米津玄師が9月24日に両A面シングル「IRIS OUT / JANE DOE」をリリースする。
「IRIS OUT」は劇場版「チェンソーマン レゼ篇」の主題歌として、「JANE DOE」は同作のエンディング・テーマとして書き下ろされた楽曲。「JANE DOE」では宇多田ヒカルが歌唱に参加し、米津とのデュエットが実現した。
主人公・デンジが偶然出会った少女・レゼに翻弄されながら予測不能な運命に突き進むというストーリーが描かれる劇場版「チェンソーマン レゼ篇」。この作品からどんな着想を得て、米津は2曲を書き上げたのか。リリースを記念した音楽ナタリーのインタビューでは、米津に楽曲制作の背景や宇多田とのコラボレーション秘話などをたっぷりと語ってもらった。
取材・文 / 柴那典撮影 / Yohji Uchida
「KICK BACK 2」にはしたくない
──「IRIS OUT」と「JANE DOE」の2曲はまったく違うテイストながら相互に補完的な印象がありました。劇場版「チェンソーマン レゼ篇」の話を受けて、どんなところから制作が始まったんでしょうか?
まず「2曲作ってほしい」というところから始まりました。1曲はエンディングに使用されることが決まっていて、もう1曲は劇中のどこで使われるかを探っていく感じでした。エンディングの「JANE DOE」は最初から「こういうものにしたい」というイメージが強固にあったんですが、「IRIS OUT」は作りながらどうしようか探っていったのを覚えていますね。
──2曲並行して進めていったんでしょうか?
まず「IRIS OUT」から制作を進めていきました。劇中曲ということは決まっていたので、制作進行上の都合からしても早くあったほうがいいだろうと。「IRIS OUT」を作り終えて「JANE DOE」という順番でした。
──米津さんが過去に手がけた「チェンソーマン」の主題歌としては「KICK BACK」がありますが、そこからのつながりは意識しましたか?(参照:米津玄師「KICK BACK」インタビュー)
「KICK BACK 2」みたいなものにはしたくないという気持ちは最初から強くありましたね。「JANE DOE」はそうならない予感があったんですが、「IRIS OUT」はちょっと気を抜いたら「KICK BACK 2」みたいになりそうな危険性があった。なので、いかに「KICK BACK」と差別化するかはかなり重視しました。「KICK BACK」が複雑怪奇な構成でダイナミズムがある曲だったので、「KICK BACK」がジェットコースターだとするならば「IRIS OUT」はフリーフォールのような、ドンと始まって一直線に進んでパッと終わるという、潔いものにしたいという意識がすごくありました。
──曲の印象として、「IRIS OUT」はいい意味でとてもフォーカスの狭い曲だと感じました。デンジというキャラクターのどうしようもなさが描き出されているように思ったんですが、そのあたりはどうでしょうか?
今回の劇場版「チェンソーマン レゼ篇」にはレゼという重要な登場人物がいるので、あくまでデンジとレゼの関係性にフォーカスしたほうがいいだろうと考えました。「チェンソーマン」や藤本タツキさんのマンガには男性を振り回す女性がよく出てくる。これは藤本さんの作家性の1つだと思うのですが、今回の「レゼ篇」はまさにそのニュアンスが大きな特色としてある話なので。レゼという非常に魅力的で蠱惑的な女性に振り回される、その軸1本でいく必要があるな、と。そこに焦点を合わせてガンと突き進むようにすれば、「KICK BACK」との差別化が図れると思いました。
これ以上なく気持ちよく自分の感覚を乱してくれる
──楽曲のニュースが出た際のコメントでも「原作のレゼが写ってるページを四六時中開きっぱなしにして睨みつけながら作りました」とおっしゃっていましたが、レゼの魅力はどんなところにあると思いますか?(参照:米津玄師、劇場版チェンソーマンの主題歌として新曲「IRIS OUT」を書き下ろし)
気持ちよく振り回してくれる、心地よく騙してくれるところですよね。頬を赤らめて、上目遣いでデンジのことを見て、ちょっとからかいながらも、あなたに好意がありますよということをこれでもかと表現してくれる。そりゃデンジのような人間は騙されるし、ある意味、騙されたいというのは恋愛感情においてけっこう重要な側面だとも思うんですよね。魅力的で、いたずらっぽいところがあって、でも本当は何を考えているのかわからない、ミステリアスなところがある。「いったいあの子は誰ですか?」と言われたら、実は誰も知らないみたいな。これ以上なく気持ちよく自分の感覚を乱してくれるという、そういう存在ですね。
──そういうモチーフから「IRIS OUT」の曲調の発想はどう膨らんでいったんでしょうか?
