6LUE(ブルー)がアルバム「For 21st century broken boys」をリリースした。
14歳で躁鬱病を患い、18歳の夏に自殺未遂を経験したのちに本格的な楽曲制作を開始した、2004年生まれ22歳の若手ラッパー兼ソングライター・6LUE。リル・ピープとの出会いを音楽の原体験に持つ彼は、自身の痛みを吐き出す手段として、エモラップでの表現を研ぎ澄ませている。今回、音楽ナタリーでは6LUEの表現の核心を探るべく、インタビューを実施。凄絶なバックグラウンドを掘り下げつつ、「過去の自分を肯定するために作った」という今作に込められた、嘘のないメッセージを紐解いた。
※本記事には自殺にまつわる言及がありますが、推奨するものではありません。現在、悩みや不安を抱えている方は、専門の相談窓口などにご相談ください。
取材・文 / ナカニシキュウ撮影 / ニイミココロ
俺が求めてたのはこれだったんだ
──小さい頃はどんなお子さんでした?
子供の頃は……別にいじめられてたとかもなく、普通に友達もいました。でも、めちゃめちゃビビりだったのを覚えてます。運動することは好きでしたけど得意ではなかったんで、よく近くの児童館に行ってマンガを読んでました。
──音楽にまつわることでいうと?
親がけっこう音楽を好きな人で、iPodみたいなmp3プレーヤーに曲を入れてもらって聴いたりしてました。ELLEGARDENとかTHE RiCECOOKERS、海外だったらRed Hot Chili Peppersとか、親が聴いてたやつを。
──じゃあロックが音楽の原体験にあるんですね。
今思えばそうですね。それから中1くらいのときに「フリースタイルダンジョン」が流行って、バトルに出てる人の名前で音源を検索したりするようになりました。自発的に音楽を聴くようになったのはそれが最初です。けど、めっちゃ聴いてたかというとそうでもなくて、バトルを観てるほうが好きでしたね。
──その段階で「自分もラップをやってみよう」となった?
そのときはまったくなかったです。友達と遊びでMCバトルの真似事をするとかはあったけど、自分でやろうと思ったのは中2になってからですね。14歳のときにYouTubeでたまたま観た動画で、Jinmenusagiさんが「先端を行くアーティストを3人答えてください」みたいなインタビューを受けてて、リル・ピープを挙げてたんですよ。誰だろうと思って調べて聴いたら、もう「うわー」みたいな。英語は全然わからなかったけど、「こいつ絶対俺と同じこと考えてるやん」と思って(笑)。俺が求めてたのはこれだったんだと思ったし、初めてそこで……「喰らった」って表現になるんですかね。それになりましたね。
──その瞬間に、それまで“聴くもの”でしかなかった音楽が「自分の表現としてあり得るんじゃないか」という認識に変わった?
そうすね。まだ「自分で作ろう」とまでは思わなかったですけど、「もしかしたら」みたいなのは感じてました。
──作り始めるのはどのタイミングで?
高校生になって、親にiPhoneを買ってもらったんすよ。それにGarageBandが入ってたんで、タイプビートを使って作り始めたのが最初です。当時はそれこそリル・ピープのタイプビートとかが世にあふれてた時期で……といってもビートを作り込むことにはそんなに興味なくて、それよりは「歌いたい」「歌詞書きたい」っていうのでやってた感じっすね。
──14歳でリル・ピープに出会った段階では、まだ歌詞は書き始めていなかった?
そのとき思ってたことの大部分はピープが言ってくれてたから、俺が言うまでもなかったし、彼の表現がもう最高だったからそれで十分だったっていうか。でも、知ったときにはもう彼は死んでたんで、未発表音源以外で新しい曲はもう出てこないんだよな、みたいな。
──そこでGarageBandを手に入れて、「あいつが作らないなら俺が」と?
そうそう(笑)。っていうよりかは、憧れでしたね。「ピープになりてえなあ」みたいな感じです。
マジ映画かなと思いました
──プロフィールを拝見すると、「18歳の夏に自殺未遂を経験。その出来事をきっかけに、本格的に楽曲制作を開始した」とあるんですが、このあたりのお話を詳しく聞いても大丈夫ですか?
