Vaundy「replica」インタビュー|令和に提案する新しいポップスとは (2/2)

歌がうまくならないと、いいメロディは生み出せない

──アルバムには日本のポップミュージックのレベルを何段階も押し上げる楽曲が並んでいると思うんですが、同時にVaundyさんのボーカリストとしての急速なアップデートも感じました。「カーニバル」のおどろおどろしいボーカルだったり、「美電球」の聴き手を翻弄するような浮遊感のある声だったり。ラストトラック「replica」のシャウト混じりのボーカルも印象的です。

「replica」は僕が好きなデヴィッド・ボウイを意識してます。「replica」の原点にはデヴィッド・ボウイが色濃くありますね。あと、NirvanaとかOasis。

──「ZERO」のサウンドはまさにOasis感がありますよね。

そうですね。そういった音楽をちゃんと令和に置き換えていかないといけない。あと細野晴臣さんも好きなので、細野さんの影響も入ってると思います。細かく聴いていくと、僕が影響を受けてきたいろんな音楽が入っていると思いますね。その人たちの影響を受けた曲をそのまま歌うと、間抜けなカバーになってしまうので、僕のものにするためには僕の歌も変わらなきゃいけないんです。でも、曲によって歌い方を変えるのは当たり前だし、自分としては変えた意識もないんですよね。僕はもともと歌い手をやっていて、歌い手っていろんなジャンルの曲を歌い分ける力を持ってなきゃいけないので、そこで鍛えられたのかもしれないです。自分がマルチジャンルの音楽をやる以上、それに対応する歌い方ができる。ただ、やっぱりアイデンティティの部分は投げ捨てないようにしてます。自分のアイデンティティのすべてを把握しきれているわけではないんですが。「これがVaundyだ」というアイデンティティは、リスナーに感じてもらうものなのかもしれません。

──それもポップスの1つの要素ではありますよね。

そう。でも、リスナーに甘えすぎてはダメなんですよね。特にある程度ネームバリューのあるアーティストになると、「この人の作品だから好き」というふうに思ってもらえる。それで全然いいと思うんですけど、だからこそアーティストは自覚を持ってカッコいいものを作らなきゃいけない。なので、僕はいろんなことに挑戦できるタイアップを大事にしています。タイアップはいろいろな外枠をくれて、そこにはめるためには試行錯誤をしなきゃいけない。僕の場合は曲をデザインだと思って作っているので、自然と外枠に当てはめて曲を作ってはいるんですが。

──今話していて、デヴィッド・ボウイは常に自分で設けたタイアップ曲を作ってる感覚だったのかもしれないと思いました。

そう。デヴィッド・ボウイは“擬態”のアーティストだから。擬態してるんだけど、姿を隠し切れてないカメレオンみたいな(笑)。カメレオンって擬態してても、よく見ると「カメレオンだ」とわかるじゃないですか。僕もそれに近いかもしれない。デヴィッド・ボウイの歌い方は1つのアイデンティティだし、しかも歌詞や音楽を超えたものがある。そして、ボーカリストとしてしっかりとした基礎力がある。僕はそういう人になりたいんです。僕、自分の歌がうまいと思ってないんで。

──えっ、最初ライブで見たときから「すごくうまい」と思いましたけど。

マジでもっとうまくならないとダメだと思ってます。いいメロディを作りたいなら、歌がうまくないとダメなんですよ。歌の能力があって音域や表現の幅も広い人は、いいメロディが引き出せるんです。だからもっと歌がうまくならないと、いいメロディは生み出せないと思ってます。今の僕の歌は、音楽家として必要なものは持ってるレベル。でも「彼にしか歌えない歌だけど、歌いたいと思わせる」というのも音楽家として大事だと思うんですよね。例えばKing Gnuの曲って歌うのはめっちゃ難しいのに、歌いたくなる人がたくさんいる。それはKing Gnu自体の個が確立しているからで、すごいなと思う。カラオケで簡単に歌えて、歌ってる本人と相違がなかったら、音楽としては意味がないと思うんですよ。誰にも真似できないんだけど、真似したくなる、でも本人には勝てないという状態でいないといけない。そのうえで、僕はだんだんレベルを上げていかないといけない。なぜならリスナーが進化していってるから。

──実際「replica」の収録曲ではレベルが何段階も上がってますよね。

上げすぎた可能性もあるかもしれない(笑)。ギリギリのところを攻めたとは思ってます。アルバム全体を楽しんでもらえたらいいですね。シングルだとどうしても1曲で勝負しなきゃいけないから、ある程度わかりやすくはしなきゃいけなくて……そうは言っても、俺の曲はそこまでわかりやすくはないですけど。でもちょっとずつレベルを上げていって、アルバムだからこういう大それたことができるなと思ってやりました。

完全に自己満なので許してください

──例えば、「NEO JAPAN」ではこれまでにないほどストレートなラップをしてますね。

そうですね。ちょっと恥ずかしいです。ラップはあまりできないので悩みました。ラッパーは歌詞から書く人も多いと思いますが、僕はフロウからしか書けないし、そこまで語彙力がないから大変でしたよ。「こんなのラップじゃない」って言われるかもしれない(笑)。

──でも、こういう曲を作りたいという気持ちが勝ったってことですよね?

