「EPAD」藤田貴大インタビュー|演劇という営みを続けるため、今できることは何か

2月23日に舞台公演映像の情報検索サイト「Japan Digital Theatre Archives」と「EPADのポータルサイト」がオープンする。「Japan Digital Theatre Archives」と「EPADのポータルサイト」を使えば、これまで各団体が独自に管理し、散逸していた舞台芸術作品の情報を誰でも簡単に知ることができるようになる。

ステージナタリーでは、「Japan Digital Theatre Archives」と「EPADのポータルサイト」の公開を記念し、コロナ禍において変化せざるを得ない環境にありながら、自身の表現に真摯に向き合っているアーティストに注目した特集を展開。第1弾に登場するのは、小学生のときに演劇に出会って以来、常に葛藤し、進化し続ける演劇作家、マームとジプシーの藤田貴大だ。

取材・文 / 熊井玲 ヘッダー撮影 / 井上佐由紀

「EPAD」とは?

「EPAD」は、文化庁令和2年度戦略的芸術文化創造推進事業「文化芸術収益力強化事業」として採択された「緊急舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業」の総称。

「EPAD」

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「cocoon」
「cocoon」
今日マチ子が沖縄戦に動員された少女たちに着想を得て創作された同名タイトルのマンガを原作に、藤田が音楽家・原田郁子と共に舞台化した本作。少女たちの生活が戦争により死と隣り合わせの日常に変化していく様を描く。2013年に初演され、2015年には沖縄を含む全6都市にて再演された。

上演データ

2015年6月27日(土)〜7月12日(日)
東京都 東京芸術劇場 シアターイースト
※ほか新潟・愛知・沖縄・山口・神奈川で上演。

原作:今日マチ子「cocoon」(秋田書店)

演出:藤田貴大

音楽:原田郁子

出演:青柳いづみ、菊池明明、青葉市子、小川沙希、花衣、川崎ゆり子、小泉まき、西原ひよ、高田静流、中嶋祥子、難波有、長谷川洋子、伴朱音、吉田聡子、コロスケ、石井亮介、尾野島慎太朗、中島広隆、波佐谷聡 / 飴屋法水

「書きたい」「書かなきゃ」という思いが湧いた転機

──藤田さんは小学生のときに地元の劇団に入り、大学入学まで俳優志望だったそうですが、作家・演出家にシフトしたのはなぜですか?

ずっと習い事のような感覚で演劇をやっていたので、もちろんつらいこともたくさんありましたが、結局は小さい頃から演劇を作ることが楽しかったし、好きだったんだと思います。当時所属していた劇団で演出をされていた影山吉則先生という方が、俳優やスタッフ関係なく座組全員を巻き込んで作品を作る人だったので、僕自身も十代の頃から脚本めいたものを書いていました。そして影山先生が高校の教師だったので、先生が演劇部の顧問を務めている高校に進学しました。その演劇部が高校演劇の全国大会に出るようなところだったんですけど、部活内では当時から演出も経験していたんです。大学の進学も演劇で選んだのですが、そのときは俳優をするつもりでした。大学1年生のときに(当時桜美林大学で教鞭を執っていた)平田オリザさんが桜美林の学生に書き下ろした「もう風も吹かない」という作品で演出助手を担当しました。実はそれも最初は俳優としてオーディションを受けたんだけど落ちて、演出助手をやることしたんですけど(笑)。そのときに、演劇の捉え方が変わったというか、整理しながら場を作っていく方法があることを知りました。その辺りから俳優で関わるよりも作家のほうが面白いと思うようになり、葛藤し始めたんです。地元には、僕がプロの俳優になることを楽しみにしてくれているような人たちがいることもわかっていたし、何となくその人たちを裏切るような気がしてしまって。

──大学在学中、マームとジプシーの旗揚げ前に、一度劇団を立ち上げていますよね?

稽古中の藤田貴大の様子。(撮影:鳥居洋介)

荒縄ジャガーと言って、大学2年生のときに仲が良かったメンバーで立ち上げました。旗揚げは僕がジャンケンで負けたから作・演出を担当することになりました(笑)。俳優か作家どちらに進むか、という話でいうと、僕の中で明確な転機があります。それは母方の祖父が亡くなったことですね。祖父がいよいよ危ないというとき、帰りの電車の車内で、普段僕に何も意見を言わない父親が、「貴大は絶対に、この時間を書いたほうがいいと思う」って言ったんですよ。それと、祖父にも「俳優をやるか書くか、どっちかを選んだほうがいいと思う」って言われていたのを思い出して。そのへんから「書きたい」とか「書かなくちゃ」という思いがあふれ出てきたんだと思います。でも、作家になると決めたからといってすぐにその方法がわかっていた訳でもないし、そこからマームとジプシーを旗揚げするまでにさらに2年かかったんですけど。

──その後、どんな大学生活を送っていたんですか?

