ふとしたときに自分の人生を振り返って
──この曲は「機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-」の主題歌でありますが、同時に米津玄師の曲でもあるわけですよね。つまり、選び取らなかった人生の選択肢や有り得たかもしれない可能性について、米津さん自身が自分ごととして考えたことも反映されているんじゃないかと思ったんですが、そのあたりはどうでしょうか。
まさにこの曲を作る直前くらいに、そういうことを考えていたんです。客観的に見て、米津玄師というミュージシャンは、とても運よく、幸福に生きてきたと思うんですよね。若い頃から自分で曲を作って、それを人に聴いてもらえるような環境があり、それが順当に大きくなってきた。同時に、自分も幸福に生きてきたとはいえ、いろんなものを手放してきたし、選び取れなかったものもある。それこそ自分はもともとマンガ家になりたかった人間だし、もしマンガを描いていたらどうなっていたんだろうと、いまだにふと思いますし。そういう、道を分かつきっかけって、ものすごく些細なことなんだと思うんですよ。ふとしたときに自分の人生を振り返って、潰えていった選択肢の先に思いを馳せることが最近すごく多かった。それを今作に投影したところもあるんだろうなと思います。
──この曲で歌われていることは、選び取らなかった選択肢への思いと同時に、意志の力でもあると思うんですね。サビには「飛び出していけ宇宙の彼方」という言葉がある。“前に進む”ということを歌っている。これはもちろんマチュたちの思いに重ね合わせたものではあると思うんですが、こういう曲になったのにはどういう理由があるんでしょうか。
自分の人生を振り返ると、しんどかったことを忘れていることに気付くんです。付き合いの長い友人に会って「お前、あのときああいうことを言ってたよな、つらそうにしてたよな」みたいなことを言われても、全然覚えていないんですよ。つらく苦しい体験をほとんど忘れている自分がいて。というのも最近、浅田彰さんがニーチェの言う「超人」について書いた文章を読んだんです。それによると、「超人」にある強者性というのは、決して自分を顧みず、誰の言うことも聞かず、自分の我を通したいがために動くようなものではない。それはただ野蛮なだけで、「超人」というのはそういう存在ではない。そうではなく、ニーチェの言う強者性はどんどん「非自己」に開いていく力だと言うんです。言うならば「非自己」に感染する、病気にかかるようなものだという話をしていて。病気にかかるものだから、苦痛や不安が自分の中に巻き起こっていく。でも、強者というのは、そういう苦痛とか不安みたいな、ひとつ間違えばトラウマになってしまうような体験をものともせずに「非自己」に開いていく。そういうところがある人間のことを「超人」と呼ぶんじゃないかという話をしていたんです。こういうことを言うと、自分のことを「強者」とか「超人」と言っているような話になってしまいますけど、すごく身に覚えがあるんです。重要なのは、そういうふうに自分を開いて進んでいくこと。そして何かを選び取っていく。それは「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」のマチュの人間性にも共通していると思います。自分の人生を過度に振り返らず、選んだ道の先に待っているであろう困難をものともしない。それは「どうなるかわからないけどとりあえずやってみるか」みたいな行き当たりばったり感みたいなもので、自分もそうやって生きてきた感じがあるんですね。なので、選び取らなかったものを思い返すような過去を見つめる目線と、それはそれとして前に進んでいく視点が両方ある曲になったなと思います。
自分ならこの作品に対して曲が作れる
──「BOW AND ARROW」についても聞かせてください。米津さんはもともと「メダリスト」の原作マンガのファンで、アニメの主題歌を作ることを米津さんのほうから打診したそうですね。
はい。何かのきっかけでマンガを読んでみたら、べらぼうに面白くて。すごく面白いマンガが始まったなと思っていたところに、アニメ化するという話をネットで見かけて。「やりたいです」という話をしたのがきっかけでした。
──「メダリスト」のどういうところに魅力を感じたんでしょうか?
「メダリスト」はフィギュアスケートを軸にコーチと生徒の関係性が描かれているんですが、特にエモーショナルなことを想起させるようなところがないシーンでも、とにかく泣けてくるところがあって。小学生の女の子がひたむきになって、目標に向かって熱意を持って努力していく姿とか、そこで友情を育んでいく姿を見ていると、それだけでグッとくるというか、ものすごく尊いものを感じる。自分はこのマンガを読んでいるときに、コーチの目線で読んでいるんです。たぶん、10代20代の頃だったら、生徒のほうに共感しながら読んでいたはずなのに。読んでいて、自分の視点が変わっていることに気付いた。自分は権力を持つ側に回ったんだなという感じがした。そういうところを気付かせてくれたマンガでもあった。そういうこともあって、自分ならこの作品に対して、作品のためにも自分のためにも曲が作れるという直感がありました。
──アニメの制作サイドからはどんな話がありましたか?
