにセリフを少しラップ調にしてみせ、笑いが起きた。シリアス──であるがゆえに、ある意味特別な印象が残らなかったシーンに色が加わった。
そこへマクベスとバンクォーが登場。姿を現した瞬間はキリッとした様子だったマクベスだが、魔女たちとやり取りするうちに前屈みの姿勢になり、戸惑うような様子を見せ始める。一方、マクベスの少し後ろに控えているバンクォーは冷静で、マクベスの小さな変化も見逃さず「おい!……真に受けすぎると……」と注意を呼びかけるが、マクベスは自分で発した言葉に自分で後押しされるように、予言に飲み込まれていくのだった。そんなマクベスの心境を語る内田の声は、不思議な響きで稽古場に鳴り渡る。熱っぽく叫んでいるときも芯が凍っているような鋭さがあって、今回はそれが、マクベスの揺れる心理状況にとてもよくマッチしている。対する山本は、バンクォーを地に足がついた、リアルな人間味ある人物として立ち上げ、2人の対照性がこの一場面だけでもはっきりと感じ取れた。そのシーンの稽古が終わるとノゾエは大きく一度うなずいてから、マクベスが「なるようになれ!」と発する心境を、「思いをバーンと外に出すのではなく、自分の内へ内へと入っていくように」と内田にアドバイスした。
続いて、マクベスとバンクォーがダンカン王の元に姿を現すシーン。村木仁演じるダンカンは、威厳を漂わせる王、というよりも、家臣を愛する好人物として登場した。謀反を起こしたコーダーの領主の処刑状況について報告を聞きながら、ズズっとお茶をすすり、「そうなのね」とひと言返答する様はどこかコミカルで、稽古を見ている面々から笑いが起きる。ノゾエはそんなダンカンの優しさを、仕草にももっとにじませてほしいと言い、「こんな良い人を殺さないで!とみんなが思うような感じで」と村木に伝える。すると村木は、柔和な顔をさらに崩し、1つひとつの動作をゆっくりとまあるく表現。それを受けて、内田はマクベスの複雑な心境を細やかに言動に滲ませ、山本は王の愛を享受するバンクォーの喜びを表情で感じさせた。
際立つ“まっすぐすぎる狂気”
第5場では、マクベスからの便りを受け取った、川上友里演じるマクベス夫人のモノローグからスタート。川上は舞台の奥から前へ、椅子の間を斜めに縫うように進みながら、マクベスの手紙によって思いが加速していく夫人の心境をグラデーションをつけて表現する。そしてマクベスが姿を現した瞬間、その思いをぶつけ合うのだが、ノゾエはそのシーンを何度も繰り返しながら、「思いの高まりで、椅子に乗ってもいいと思う」「そのセリフはもっと強く!」「マクベスと再会した瞬間の感覚を忘れずにその後のシーンを続けて」と、川上のボルテージをさらに上げていくような演出をつけていく。最後は、マクベス夫人が抑えきれない自身の思いに飲み込まれていく様を、川上は何かに憑かれたように全身を使って表現。その豹変ぶりに稽古場は浮かされたような空気になり、そんな川上の様子にノゾエは楽しげな笑顔を向けていた。
「マクベス」について考えるとき、“野心”は重要なキーワードの1つであるが、ノゾエ版の「マクベス」には、“野心”という言葉が与える人間の醜悪さ、グロテスクさよりも、“まっすぐすぎる狂気”といった言葉が相応しいように感じた。それぞれが自身の置かれた立場や相手への思いに一途であるがために起きてしまった、引き返せなかった悲劇、とでもいうような。
というのも、稽古場で観たマクベスやマクベス夫人は、自分自身のためというより、誰かのため、何かのために猪突猛進しているように感じられたからだ。マクベスが目指したのは、単に自身の頭上に王冠をいただくことだったのだろうか、彼が目指していたのは実は、世界平和というような“大きすぎる正義”だったのではないか。そしてマクベス夫人も、ただただ家族を懸命に支えようとしていただけなのではないか……。
そう考えると、これまでノゾエが自作で描いてきた“ベクトルが世間とズレたまま懸命に突き進む、愛すべき悲劇的な末路を迎える登場人物たち”の物語とも重なり、時代も国も異なる「マクベス」が、少し身近な物語に感じられた。
「『マクベス』をちゃんと観たことがない」と言いつつも、作品の芯をがっちりと掴み、身体表現や笑いを織り交ぜながら、登場人物たちを色濃く立ち上げていくノゾエ征爾。2022年のワークショップや成果発表を通して作品に対し感じたこと、今回の上演に向けた思いを語ってもらった。
観客として感じたことを忘れずに演出にあたりたい
──本公演は、彩の国さいたま芸術劇場が、“将来の公演につながる作品の芽を育む取り組み”の1つとして実施された、ワークショップから誕生した公演です。2022年には成果発表として1日限りの「マクベス」の公演も行われましたが、ノゾエさんが作品を選出されたのでしょうか?