オリザさんが大学をお辞めになったり、荒縄ジャガーが解散することになったりして、その頃から学校にほとんど行かなくなりましたね。演劇も辞めようと思っていたし。当時はとにかくひたすらバイトして、お金を貯めて、旅行に行ってました。屋久島に行ったときに“ときどき滝が見える”という喫茶店に出会って。そのお店がすごく居心地よくて、置いてある物とかメニューとか、隅から隅まで店主の目が行き届いてるということを感じたんです。それで、明確にはわからなかったんですけどそこにいるとすごくいろいろなことが見えてくる感じがして、3・4日連続で通いました。店のテラスから本当に時々滝が見えるんですけど(笑)。なんか店名が作品のタイトルみたいだなと思ったり、どうして店主の人はここでお店を営んでいるんだろうとか考えたりしているうちに、こういう場所に来てもすべてを演劇と結び付けて考えている自分に気付きました。同時に「演劇もこういう感じで作ればいいのかもしれない」と思い始めたんです。それまで、演劇は壮大なストーリーや面白いセリフを思いつかなきゃいけないとか、“劇場”を借りるための予算を準備するとか、こういうスタッフを呼ばなきゃいけないとか、自分の規模を超えてしまうことでも、演劇を作るためには無理しないといけないと思い込んでいたんです。でも、もっと違った演劇の作り方があってもいいんじゃないかと思い始めた。それで「基本的には僕1人の営みというか、僕自身が目の届く範囲で時間と空間を成立すればいいんだ」という思いに至り、大学4年の秋にマームとジプシーを旗揚げしました。”マームとジプシー”は、基本的に僕1人。スタッフも俳優も固定のメンバーを決めずに、僕がそのときやりたいことを、その作品の特性に合った人たちや僕自身が作品に必要だと思う人を集めて作ることにしました。場所も最初はカフェや小さな空間だったし、制作的なことも含めてすべて僕の目が届く規模感を意識していました。だからこそ作品の中で描くモチーフや題材も、いきなり自分以外のことに着手するのではなくて、自分自身の“記憶”を頼りにするようになったんだと思います。

──大学卒業の時点で、マームとジプシーの土台ができていたんですね。

そうですね。結局そのときに考えたことが現在までブレてないですね。例えば今はミュージシャンやマンガ家、小説家などさまざまなジャンルの作家さんとコラボレーションすることが増えてきましたが、基本的には“僕が作品を通して誰と出会うか”ということが大前提なのは変わっていません。そして、その現場現場のメンバーが”マームとジプシー”だと思っているので、どんな方でもゲスト扱いができないんです。だから、参加する全員がかなり能動的に関わってもらわないと成立しないんですよ。それと規模感でいえば、自分の目が届く範囲を徐々に広げていくことを常に意識してきましたね。

“リフレイン”に演劇のライブ性を見つけた

──2007年に旗揚げしたマームとジプシーは、最初はカフェなど劇場以外の小スペースで、藤田さんの記憶をたどるような作品を上演していましたが、2009年にSTスポットで上演された「コドモもももも、森んなか」、2010年のこまばアゴラ劇場で上演された「たゆたう、もえる」でリフレインの原型が現れ、F/T10公募プログラムとして上演された「ハロースクール、バイバイ」(2010年)でその演出スタイルがさらに進化したのではないかと思います。

「ハロースクール、バイバイ」より。(撮影:飯田浩一)

そうですね。意識的に作中で“繰り返し”を扱い始めたのがその3作と、あとは、「しゃぼんのころ」(2010年)ですかね。その頃は、本屋のバイト代で劇場費とみんなのギャラを払うしかなかったから、年に1・2本やるのがやっとでした。だから、「次やったら辞める」ってずっと思ってたんですけど(笑)。当時、バイト先で本棚にどんな商品を置くかを任されたりして、演劇のコーナーを担当したこともありました。自分が置くと決めた本や映像は全部読んで、見ていました。本当にさまざまな種類の作品を鑑賞した時期でもあって、たくさん戯曲も読みましたね。それで、いろいろなものを見つめながら、僕っていう作家がこれから演劇として作る作品は、この数ある商品のどこにハマるのかなって考えたりして。すると、まだ演劇ではやられていないことが必然的に見つかりました。例えば、物語を進行するうえで同じシーンをリピートすることは僕以外の劇作家もしてきたことだから、演劇の中で“繰り返し”自体を扱うことは特別に新しいことではなかったと思います。ただ、僕としてはマンガや映画の表現の中にあるような“完璧な繰り返し=リピート”は演劇表現において可能なのか、ということを考え始めたんです。そのときその場で演じるのは生身の俳優ですし、それを見つめる観客の皆さん1人ひとりにも身体性が伴っているわけですから、厳密には完璧な繰り返しはできない。だとすれば、そこにこそ演劇特有の身体性やライブ性があるんじゃないかと気付いていきました。それで、今でも忘れないんですけど、西荻窪の公民館で稽古してるときに、同じシーンを執拗に繰り返していたら、繰り返すごとに俳優の感情のかさが増していくことを感じたんです。「ああ、これは僕が考えていた演劇特有の身体性を伴った繰り返しだ!」ってふと気付いて。それを自然とリピートではなく、リフレインと呼ぶようになり、以来、「しゃぼんのころ」や「ハロースクール、バイバイ」では意識的に「リフレイン」に取り組むようになりました。それと当時は今よりも手段がなかったということもあると思うのですが、僕が描きたいと思う“偽りのない感情”のようなものに近付ける手段として、俳優さんの身体にものすごく負荷をかけていましたね。”走る”というモチーフに取り組み始めたのもこの辺りからです。苦しかった時期ってすごく長く感じるけど、思い返すと旗揚げから1・2年で初期のスタイルに出会っていたんですね。

