米津玄師|音楽と真摯に向き合い歩み続けた10年 米津をリスペクトする5組によるプレイリストも

2012年5月16日に1stアルバム「diorama」でデビューした米津玄師。音楽ナタリーでは米津がデビュー10周年を迎えたことを記念して、その活動をまとめた10年分の年表とデビュー当時から彼にインタビューをしてきた音楽ライター・柴那典によるレビュー、本人に行ったミニインタビュー、そして米津をリスペクトするAyase(YOASOBI)、syudou、須田景凪、菅田将暉、Vaundyの選曲によるプレイリストからなる特集を企画した。変化を恐れず着実に歩みを進め、インターネット発アーティストの第一人者としてその地位を確立し、日本を代表するミュージシャンに成長した米津の10年を振り返る。

取材・文 / 柴那典年表作成・構成 / 清本千尋

米津玄師、変化し続け、歩みを止めなかった10年

2012

5月16日

本名の米津玄師名義で初めてのアルバム「diorama」をリリース。全曲にわたり、作詞・作曲・アレンジ・演奏・ミックスを自身で手がけ、アートワークとMVもすべて1人で制作した。

「diorama」ジャケット

2012年、米津玄師はすでにネットシーンにおいて確固たる支持を獲得していた。2009年に「ハチ」名義でニコニコ動画にボーカロイド楽曲の投稿をスタートし、「マトリョシカ」や「パンダヒーロー」「結ンデ開イテ羅刹ト骸」など多数のヒット曲を連発。シーンを代表するボーカロイドプロデューサーの1人となっていた。米津玄師名義での初のアルバム「diorama」は、そうした当時の人気ボーカロイド曲を一切収録せず、本名を名乗り、すべての曲を自ら歌う作品として完成させた1枚だ。作詞、作曲、編曲、ミックスだけでなくアートワークのイラストや動画制作も自ら手がけ、構想から完成までにかかった時間は約2年。その後のインタビューで自らの“故郷”と語ったボーカロイドシーンをあえて離れ、生身の自分をさらけ出すことで新たな境地に踏み出す挑戦から、米津のキャリアは始まった。

2013

4月3日

1stシングル「サンタマリア」をUNIVERSAL SIGMAよりリリースすることを発表。

4月24日

「サンタマリア」のMVを公開。本人が出演し、手描きの絵本も登場した。

5月29日

1stシングル「サンタマリア」をリリース。本作にて初めてサポートミュージシャンを迎え、スタジオレコーディングを実施した。

「サンタマリア」ジャケット
9月30日

「MAD HEAD LOVE」のMVを公開。

10月12日

「ポッピンアパシー」のMVを公開。

10月23日

2ndシングル「MAD HEAD LOVE / ポッピンアパシー」をリリース。同時にハチ名義で2010年に発表したアルバム「花束と水葬」「OFFICIAL ORANGE」の全国流通盤をリリースした。

「MAD HEAD LOVE / ポッピンアパシー」ジャケット
10月28日

ハチ名義による新曲「ドーナツホール」をYouTubeとニコニコ動画で発表。11月13日に配信リリース。

2013年、米津玄師はシングル「サンタマリア」でメジャーデビューする。それは、「箱庭」を意味するタイトルの「diorama」も含めてそれまでたった1人で制作活動を行ってきた米津にとって、他者と交わる開かれた場所で音楽を作っていくことへの決意表明でもあった。この曲を機に米津は、普遍的な美しさを持つポップソングを作り、それを聴き手に届けるという明確な意志を持つ。それは「表現への向き合い方が大きく変わった」と語る転機でもあった。「サンタマリア」からはバンド形式でのレコーディングにもトライし、シングル「MAD HEAD LOVE / ポッピンアパシー」の制作には、旧友でもあるギタリストの中島宏士のほか、ベーシストの須藤優とドラマーの堀正輝が参加。この3人は現在に至るまで長らくライブをともにするメンバーになる。