衝動的な曲にしたいというのはありました。一直線にドーンと進んでいってパッと終わる。がなって歌っているというのも含めて、自分の中でのパンク像に近い曲を作ろうという感じでした。曲を聴いた人の意見の中に「エレクトロスウィングっぽい」という声があったんですけれど、そのつもりはまったくなかったです。
──そうなんですか。
言われて初めて気付いたくらいなので。「エレクトロスウィングっぽい」と言われることに対しては、ちょっと不服な感覚がなくはないんです。ただ、パンクっぽい方向を目指していたとは言いつつも、パンクをやりたかったわけではない。ピアノのニュアンスやスウィング感がそういうふうに聞こえるというのはそりゃそうだと思うし、結果としてエレクトロスウィングっぽくなってしまったという感じです。
──曲の中にはレゼの「ボン」という声のボイスサンプルがとても効果的に使われていますよね。ここの仕掛けや演出についてはどういう考えがあったんでしょうか。
実は非常に単純な話で、最初は声が入っていなかったんですよね。のちのち映画の予告編を確認したら、あまりによくできていて。ちゃんと音にもハマっているし、映画に対しての興味を増幅させてくれる。予告編としての完成度がものすごく高かった。そこに感激したので、「その案いただいていいですか」とお願いして、曲に入れました。
「推し」という存在に見出す“両義性”
──「IRIS OUT」の歌詞についてはどうでしょうか。言葉のチョイスにはどういう意識がありましたか?
歌詞については、ある意味で「KICK BACK」より暴力的になってしまうかもしれないという危惧があって。なぜかというと、性愛的な感情をとにかく相手に投影する形になることは書く前から想像がついたので。人の声で発される「歌」という表現方法の性質上、そこに乗せたあらゆる情念がブーストされて聴き手に届いてしまうところがあるし、マンガやアニメのような架空の世界と架空のキャラを通じて現れる客観的な表現と比較すると、歌はどうしても主観的な性質が強くならざるを得ない。少しでも気を抜くとかなり危うい表現になってしまうなと思っていたところがありました。現代は性欲や性愛的な感情が忌避される時代になってきている感覚があって、ポップスを作る人間としてそこに対してどう折り合いをつければいいのだろうというのは、すごく考えました。
──というと?
まず、性欲とか性愛的な感情を忌避する、その営みの周辺に「推し活」というものがあるような気がしたんです。なので改めて「推し」って何なのだろうと考えました。今となっては「推し」という言葉はあらゆるものに使える便利なワードになっているので、ここではアイドルのように性愛的な感覚が乗っかりうる対象に限定して話しますが、要するにアイドルという存在がルネサンス期の神話画とか宗教画みたいな扱いになっているのではないかと思うところがあるんです。これはあくまで個人的な感覚にすぎないのですが。
──「推し」の対象が宗教的な存在になっているということ?
類まれなる鍛錬を積んで、ダンスや歌やルックスをとにかく磨いて、ある意味、神様みたいな存在として君臨する。清潔で、見目麗しく、触れるのも畏れ多いような存在であると同時に、やはりどこかで性愛的な感情を想起させることに特化している人たちだとも思うんですね。推し活をしている人がそのどちらを受け取るかは人それぞれだと思いますし、もちろん推しを性愛的な目線では見つめていないという人もたくさんいるでしょうが、本質的に神秘的な部分と性愛的かつ人間的な部分が両方ある。
──そこに美を見出しているのがルネサンス絵画に通じるものがある、と。
ルネサンス絵画は、宗教における芸術の営みの一部であると同時に、いわゆるポルノグラフィ的な側面もあって、芸術という名目の下でそれを可能にしたところがある。近年は性欲の発露に対して道徳的によくないことであると言われることが増えてきた。あまりに一方的なそれが他人に危害を加えることを思えばその通りだと思う。なので、社会的な、道徳的な名目を持たせるために、ある意味で非道徳的でキモいものとしての性愛的な要素を脱臭した結果としてできたのが「推し」という言葉であるような気がする。極端なまでに厳しく清潔でいなければいけなかったところからの脱却であるルネサンス絵画からするとベクトルは反対方向ですが、現代のアイドルとルネサンス絵画はちょうどその中間で似たような両義性を持つようになったとは言えないでしょうか。現代では「推し」を作ることが一般的な行為になっていて、そこに救いを見出してる人がたくさんいるので、「推し」というものを否定するようなニュアンスになりたくないんですけど、これはある種の規範意識によって作られた言葉だと思う。その両義性がすごく面白い。これを踏まえたうえで、道徳的熱愛、道徳的浪漫というか、道徳と性愛的な感情の間で揺れ動かざるを得ない感覚を「IRIS OUT」という曲に投影できたらいいのではないかと考えていたところがありますね。
次のページ »
宇多田さんでなければ成立しない