岸田戯曲賞受賞、しかし思いは先へ

──「ハロースクール、バイバイ」で一躍脚光を浴びた藤田さんは、2011年に短編も含め7作品を上演します。その中の1つ、3連作の「帰りの合図、」「待ってた食卓、」「塩ふる世界。」で第56回岸田國士戯曲賞を受賞されました。実はこの年の夏に、藤田さんは福島県のいわき総合高校でアトリエ公演の作・演出を手がける予定でしたが、3月に起きた東日本大震災の影響で、公演は翌年1月に延期となります。

「塩ふる世界。」より。(撮影:飯田浩一)

2010年ぐらいからですが、それまでのお客さんはいわゆる関係者が多かったのですが、”マームとジプシー”を観に来てくださる方が圧倒的に増えたりして、僕を取り巻く環境が大きく変わっていったと思います。演劇ジャーナリストの徳永京子さんなど、作品の中で僕自身でも気付いていなかったことを言葉にしてくれる方や、今まで僕自身が読んできた本やマンガを手がけた編集者さんと出会っていきました。その方々の話で全然知らないことや自分がいかに偏っていたかがわかっていきましたね。もっといろいろなことを吸収したいという思いが強かったので、とにかく寝る間を惜しんで時間を、それとお金も費やしていました。それで、2011年にバイトを辞めました。初めてギャラをもらうワークショップの仕事もこの年でしたね。

その頃は何年も時間をかけて、一緒に作るスタッフやキャストに対して「自分はこういう人間で、こういうことを考えてる」ということを、長い自己紹介をするように、自分のことや記憶をモチーフに作品を作っていたんだと思います。結果的に家族や地元をモチーフに描いた作品で岸田戯曲賞を受賞することができましたが、自分のことを描くというだけじゃ作家として枯渇することはわかっていました。「自分を保ちながら、さらに大きなテーマを扱うにはどうしたらいいんだろう」ということを常に考えていましたね。だからこそ沖縄戦をモチーフにした今日マチ子さんのマンガ「cocoon」の舞台化を見据えて、“自分”以外のことを描く準備を始めました。

──2012年のいわき総合高校アトリエ公演では、ある高校のバレー部員たちの日常を描いた「ハロースクール、バイバイ」を上演しています。いわきの高校生と取り組んだ「ハロースクール、バイバイ」が、沖縄戦に巻き込まれる女学生たちを描く「cocoon」とつながった部分はありますか?

いわき総合高校の顧問である石井路子先生が声をかけてくれたのは2010年なので、オファーをいただいたのは震災の前なのですが、作品を取り組み始めたのは震災後です。2012年1月にいわきで上演しました。その頃にはすでに「cocoon」の舞台化も具体的に動き始めていたので、今日さんと密接に連絡を取り合ってました。今日さんも僕も震災前から“水”をモチーフにしてきたのですが、当時今日さんが「今、水をモチーフにした作品を描くと、すべて津波が連想されてしまう」と話していて。いわき総合高校の子たちと「ハロースクール、バイバイ」に取り組むにあたり、僕としても目の前の彼女たちと震災を作品の中では直接つなげることは絶対にしたくなかったし、そう描きたくなかった。そんな設定やセリフも作中にはなかったですし。でも、作品に集まる人は震災後を生きているから、僕がどんなに意図してなくても作品と震災をどうしたって結び付けてしまうわけです。演劇は特に何をどんなふうに描いたとしても“今”を無視することができないと本当に実感しましたね。そういう意味では演劇として「cocoon」を描くことは、自ずと“今”とつながる訳だし、だから「ハロースクール、バイバイ」と「cocoon」だってつながるんじゃないかな。