いえ、翻訳家の松岡和子さんや、劇場の制作スタッフさんとお話しして、公演の規模感、キャストの人数などから「マクベス」が一番良いのではないかとおすすめいただいて決めました。ただ、実は僕「マクベス」をちゃんと観たことがなくて、観たことがあるといえば(「マクベス」をモチーフにした)映画「蜘蛛巣城」くらいで。
──では先入観なく作品に向き合えたんですね。台本をお読みになってノゾエさんはどんなところにピンときたのでしょう?
人物の心が動くポイントが“手の届く範囲”というか。そのどこか近しい感覚と、シンプルな物語構造に面白さを感じましたね。ただ、マクベスが上昇志向に狂っていくところは、自分にはあまりない感覚で、ちょっと想像を膨らませる必要があったんですけど。
──成果発表の頃に書かれたノゾエさんのコラムには、「(自分は)シェイクスピア作品に慣れていない」とありましたが、実際に作品に取り組んで、シェイクスピア作品のどんなところに苦労されましたか?
一体何に苦労しているのか解明できないところが、一番苦労している要因かもしれませんが、1つ挙げるとしたら、言葉……言葉遣いがありますね。例えば“闇”を表現する言い方も本当にたくさん、さまざまにあって、やっぱり電気がない時代における灯りの存在の大きさ、明暗はとても大きな問題だったんだなと思うし、その表現の駆使され方はすごいなと思いました。また本で読んでいくと「あ、とても素敵な言葉だな」と思うんですけど、それをいざ俳優の身体を通して、音として聞いてみると、頭に入ってきづらいところが多々あって、そこも難しいなと。でも取り組んでいくうちに、あの特有な言い回しが作り手としてはとても楽しくなってきて、ともすると、自己満のような悦に入ってしまいそうになるので、気をつけないといけないなと思っています。そこが、観客として触れたときにシェイクスピア作品をどうしても遠く感じてしまう理由の1つなのかもしれないと思っているので、自分が観客として観たときの感覚を忘れずに、演出にあたりたいと思っています。
──2年前の成果発表では、ノゾエさんが目指した到達点に達した、という手応えはあったのでしょうか?
いや、正直なところ、なかったですね。成果発表の際は、高校生に向けた作品作りを意図した企画だったので、シェイクスピアを見慣れていない若いお客さんにも多数来ていただいて、彼らにも届くといいなと思って作ったんですけど、面白がってもらえたところが予想以上にあった反面、やっぱり難しいと思われた部分もあって、その“難しい”と思われる箇所が、やはり自分がシェイクスピアに感じていたところだったりして、懸念していたところをクリアできなかったと感じました。その点についても、今回はどう向き合って、乗り越えたらいいのか、いろいろと模索しているところではあります。
みんなで迷えることが面白い
──ノゾエさんが準備された今回の上演台本を拝読すると、思った以上に原作に忠実な言葉遣いという印象を受けました。でも稽古場で実際に、“音”でセリフを聞くと、登場人物の人柄やシーンがスッと頭に入ってきて不思議な感覚にとらわれました。現代寄りにアレンジするわけではなく、あくまでシェイクスピアが描いた世界観なのだけれど、より飲み込みやすくなっているなと。
そうなっていればいいなとは思っています。言葉遣いは、松岡さんと相談しながら多少崩させてもらってはいますが、崩し過ぎ、簡略化しすぎるとよくないところがシェイクスピア作品にはあって。なので、前回の成果発表では無くしたシーンを今回復帰させたり、順番を入れ替えたシーンを元に戻したりもしていて、「結局そのままが良い」と思わされる原作だなって思いました(笑)。
──キャストにはマクベス役の内田健司さん、マクベス夫人役の川上友里さんほか、多彩な顔ぶれがそろいましたが、いわゆるシェイクスピア俳優というイメージの人はいませんね。
そうですね。僕もシェイクスピア慣れしている演出家ではないし、みんながまっさらな状態から、どういう距離感で戯曲と向き合ったら良いか、それにはどんな身体や言葉、テンションが良いのかということを一緒に考えながら取り組めるのは、めちゃくちゃいいことだと思います。もしここに、シェイクスピア経験値の高い、何か質問したらすぐ返答してくれる人がいたら、知らず知らずのうちにそちらに引き寄せられて頼ってしまったかもしれませんが、みんなで同じレベルで迷えるということが良いことだなって。
──マクベスと夫人の関係性は、演出家によってさまざまな描かれ方がありますが、ノゾエさんはどのようなイメージをお持ちですか?