はい。ちょうどピープの音楽に衝撃を喰らった14歳の頃から、けっこうメンタル的につらい時期が続いてて。いろいろあって、高2のときに不登校になったんですよ。チャリこいで校門の前までは行くんすけど、マジ汗止まんねーみたいな。
──まさに「High school」で歌っているように。
そうですね。で、学校に電話をかけて「すみません、行けません」と言って公園で時間潰して家帰るみたいな。それずっと親に隠してたんですけど、ある日バレて「お前、もう学校行かないなら家にいるな」ってスーツケースを持たされて追い出されたんですよ。そのときが自分の人生的に一番のどん底で、「どうすっかー、あー死ぬかー」みたいな。そのときは解決策を模索するというよりは終わりに向かいたい気持ちにしかならなかったんで、ドンキに直行してロープ買って、近所の公園まで行って……って感じですね。
──そこで踏みとどまれたのは?
それこそ「俺たちがまだ死ねないのは」の歌詞にもあるんすけど、あの瞬間の光景とか感情はずっと頭のここらへんに生々しく残ってて。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「ドロップ」って曲が好きで、それを聴きながら「3、2、1」って本当に数えてたんです。まさにその瞬間に目の前に車がキーッて止まって、全然知らない20代くらいの若者たちが出てきて「お前大丈夫か!」みたいになって。それで助けられたっていうか、なかったことになった感じっすね。あの瞬間は、マジ映画かなと思いました(笑)。
──のちに“6LUE伝記映画”が作られるとしたら、間違いなく序盤のハイライトシーンになりそうですね。
そうすね(笑)。確か夜中の2時とかで、住宅街の中ではあるんですけど、そんなに人が来るような場所でもなかったんで、彼らがなんであのときあそこへ来たのかマジで知らないんですよね。
自分の痛みを吐き出す手段だった
──なんとも不思議な話ですね……。
ただ、ちょっとムカついたこともあって。
──ムカついた?
「死ななくてよかったね」ってみんな言うじゃないですか。「生きてれば楽しいことたくさんあるよー」みたいな、バカみたいなこと言いますけど。実際それも間違いじゃないと思うけど、それ以上に体験しなくて済んだこともたくさんあったと思うから。まあ、そこから曲を作るルートに入ったわけなんで、今となっては多少の感謝もしてますけど。
──実際、その体験がどういうふうに表現活動につながっていくんですか?
「なんであのとき死ななかったんだろうな」みたいなことをすごく考えるようになって、「俺たちがまだ死ねないのは」を書き始めたんです。完全に自分のためでしたね。最初は「howtokillmyself」っていう名義でやってたんですけど、「どうやって大嫌いな自分を殺して生まれ変わるか」っていう自分へのメッセージをずっと書いてました。有名になりたいとか同じ気持ちの誰かを救いたいとかは1mmも思ってなくて、とりあえず自分の痛みを吐き出す手段として始めた感じですね。今はちょっと変わってきましたけど。
──すべての表現の出発点は「自分のため」だと思うので、そのお話にはとても納得がいきます。そうなると、人を励ます目的で作られたような歌には違和感があったりするんじゃないですか? 「みんな、未来を信じていこうぜ」みたいな……。
ヘドが出るっすね(笑)。
──わはははは。
だったらまだ「わかるよその気持ち、死にたいなら死んでもいいよ」とか言ってくれたほうが響く。頭ごなしに「がんばれ」とか「死ぬな」とか、自分が言われたくない言葉は絶対に自分の曲では吐かないようにしよう、という思いはあります。
──そうやって自分にとって違和感のあるものを「違和感だ」とちゃんと言える人は少ないというか、そもそも自覚できている人があまりいない印象が個人的にあります。それをちゃんと言える、しかも自分の表現として昇華できているところが、6LUEというアーティストの特別なところだなと感じていまして。
ありがとうございます。
──極端な話、それが音楽をやる理由だったりするんですかね。
うーん……。
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