米津玄師が、5月18日にニューシングル「M八七」をリリースした。
表題曲は庵野秀明企画・脚本、樋口真嗣監督の映画「シン・ウルトラマン」の主題歌として書き下ろされた1曲。ドラマティックなメロディと力強い歌声、転調を駆使した複雑な曲構成がとても印象的だ。カップリングにはPlayStationのCMソングとして書き下ろされ、先日配信リリースされた「POP SONG」と新曲の「ETA」が収められる。
今回のインタビューでは、「M八七」の制作背景を中心に、2年ぶりに開催されるツアーへの思いや、若い世代へと伝えたいメッセージなどについて話を聞いた。
取材・文 / 柴那典
若い世代に対して“祝福”を与えなければ
──「シン・ウルトラマン」主題歌のオファーを受けたときの印象はどんなものでしたか?
びっくりしましたね。劇場で何度も観るくらい「シン・ゴジラ」が好きだったので、庵野さんと樋口さんによって「シン・ウルトラマン」が作られると知ったときは、普通にいちファンとして映画の完成を楽しみにしていました。まさか自分のところにこういう話が飛び込んでくるとは思っていなかったです。
──米津さんは「エヴァンゲリオン」シリーズなど庵野秀明さんの作品には小さい頃から触れてきたんですか?
子供の頃に「ふしぎの海のナディア」の再放送を観ていたことをすごく覚えています。「エヴァンゲリオン」は中高生くらいの頃に後追いで知って好きになって、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」も新劇場版も何回も繰り返し観て、庵野秀明さんにリスペクトがすごくありました。
──「ウルトラマン」シリーズについてはどうでしょうか? 親しみはありましたか?
幼稚園くらいの頃にすごくウルトラマンが好きだったらしいんですけど、あまり覚えていなくて。ソフトビニール人形を持っていたし、当時までのウルトラマンの名前を全部言えるような子供だったらしいです。でも、そのことはまったく覚えていないし、幼稚園以降はウルトラマンというものをそれほど通らずに育ってきた。ウルトラマンというものに対する距離感はそのくらいにはなってしまうんですけれど、そういうことも含めて曲を作っていこうと考えました。つまり自分がウルトラマンというものを覚えていないというところを立脚点にしようと。それが自分なりのウルトラマンに対する姿勢で、逆に言うとそこを経由しないと、この作品の主題歌はできないだろうと思いました。
──その立脚点というのは、つまり、子供の頃にはウルトラマンという存在に馴染みがあったけれど、大人になった今はその成り立ちや物語を細かく記憶しているわけではないということですよね。そういう米津さん自身の経験が、どんな着想に結び付いたんでしょうか?
ウルトラマンというのは、地球に対してなんらかの害を及ぼすものと戦って、地球を防衛して、市井の人間を庇護する存在であるわけですよね。それはある種、祝福を与えるものでもあると思うんです。自分は子供の頃、それこそ庇護される対象だったわけだし、いろんな祝福を受けて生きてきた。覚えてはいないけれど、そのうちの1つにウルトラマンがあったはずなんです。ただ、子供の頃に見聞きしたものすべてを大人になっても覚えているわけではないですよね。「パプリカ」のインタビューでも言ったかもしれないですけど(参照:「パプリカ」インタビュー)、「パプリカ」を歌ったり踊ったりしていた子供たちも、大人になったときにみんながみんなそのことを覚えているわけじゃないと思う。ひょっとしたら、ものすごく少ない人の記憶にしか残らないかもしれない。ただ、そうだったとしても、その体験自体はなくなるわけではない。それと同じで、自分がウルトラマンを好きだったという事実は、記憶の底のほうに沈殿してしまっているのかもしれないけど、そこを土台に1つひとつ人間性を積み上げていって、それが今の自分につながっている実感があるんですよね。だから自分が「シン・ウルトラマン」の主題歌を書くにあたっては、自分が子供のうちから受けてきた恩恵や祝福があること、そして自分もそういう祝福を今の若い世代に対して与えなければいけない立場であるということを考えました。自分の過去にも未来にも、そういう存在が確かにいる。そういう祝福の連鎖を書きたかったんです。
米津玄師とウルトラマンの共通点とは
──楽曲制作は「シン・ウルトラマン」の脚本や資料を受け取ってから着手したんでしょうか?