ほかの演出家の描き方がわからないので(笑)、ただただその俳優さんの息遣いになると良いな、俳優さん自身の言葉として表現できれば良いなという、それだけを意識しています。とにかく嘘っぽさの割合を限りなく少なくしていきたいなと。内田さんと友里ちゃんの相性の良さについては、はえぎわ「ベンバー・ノー その意味は?」でわかっているので、今回もハマるといいなと思っていますし、あの夫婦はこういう関係性だったんだと、理屈抜きのところに2人が連れていってくれると期待しています。
──稽古を拝見して、とてもいい組み合わせだなと改めて感じました。稽古の終盤ではノゾエさんの言葉1つひとつで2人の演技がどんどん膨らんでいき、狂気に取り憑かれたように熱っぽく語るマクベス夫人の前で、戸惑いと恍惚が混ぜ合わさったような表情を浮かべるマクベスが非常に印象的でした。また魔女についても、現代劇ではなかなか出てこない存在です。
魔女は、前回は俳優1人で演じてもらったのですが今回は3人です。人間の中から出てくる、さまざまな“業”の象徴になっていくと良いなと思っています。
──また舞台美術がとても印象的だなと思いました。今回椅子を使うことにしたのは、ノゾエさんのアイデアですか?
そうです。昔から、何か1つのアイデアから舞台美術を作るのは好きで、今回は王座取り、椅子取りのようなところからまずは想起しました。きちっと並べられた椅子は、決められたルールやそれによる規律、もしくは不自由さのイメージ。それを自分たちのワガママや都合によって崩し、変容させていく。変容させてもさせてもキリはないし、不自由さが付きまとう。それは物語内の人物たちの業との葛藤とも重なるし、作品と葛藤する我々そのものとも言えます。
継承しつつ、更新する作品作りを
──ノゾエさんは、2016年にさいたまスーパーアリーナで上演された「1万人のゴールド・シアター2016」、60歳以上を対象とした芸術クラブ活動「ゴールド・アーツ・クラブ」など、これまでも彩の国さいたま芸術劇場とさまざまな取り組みを行ってきました。本作は、2月に東京で開幕し、3月1日にリニューアルオープンする彩の国さいたま芸術劇場での最初の演目となりますが、劇場に対してどんな思いを持っていらっしゃいますか?
彩の国さいたま芸術劇場の今までの活動に対するリスペクトは言わずもがな、2016年以来、関係を重ねれば重ねるほどその思いは強まっていて、その点で、劇場の思いをほんの少しですけど、何がしか継承できているのではないかと思ってはいます。ただその一方で、「なぜここにノゾエがいるのか」と問われたときに、継承するだけでなく“ノゾエが入ってきたことでココが更新された”というものを作っていかなきゃいけないな、という思いはあります。
──また今公演は“はえぎわ×彩の国さいたま芸術劇場”と冠されており、劇団と劇場がタッグを組む企画となっています。今年、はえぎわは25周年を迎えられますが、ノゾエさん個人としてではなく劇団で参加することについて、ご自身の心境の違いはありますか?
そう、25周年なんです。よくご存じで(笑)。劇団として参加することで、緊張とはちょっと違うんですけど、彩の国さいたま芸術劇場さんのようなちゃんとしたところにお邪魔させてもらって大丈夫かな、恐縮だなっていう気持ちがあります(笑)。でも劇団は僕の本拠地ではあるので、劇団で組ませていただけるのは素直にうれしいし、ありがたいので、責任感も増すし気合も入ります。
──シェイクスピア作品を多数上演してきた彩の国さいたま芸術劇場の経験値、多彩なオリジナル作品を豊かに立ち上げてきたはえぎわの経験値、多様なバックグラウンドを持つ俳優たちの唯一無二の表現がそれぞれ混ぜ合わさって、新たな「マクベス」が立ち上がりそうです。
そうだといいなと。シェイクスピアの観劇がそんなに得意ではない人間が作っているので、予備知識がなくても大丈夫なように意識して作りますし、シェイクスピアが初めての方でも楽しめるような作品にできたらと、トライアル&エラーを日々繰り返しています。でも欲張りなので(笑)、シェイクスピアをよくご存知の方にも楽しんでいただきたいという欲望は拭えませんし、その目標は持ち続けたいと思っています。最終的にはシェイクスピア作品を観ているということを忘れるようなところまでいけたら良いなと思っています。
プロフィール
ノゾエ征爾(ノゾエセイジ)
1975年、岡山県生まれ。脚本家・演出家・俳優・劇団「はえぎわ」主宰。1995年に、青山学院大学在学中に演劇を始め、1999年に劇団はえぎわを始動。以降、全作品の作・演出を手掛ける。2010年より世田谷区内の高齢者施設での巡回公演(世田谷パブリックシアター@ホーム公演)、2016年にさいたまスーパーアリーナにて大群集劇「1万人のゴールド・シアター2016」(脚本・演出)などを手掛ける。2012年に「◯◯トアル風景」にて第56回岸田國士戯曲賞を受賞。近年の演出作品に「ピーター&ザ・スターキャッチャー」「ぼくの名前はズッキーニ」「物理学者たち」「気づかいルーシー」「明るい夜に出かけて」「ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~」など。4月から5月にかけて新国立劇場 2023/2024シーズン「デカローグ」プログラムAに出演する。