僕、BUDDHA BRANDの「人間発電所」が大好きで、ああいう曲が作りたいなと思って作ったのが「NEO JAPAN」です。だから、この曲は完全に自己満なので許してください(笑)。「俺もこういうのが作りてえんだ。もうちょっとラップはがんばるから」という気持ちです。

──しっかり楽しめました(笑)。

みんな許してくれるんじゃないかな(笑)。でも、リズム感はあるとは思ってます。ただラッパーの人たちって、リリックの独自性がすごいんですよね。「NEO JAPAN」のリリックは自分としてはがんばったんですけど、もっとがんばらないとダメですね。今のシーンみたいにトラックメイカーがいるラップというよりは、90年代くらいのサンプリング文化の中で生まれたラップを目指しました。ナチュラルでシンプルだけどカッコいいみたいな。しかも、サンプリング元を想起させるトラックを作ってラップするアプローチにしました。ただ、アルバムの中で一番自信がないです(笑)。

──ライミングの面でも、例えば「1リッター分の愛をこめて」の部分はかなり進化を感じました。

「1リッター分の愛をこめて」は「ZERO」にも通じるメロディの直訳に近い歌詞になっていますね。「ZERO」よりちゃんと言葉にはなってるけど。この曲の前半部分は2年前、「1000mlと1lというテーマで何か作品を作る」という大学の課題のためにパッと作ったんです。音に合わせて言葉を入れただけなので、自分でも何を言ってるのかわかってないです(笑)。でも、それが正解だと思ったから全体の歌詞もそのやり方を踏襲して、後半は今年作りました。

この次を作るとしたら、僕の肌感覚にもっと近付けたアルバム

──「常熱」は恋愛感情を歌ったような歌詞ですが、ときめきや興奮といった感情を動悸や熱、血圧という言葉を使ってロジカルに描いているのがVaundyさんっぽいなと思いました。

そうですね。“常に熱”と書いて「常熱」。「平熱じゃいられないほどの毎日を君にあげるよ」という曲なんですけど、歌い出しの「太陽系をちょうど抜けたあたりで思い出した 何億年もループを抜けない旅をしてたような」という歌詞のところは、「僕」が見てる幻覚なんですよ。それで「僕」は目が覚めて動悸がしていることに気付いて、「そのころには、視界にはもう靄がかかっていく 正気を取り戻した。そのころには、その機体はすでに止まっている。」という歌詞がくる。「いつだって君のことは 底なしで触れてたいな 平熱も上がるような毎日をあげるから」と歌ってるけど、実は先に「常熱」をもらっていたのは「僕」で、それで動悸がして熱が出ちゃう。「情熱」と「常熱」のダブルミーニングです。

──「会いたい」「好き」というような普遍的なラブソングのアプローチとは大きく違います。

僕は「好き」という言葉を歌詞であまり使いたくないんですよね。僕の中で「愛してる」は感情が高ぶったときに出てくる言葉で、「殴りたい」と同じ種類というか。一方で「好き」ってけっこう軽く使われてると思うんですよ。「きゅうり好きなんですよー」とか「ハンバーグ好きなんですよー」ぐらいの軽さで。「愛してる」という言葉も、愛という概念を説明するためなら使ってもいいと思うんですけど、ただ気持ちを表現するためだけには使いたくないですね。音楽家だったら、なんで愛してるのかを説明しなきゃいけないと思うんです。君の瞳に映る自分が好きなのかもしれないし、君が僕を見つめたときに浮かべる表情が好きなのかもしれない。もしかしたら熱にやられてるだけなのかもしれないし、自分にしか見せない一面を感じ取ってるのかもしれない。感情には常に何か変化があって、それを拾って僕は曲にしているんです。1つのモチーフがあったら、それをぐわーっと引き伸ばして、引き伸ばした先でちゃんと要約して、言葉詰めにならないように書いてます。歌詞はさっきも言ったように優先順位が高いわけではないんですが、楽曲制作における最後のトッピングなので、そこもうまくなきゃいけない。

──確かに、Vaundyさんの歌詞は解像度が高いですよね。

僕のメロディにはいろんなものが詰まっているからこそ、歌詞もしっかり書かないと薄っぺらく聴こえちゃう。例えば、産地直送のおいしいキャベツにまずいドレッシングがかかってたら、キャベツもおいしくなくなるじゃないですか。曲に見合った歌詞をしっかり書かなきゃいけないんですよ。歌詞以上のものがトラックには詰まっていて、詞より全然制作に時間がかかっていますし。それでもだいたいひと晩で作り終わるんですけど(笑)。

──さすがです(笑)。先ほど、「『replica』の次に作るものがある」と言ってましたが、今具体的に話せることはありますか?