脚本を受け取って、ラッシュを観ながら、作品のテイストに似合う音楽はどういうものかを探っていきました。
──映画のストーリーからどんなインスピレーションを受けましたか?
ウルトラマンは人間を庇護する存在ですが、人間は勝手なもので、強大な力を前にそれを利用しようとする。ウルトラマンは自分を利用しようとする人間と怪獣との間で板挟みになりながら、それでも自分自身の信念や意志に基づいて、地球や人間を守ろうとするのがカッコいいと思いますよね。孤独な戦いを強いられながらも、強く優しくある姿というのは、この曲を作るにあたって重視したことかもしれないですね。
──この曲の歌詞には「僕」という一人称がAメロに、「君」という二人称がBメロとサビに登場します。曲の中で対話がなされているような構造になっているように思うんですが、そういう曲にしたのはなぜでしょうか?
「シン・ウルトラマン」は、現代に初代ウルトラマンをよみがえらせることがコンセプトの1つになっていると思うのですが、それはいったいどういうことなのかを考えました。庵野秀明さんがこの映画を企画するにあたってどういう気持ちで臨んだかを書かれた文章を読んだんですけれど、そこには、昔のものをよみがえらせつつ、大人の視聴に耐えうるものを目指すとか、ノスタルジーを大事にしたいとか、いろいろ印象的な言葉があって。それを読んでいると、昔の自分に思いを馳せるというところからはどうしても逃れられない気がしたんですね。もちろん、それは昔の自分におもねるということではなくて、それを経由したうえで今の自分が100%喜ぶものを作るということである。とはいえ、子供の頃に見たものを今よみがえらせるというのは、昔の自分との対話のうえで成り立つもので。そういうところから、この曲の中でも「僕」と「君」が対話して、それをどう昇華するかという内容に自然となっていきました。
──この曲には「過去の自分との対話」というモチーフがあるわけですね。そのことは、先ほど米津さんがおっしゃった「子供の頃に受け取った祝福を今は与える側にいるという感覚」と結び付いたものでしょうか?
そうですね。タイアップ曲を書くときは、いつも作品と自分の共通点を探していくところから始まるんです。そういう意味で言うと、ウルトラマンほど殊勝な存在ではないと思うんですけれど、自分も31歳になって、さほど若者でもなくなってきた。自分のためだけに音楽をやっていてもしょうがないと思うことや、なんらかの社会的な意義が自分の活動のうえに乗ってないと満足できないように感じることも増えてきて。そういう意味では、何かを守ることや庇護することと、下の世代に伝えていくということに、遠からず共通する部分はあると思ったんですよね。今、自分より若い世代に対して自分なりに言えることがあるとすれば、それを断定するような強い言葉で伝えるべきであると。それが、自分にとってウルトラマンとリンクする部分になりました。
──「君が望むなら それは強く応えてくれるのだ」など、歌詞にはまさに断定的な言葉がありますね。曲自体にも強さというものをどう美しく描くかという挑戦があるように思います。
基本的に、自分は強い言葉を使うのを避けがちなんです。そういうものには力が宿るし、なんらかの責任を負うことになるじゃないですか。ウルトラマンは、この星にやってきたとき、あることをきっかけに地球を守ることに決め、責任を負うところから始まる物語なんです。それとも遠いところでつながることだと思って、自分が言ったことに責任を取ろうと考えました。断定的な口調で、自分の意志をきっぱりと音楽にする。それは、「シン・ウルトラマン」の曲を作るうえでも、自分の人生においてもすごく重要なプロセスで、それが一番いい形なんじゃないかと思いました。
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タイトルが「M78」から「M八七」になった理由