曲を作り始める前に先方の意見をいただいたんですけれど、「ピースサイン」みたいな傾向の曲にしてほしいという提案があったんです。それを聞いて、じゃあこの曲は「ピースサイン」に対する回答というか、その延長線上にあるものにしようと思いました。アニメ「僕のヒーローアカデミア」の曲として作った「ピースサイン」は、子供たちが子供たちのまま熱を持って進んでいくという、子供たちの視点で作った曲だった。それに対して、今回はそれを支える側、押し出していく側の視点で書けるんじゃないかと。そこから始まりましたね。
“見開きの大ゴマ”
──曲のタイトルは「BOW AND ARROW」、つまり弓と矢です。「メダリスト」のストーリーを踏まえて曲を聴いた人はきっと皆、これがコーチの司と生徒のいのりの関係性を象徴していると気付くと思います。この弓矢のモチーフは、すぐに思い付いたものでしたか?
実は、曲のタイトルを決めたのがワンコーラスを録り終わったあとだったんです。なので、最初の段階ではまったくなかったモチーフでした。「手を放す」という歌詞から連想していったんですけれど、その根っこは何なのかというと、やっぱり権力勾配なんですよね。教師と生徒でもいいし、親と子供でもいいし、庇護する側とされる側という関係性を自分なりにどう捉えるかを考えた。そこから「手を放す」って、すごく重要なんじゃないかなと思ったんです。
──それはどういうところから?
強い依存を親から子供に強いるような関係性ってあるじゃないですか。これはちょっと例が遠いかもしれないですけど、宗教二世の方が、子供の頃に自分が熱意を持ってがんばって課題をクリアしても「お祈りしたからそうなったんだ」と、“神のおかげ”という形に回収されてしまうのが本当に嫌だったという話を聞いたことがあるんです。そうじゃなくて、私は私なんだという。確かに親からの庇護を受けないと生きていけないのは大前提であるとして、私は親であるあなたの付属品ではない。成功は自分で勝ち取ったものであるし、あるいは逆に失敗したとしても、それは自分で選んだものである。実情はどうであれ、子供がそう思えるだけの環境って、ものすごく重要なんじゃないかと思うんです。そのためには、庇護する側が手を放すということが必要で。私は私で、あなたはあなた。子供であるあなたは私の側を離れて自立して出ていくものなんだという。そういうところから「手を放す」という言葉が生まれて、そこから連想しました。弓を構えて矢を引っ張ると緊張状態になる。張り詰めて張り詰めて、パッと手を放せば、矢は限りなく遠くまで飛んでいく。その関係性がうまくハマるんじゃないかというところにたどり着きました。
──それに加え、この曲の歌詞はかなり韻を踏んでいますよね。Aメロから「靴は汚れ」「雨」「夢」「ソワレ」と「e」の音で韻を踏んでいる。サビでは「行け 行け 追いつけない速度で」と、やはり「e」の音で韻を踏んでいる。「e」の音が持つ推進力みたいなものが全編にある感じがしたんですが、ここにはどういう意図がありましたか?
自分の中で重要な一節を浮かび上がらせるために、それ以外を全部「e」にするということを考えました。「きっとこの時を感じる為に生まれてきたんだ」と「きっと君の眩しさに誰もが気づくだろう」という、このフレーズに焦点を当てる意図はありましたね。韻を執拗に踏むことで弓を構えて引くような緊張状態を作って、「生まれてきたんだ」で解放するという。
──今おっしゃった2つのフレーズは曲の中でも印象的なフレーズですが、なぜ米津さんの中で重要な位置付けだったんでしょう?
ここはマンガで言うと“見開きの大ゴマ”みたいな感じですね。見開きの大ゴマに登場人物の司のセリフがドンとあるような情景だと思うんです。「きっとこの時を感じる為に生まれてきたんだ」と「きっと君の眩しさに誰もが気づくだろう」というのは、あくまで送り出す側の美徳であって。進んでいくものと止まっているものというイメージもありました。「ピースサイン」では視点自体が高速に動いていますけど、この曲では視点はずっと止まっていて、見ている対象が高速に動いている。その相対的なスピード感の違いによって疾走感が生まれるといいなという。そういうイメージですね。
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