DISC 1がちゃんと伝わって、その次を作るとしたら、僕の肌感覚にもっと近付けたアルバムを作りたいですね。今出している曲はまだ僕の心から1、2メートルぐらい距離が離れているものだと思っていて、それをどんどん近付けていく。よりアーティストの本質に近い、細野さんみたいな曲ができていく気がします。日本の音楽のいいところって、むさ苦しい近さがあり、そして空間を使って切なさを歌えるところだと思っていて。カッコいい粗があるというか。欧米の大衆音楽は限られたプロデューサーが量産することでどんどん形骸化しているので、近付いてもツルツルな平らで、密度がない気がすることがあるんです。日本は汚さのある音でも、しっかり近付いてみると「だからこういう音になってるんだ」という発見がある。その粗をどんどん見せていこうかなって。DISC 1ではすでにそれを出していて、「宮(みやこ)」と「常熱」は僕がドラムもギターもベースも演奏しています。曲を聴いて「ヘタクソな演奏だな」と感じたら、僕の演奏だと思ってください(笑)。

──「常熱」のギターのカッティング、すごい気持ちよかったですよ。

ホントですか? めっちゃ下手ですよ。でも、最近下手なよさみたいなのが世の中からなくなってきてるじゃないですか。

──“うまくしてる”音が多いですよね。

そう、うまくしてる。「宮」と「常熱」はちゃんと粗を見せようぜという2曲。だから超恥ずかしいです(笑)。でも、粗があるからこそ歌詞が正解に近付くんですよ。だって、曲先の人はみんな粗のある音に歌詞を付けてるわけで、その和声とメロディとリズムに乗っているからこその歌詞なのに、編曲でどんどんきれいにしていくから、粗のある音に合わせて付けた歌詞が、平らな音に乗ってしまう。一方、「宮」と「常熱」は粗があるから、歌詞の抑揚の落差が伝わるんですよね。英語は音が細かい言語なので少し離れると粒が平らでリズムは作りやすいけど、日本語はそうじゃなくてデコボコしてるから、歌詞の抑揚の落差をカッコよく付けやすい。その特性をうまく使っていけたらいいなと思ってます。

──まだまだ聞きたいことはあるのですが、あっという間に終了時間になってしまいました……。

あら、ここからが本番なのに(笑)。

──それにしてはとても面白いお話でした(笑)。

よかった(笑)。またよろしくお願いします。

ツアー情報

Vaundy one man live ARENA tour "replica ZERO"

  • 2023年11月18日(土)宮城県 ゼビオアリーナ仙台
  • 2023年11月19日(日)宮城県 ゼビオアリーナ仙台
  • 2023年12月2日(土)神奈川県 横浜アリーナ
  • 2023年12月3日(日)神奈川県 横浜アリーナ
  • 2023年12月9日(土)福岡県 マリンメッセ福岡 A館
  • 2023年12月10日(日)福岡県 マリンメッセ福岡 A館
  • 2023年12月16日(土)大阪府 大阪城ホール
  • 2023年12月17日(日)大阪府 大阪城ホール
  • 2024年1月5日(金)愛知県 日本ガイシホール
  • 2024年1月6日(土)愛知県 日本ガイシホール
  • 2024年1月20日(土)東京都 国立代々木競技場第一体育館
  • 2024年1月21日(日)東京都 国立代々木競技場第一体育館

プロフィール

Vaundy(バウンディ)

作詞作曲、楽曲のアレンジ、アートワークデザイン、映像制作のセルフプロデュースなども自身で担当するマルチアーティスト。2019年6月にYouTubeに楽曲を投稿し始める。2019年11月に1stシングル「東京フラッシュ」を配信リリース。2020年5月に1stアルバム「strobo」を発表した。その後も「怪獣の花唄」「踊り子」「花占い」などヒット曲を連発。2022年の大晦日には「NHK紅白歌合戦」に初出場した。2023年11月に2ndアルバム「replica」をリリース。同月より自身最大規模のアリーナツアー「Vaundy one man live ARENA tour “replica ZERO”」を開催する。現在までに計13曲がサブスクリプションサービスでの累計再生回数1億回を突破。令和の音楽シーンをけん引する存在として支持されている。