音楽ナタリー Power Push - 吉澤嘉代子
“初期3部作”完結編は真骨頂の妄想絵巻
人魚と母
──“海ゾーン”の2曲目の「人魚」は、ガットギターとストリングスを中心としたシンプルなサウンドに深いエコーがかかっていて、混沌とした「ユートピア」からいきなり静かな海の底に飛び出したような感覚があります。
「ユートピア」の混沌としたストリングスが別人格になって残っているような。この曲は、人魚姫の伝説とは別の結末にしようと思って、じゃあ自分にとって何がグッとくるんだろうと考えたとき、「人魚が死ななかったら、そして恋をしていなかったら」というのが一番グッときたんです。
──セルフライナーでは「人の魂を吸い取って生きる人魚」と説明していますね。
人間も同じで、命をいただきながら生きてるわけですけど、そのことについて何も思わないですよね。思わないことにグッとくるんですよ。
──次の「カフェテリア」へはガットギターのみを残して曲間もなく、まさに組曲のようにつながっていますが、こちらは逆にノンエコーの乾いた音ですね。世界観ががらりと変わる。
はい。海の中から海岸のカフェテリアにシーンが移動していくようなイメージで。
──物語は、カフェの常連男性を見つめるカフェ店員の視点で描かれています。これはどんなところからストーリーが浮かんだのでしょうか。
私の母が川口のカフェで昔パートをしていて、その頃に書いたんです。お母さんをイメージして書きました(笑)。
──常連客に対する目線は恋心だと解釈しましたけど、お母さんにそんなことが?
いや、それはないと思うんですけど、うちのお母さんはかわいいんですよ(笑)。なんとなくお母さんをモデルに主人公を描きたいなと思って。
──男性がカフェで落ち合う「都会の綺麗な人」は主人公との対比、逆の存在として描かれていると思うんですけど、吉澤さんは「都会の綺麗な人」をどんな人だと解釈しているんですか?
この子にとっては真逆の存在ですけど、私自身ではないので……例えば、この子なら入ってきた子が私でも「都会の綺麗な人」と思ったかもしれない(笑)。どうだろう、とりあえず赤い口紅を引いているだろうなとは思います。
妄想渦巻く屋根裏
──カフェの次は音楽室へと移動して、近作から唯一の既発曲「ねえ中学生」が始まります。そのままの収録ではなく、音楽室を思わせるイントロが加えられていますね。
ここから“子供ゾーン”です。既発曲はほかにも「ものがたりは今日はじまるの」を入れようという話も挙がったんですけど、あの曲は私自身の現実の物語を始めるという歌だから、実は物語の対局にあって、今回のアルバムの作風には当てはまらないんです。でも「ねえ中学生」はアルバムにも合っているし、とても気に入っている曲なので入れました。
──学校が苦手だったという吉澤さんにとって、教室はどういうイメージなんでしょう。
一番は恐れというか……自分だけの意思で温度を調節したりとかできないし、水分補給とかも自由にはできない(笑)。その中にいろんなヒエラルキーもあって、子供ってのは大変だなあと思います。
──学校の中でも音楽室って独特の雰囲気がありましたよね。のちに音楽を始める少女・吉澤嘉代子にとってはどんな空間だったんでしょうか。
音楽室にはそこまで思い入れはないんですけど、音楽の先生にはあります。小学校のときの音楽の先生がいつも白いタイツを履いてたんですけど、そこからスネ毛がはみ出ていて(笑)。それが記憶に残ってます。髪もけっこうボンバーしてたので、固めの毛だったのかもしれないです(笑)。
──次の「屋根裏」は、最初にお話されていた子供の頃の屋根裏のイメージと重なるところがあるのでしょうか。
そうですね。屋根裏と言っても大きなお屋敷ではないので、本当に屋根の部分……瓦屋根の下と天井の隙間で、押入れの上の蓋みたいなところを開けるとちょっとした空間があるんですよ。でも「ここには入っちゃダメ」ってずっと言われていて。真っ暗で怖いんですけど、いつか行ってみたいなと思ってました。
──曲調としてはメジャーデビュー作「変身少女」(参照:吉澤嘉代子「変身少女」インタビュー)のテイストに近い、大瀧詠一さん直系の歌謡ポップスというか。
はい。太田裕美さんが歌っていた「さらばシベリア鉄道」が大好きで、そのオマージュですね。最後に「やれやれ困ったものだ 私すぐに大人になるからね」という歌詞がありますけど、歌声はもう大人だなあって。主人公に寄せてもっと子供のように歌うべきかなとも思ったんですけど、サウンド的にも大人っぽい歌い方が合うのでそのままにしました。
スタジオいっぱいに立ち込めた自意識との戦い
──「えらばれし子供たちの密話」はちょっとソウルっぽいグルーヴがあって、しかもラップのような節回しもありますね。この曲を含め、今作は歌の部分での変化がけっこう見られます。
今回のアルバムは歌のディレクションを自分でやった曲も多いんですけど、それは途中から変えたんですよ。今まではディレクターかアレンジャーにお願いしてたんですけど、私は歌入れのときにすごくナーバスになってしまって……スタジオいっぱいに自意識が立ち込めてしまうんです。どうしたらもっと自由に歌が歌えるか、自分を縛られずにいられるかと考えていたときに、「今日は1人で録ってみますか」とスタッフに提案されて。自分でやるというのは考えてなかったなと思って、最初に試してみたのがこれなんです。
──なるほど。
滑舌のよしあしは意外と自分では気付かなかったりするし、自分の嗜好だけでディレクションをやるのは必ずしもいいことばかりではないので「やっぱ私じゃ無理かも」と思ったんですけど、エンジニアの岸本さんから「まずは自分で思うように歌ってみませんか?」と言われて録ったのがこの曲なんです。それが私の中ですごく腑に落ちて、長年「どうしたらいいんだろう?」と感じていたことが一気に解決したような、革命的な1曲になりました。
──セルフライナーによると、この歌詞は「1990年」とかなり具体的に時代設定を組まれていますが、これって吉澤さんの生まれ年ですよね。
いや、私の生まれ年は関係ないです。これは数えたらだいたい1990年だなと思って……。
──数えたら……何を?
あはは(笑)。イメージ的には、学校の連絡網を使って、子供たち「親を殺して楽園に行こう」と約束を取り合うんだけどできなかったというお話なんです。そういう事件が起きそうな年を計算して……どうしてそういう計算になったか思い出せないんですけど(笑)、今は30代半ばぐらいになっている人のイメージで「1990年だ!」と思ったんです。生まれ年だったのはたまたまで。
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