SUPER BEAVERはどのように形作られたのか?さいたまスーパーアリーナ公演を前に語る、8つのターニングポイント (2/3)

③遠征先でのホテルの取り方を変えた日(2011年)

柳沢 僕からは、ライトでちょっといい話を。メジャーにいた頃はホテルとかもスタッフの人が取ってくださっていたので、そのホテルにみんなで泊まり、夜はみんなでごはんを食べに行って、次の日になったら集合して会場に行く、そしてライブが終わったらみんなで一緒に移動する……というのがルーチンになっていたんですよ。4人で1台の車に乗って全国を回るようになってからも初めはそうしていたんです。だけどよくよく考えたら、着いた先での過ごし方やお金の使い方ってそれぞれ違うじゃないですか。それに、当時はみんなアルバイトしていたから、稼ぎも違っていて。そんな中で「俺は夜は打ち上げに出て飲みたい」というメンバーもいれば、「俺はホテルでちゃんと寝たい」というメンバーもいるし、「俺はホテル取らなくても車の中とか漫喫でちょっと仮眠すれば十分」というメンバーもいる。だったら、無理に合わせないほうがいいんじゃないか、という話になったんです。それであるタイミングから、現地に着いたら駐車場で解散することにして。宿は各々で取るし、なんなら取らなくてもいい。ルールは「遅刻をしない」「ライブに支障をきたさない」ということだけ。あれはけっこういいシステムだったと思っていて。ただでさえ毎日のように一緒にいるのに、無理やりみんなで一緒に行動する必要なんてないじゃないですか。それぞれのやり方を尊重するいいシステムだったと思いますね。

柳沢亮太(G)

柳沢亮太(G)

──ライトな話のようで、バンドの人間関係の部分につながるとても深い話ですね。

柳沢 そうなんですよ。長く、ストレスなく、健全にバンドをやるための考え方が身に付くきっかけだった気がします。ただ、みんな同じような値段でホテルを探してるはずなのに、俺の部屋だけなんだかオンボロだな?みたいなこともたまにあるんですよ(笑)。

上杉 お互いのホテルに対していろいろ言い合ったりね(笑)。

柳沢 そうそう。ホテル探しのセンスが問われるシステムでもありました。

④現マネージャーから声をかけてもらった日(2013年)

藤原 レーベルや事務所を離れてからは本当に自分たち4人だけだったので、柳沢が窓口になって、お世話になっていたライブハウスの人に電話して改めて挨拶をしに行ったり、車を買って4人で交代で運転しながら全国を回ったり、グッズも自分たちで作ったり……というふうに活動していたんです。

──そして2012年には自主レーベル「I×L×P× RECORDS」を立ち上げました。

藤原 「やっぱりCDも作りたいよね」という話になって、自主レーベルを立ち上げたんですけど、CDを作るためにはどういう工程があるのか、どこにお金がかかるのか、エンジニアさんにはどうやってお願いしたらいいのか、そういう部分も知る必要があったので、周りの方に電話で聞いて教えてもらったりしてたんです。そんな中で「支払いは、CDが売れてまとまったお金ができてからでいいよ」と言ってくれるエンジニアさんや、ジャケットを作ってくださる方がいて……いろいろな人にお力添えいただいて、宝物のようなCDができました。僕らはお金がないし、ツテもないから、発売日にプロモーションができなかったんですけど、せめてお世話になった皆さんにありがとうと伝えられないかということで、「安酒ですけど、ごちそうします」と居酒屋に皆さんをお呼びして。そのときに「自主レーベル、大変じゃない? 最近困ってることある?」と声をかけてくれたのが、当時プレスで関わってくれていた、今のマネージャーの永井優馬だったんです。そこで「お金がなくて困ってる」と言ったら、「じゃあeggmanにレーベル作って、一緒にやろうよ!」と言ってくれて。それがきっかけで僕らはインディーズアーティストに戻ったんですよね。今もeggmanでやらせてもらってますし、あの日はターニングポイントだったと思います。

──ピンチのときに手を差し伸べてくれた人のことは、やはり強く覚えているんですね。

藤原 そうですね。本当に、人にすごく生かされているので。

渋谷 いい話でしたね。こうして振り返ってみると、やっぱりみんな、それぞれならではのエピソードが出てくるなと思います。

SUPER BEAVER

SUPER BEAVER

SUPER BEAVER

SUPER BEAVER

⑤柄シャツに初めて袖を通した日(2014年)

──こちらは渋谷さんならではのエピソードですね。

渋谷 はい。これはデカいターニングポイントだったと思います。それまではTシャツでライブに出てたんですけど、何かのライブのときに、「真ん中に立ってる人間が地味なのって悪だな」と思っちゃったんですよ。どのライブだったか忘れちゃったんですけど……。何を思ったのか柄シャツを買ってきて、3人に見せたんです。「俺、これを着てライブやろうと思うんだ」って。そしたら3人とも「うわあ……えー……まあ……いいんじゃん?」って反応で(笑)。

上杉 最初は「マジか」って思ったもんな(笑)。

柳沢 今でこそ派手な柄シャツを着てるんですけど、最初はちょっと地味な柄シャツだったんですよ。

渋谷 茶色ベースに、ちょっと水色が入ってるみたいな。

柳沢 そうそう。こういう言い方したらあれだけど、おじさんががんばって柄シャツ着てるみたいだったの(笑)。

渋谷 ひどい!

上杉 持ってきたシャツがよくなかったよね(笑)。

渋谷 だけどあのシャツに袖を通した日から、「ボーカル渋谷龍太」から「フロントマン渋谷龍太」に変わったんですよ。僕はピンボーカルだし、歌が歌えること、歌が上手なことは超絶当たり前。その1歩先にいないことにはバンドのフロントマンは務まんねえなってすごく思ったし、「このヤバいシャツに着られてるようじゃマズいな」「見た目にそぐう中身を持った人間にならなきゃいけない」って意識が変化した。そのマインドのまま今日まで来ています。

柳沢 柄シャツ歴ももう10年近いよね。

渋谷 10年超えてる。1年くらい前に糸井重里さんと一緒にごはんを食べたときに、すごくうれしい表現をしてくださって。「渋谷くんは、写真とか絵画じゃない。渋谷くんはイラストだから」って言われたんですよ。最初、意味がわからなかったから「すみません、全然理解が追いつかなくて。どういうことなんですか?」と聞いたら、「そもそもイラストが何かわかる?」と言われて。「いや、わからないです」と答えたら、「色を濃くしたり、形を大きくしたり、わかりやすいように全部を誇張して描いてるのがイラストなんだよ」と言われたんです。

柳沢 あー、なるほど。

渋谷 「僕から見た渋谷くんはそういう人間。すべてがわかりやすく、露骨に表現されてるような人間だから、あなたはイラストの人なんだよ」って。そう言われてからもう1個吹っ切れましたね。あ、俺はイラストでいいんだ、って。

上杉 糸井重里さんはやっぱりすごいね。

渋谷 そんなこと言われたのは初めてで。柄シャツに袖を通した日と糸井さんにイラスト人間だって言われた日、その2つはフロントマンとしての加速装置だったかもしれないですね。