2014

2月15日

2ndアルバム「YANKEE」のリリースと初ライブの開催を発表。

3月15日

「リビングデッド・ユース」のMVを公開。

3月27日

「アイネクライネ」が東京メトロのテレビCMソングに決定。

4月1日

「アイネクライネ」のMVを公開。米津自身による手描きアニメーションも話題となった。

4月23日

2ndアルバム「YANKEE」をリリース。アルバムタイトルでは、ニコニコ動画での活動からJ-POPシーンへと移行したことを「YANKEE」(=移民)と表現した。

「YANKEE」ジャケット
4月24日

「WOODEN DOLL」のMVを公開。

6月27日

1stワンマンライブ「米津玄師 Premium Live “帰りの会”」を東京・UNITで開催。550人のファンの前で初ライブを行う。

「米津玄師 Premium Live “帰りの会”」の様子。(撮影:中野敬久)
12月2日~11日

「米津玄師 LIVE 帰りの会・続編」を開催。

米津玄師「LIVE 帰りの会・続編」LIQUIDROOM公演の様子。(撮影:中野敬久)

2014年に発表された「アイネクライネ」は、蔦谷好位置が共同編曲者として参加。活動開始から一貫してセルフプロデュースを行ってきた米津玄師が初めて外部プロデューサーを招いて制作した1曲となった。東京メトロの広告キャンペーンに起用され、初のタイアップソングとなったこの曲への注目度もあり、「YANKEE」はオリコン週間アルバムランキングで2位を記録。アルバムがヒットしたことだけでなく、この年の6月に初のワンマンライブ、12月に初のツアーを開催したことも、キャリアにおける大きなターニングポイントとなった。当初はライブに対して積極的ではなかった米津だが、ステージで身体性をもってパフォーマンスし、オーディエンスに向き合った経験はその後の大きな糧になったはずだ。

2015

1月7日

「Flowerwall」のMVを公開。

1月14日

3rdシングル「Flowerwall」をリリース。

「Flowerwall」ジャケット
2月5日

「Flowerwall」がニコンD5500「これがウチの一眼レフ」のCMソングに。

4月1日~28日

ライブツアー「米津玄師 2015 TOUR / 花ゆり落ちる」を開催。

「米津玄師 2015 TOUR / 花ゆり落ちる」最終公演の様子。(撮影:中野敬久)
8月2日~28日

初めて夏フェスに出演。「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015」「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2015 in EZO」「MONSTER baSH 2015」「SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2015 -20th ANNIVERSARY-」に登場した。

8月21日

「アンビリーバーズ」MVを公開。楽曲はMV公開前に夏フェスにて初披露された。

9月2日

4thシングル「アンビリーバーズ」をリリース。

「アンビリーバーズ」ジャケット
9月11日

「フローライト」のMVを公開。

10月1日

「アンビリーバーズ」がミズノ「WAVE ENIGMA 5」テレビCMソングに。

10月7日

3rdアルバム「Bremen」をリリース。チャート3冠。同年末「日本レコード大賞」で優秀アルバム賞を受賞した。

「Bremen」ジャケット
10月8日

「メトロノーム」のMVを公開。「アイネクライネ」以来となる米津による手描きアニメーションのMVとなった。

11月4日

RADWIMPSの対バンツアー「10th ANNIVERSARY LIVE TOUR RADWIMPSの胎盤」の初日公演に出演。

「Flowerwall」リリース時のアーティスト写真。(撮影:中野敬久) 「アンビリーバーズ」リリース時のアーティスト写真。(撮影:中野敬久)

2015年は4月にツアー、8月に野外フェス初出演と精力的なライブ活動を続けた米津。夏フェスのステージでも披露していたのが9月にシングルとしてリリースされた「アンビリーバーズ」だ。ギターを使わず、高揚感あふれるエレクトロニックなサウンドに挑んだこの曲では「僕ら」という言葉を歌詞に用いており、米津が聴き手の思いを代弁し、人々を引っ張っていく役割を担おうという意志を明確に表した初めての楽曲にもなった。「アンビリーバーズ」も収録されたアルバム「Bremen」は、オリコン週間アルバムランキング、Billboard週間ランキングで1位を獲得。11月には敬愛するRADWIMPSからの誘いを受け、初の対バンライブへの出演も果たした。ライブとリリースを重ね充実した活動の中で着実に飛躍を果たした1年となった。

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2016年~2019年