音楽ナタリー PowerPush - THE BOOM
関係者証言で紐解くバンドの軌跡
「FACELESS MAN」「極東サンバ」「TROPICALISM-0°」といった作品をリリースし、THE BOOMがもっとも貪欲に世界の音楽を取り込んでいた時期、彼らのライブに常に出演していた南流石。海外公演などにも帯同し、単なる“ダンサー”とは違うアグレッシブな表現力と存在感で多くのファンからも愛された彼女は、その後バンドを離れるも、今回のファイナルでTHE BOOMのステージに復帰。ファンを歓喜させた。
あまりにも濃密な時間を共に過ごし、いったん離れたバンドの最後の瞬間に再び立ち会った心持ちとは?
ずっとオファーを待ち続けていた
──まずはファイナル、お疲れさまでした。すごくいいライブでした。
ありがとうございます。
──THE BOOMの解散の報せを聞いたときは、どんな気持ちでしたか?
もう、とんでもない気持ちですね(笑)。私はしばらくバンドを離れていましたけど、その間も活動の一番大きな糧になっていたのは「もう一度THE BOOMとやるんだ」という思いでしたから。本当は、あの日が来るのをずっと待っていたんです。ファイナルを待っていたということじゃなくて、たまたまそれがファイナルになってしまったけど「もう一度THE BOOMのステージに立って、一緒に1つの音になる瞬間」を待ち望んでいた。それはMIYA(宮沢和史)もよく知っていたし。だから、実はずっとオファーを待っていたんですけど、その前に解散の報せが来てしまって。
──寝耳に水、という感じですか。
そうですね。でも、解散は彼ら自身が決めたことだし、他人が「なんで!?」なんて言うことは決してできない話ですよね。だから、まずはその決断、その事実を自分なりに受け止めることに努めて。解散コンサートがどんなふうになるのか、ましてや自分にオファーが来るか来ないかなんて想像すらできなかったので、「これはもう、最後のコンサートを観に行くことでこの気持ちに決着をつけるしかないな」と思っていたんです。そうしたら「一緒にやろう」と声がかかって。
──オファーを受けてから参加を決断するまで、時間はかかりましたか?
いや、即決。さっきも言ったように、私はずっと「やります!」という状態だったから。たまたまファイナルになったけど、それが4年前でも2年前でも、なんの迷いもなく即決したと思います。とは言え、この先も続いていくバンドのツアーに参加するのとはやっぱり意味合いが違いますからね。そこに自分が参加することの意味や、責任の重さを承知したうえでの決断ではありました。だから、THE BOOMとして最後に何を残すのか、そのために自分がどういう立ち居振る舞いをするべきかということは、それから毎日考えていましたね。
──迷いはないけれども、プレッシャーはあったと。
最後にツアーに参加してから20年近くが経っているわけで、やる前は「これ、実際に体が動くのか!?」という不安もあったんですよ。気持ちは当時と同じでも、やりたいことに体がついてこられるのか……という。かといって、無理なトレーニングをしてケガするのも怖いから、「ファイナルまでは、もうほかのことでは一切体を動かさないようにしよう!」と決めて。THE BOOMのとても大事な日に私が足を引っ張るようなことがあってはならないと思って、試合前のアスリートみたいに用心深く暮らしてましたね(笑)。あとは、もちろん自分自身のアーティストとしての意地で「あの頃とまったく変わってない!」と思ってもらえるような仕事をしようという気持ちも、もちろんあったしね。
──それだけTHE BOOMに対する思いがあるということですもんね。
そうですね。一緒にツアーを回っていた頃から離れていた時期を含めて、THE BOOMは私の中でずっと途切れることなく続いている特別な存在だったから。
平行に歩いてきた道がクロスした
──南さんはTHE BOOMのどこに一番惹かれてきたんですか?
そうですね……バンドに参加しなくなってからもMIYAをずっと見てきたけど、彼は“自分のために”音楽を作っているわけじゃないんだと思うんです。自己表現や自己満足じゃなく、作り手として徹頭徹尾、社会や他者に向き合っている。「俺を見ろ!」「俺、カッコいいだろ!」みたいなことじゃなくてね。すべてが社会に向かって発信している言葉であり、音で。音楽性こそ大幅に変化を繰り返してきましたけど、彼のアーティストとしての姿勢はずっと一貫していると思うんです。それが自分の踊り手としての生き方とすごくリンクしてるなと、私は昔から感じていて。私、前にバンドを離れるとき、「これからはお互い、音楽と踊りという違う道を歩んでいくけれど、今の生き方をずっと続けていれば、必ずまたどこかでリンクすると思う」というようなことをMIYAに言ったんですよね。
──それは、お互いの表現者としての姿勢が同じだからということですよね。
そうそう。それで平行な道を……距離は離れていてもずっと同じ歩幅で歩いてきた結果、最後にまた道がクロスしたというのは最高に幸せなことだと思ってます。
──そのファイナルを前にして宮沢さんとひさしぶりのレッスンに入ったと思いますが、どんな感覚でしたか?
とてもいい時間でした。出会って一番初めに「FACELESS MAN」のツアー(1993年)に参加したときと同じフィーリングでやれましたね。あのツアーのときは、とにかく毎日2人でスタジオに入って練習していたんですよ。ミュージカルタッチの構成だったので複数のダンサーがいたんですが、マッチ棒をいくつも立てて彼らの立ち位置を確認しながら、踊りのフォーメーションや振りをすごく綿密に、一生懸命作って。その次のツアーくらいからは“お任せ”になったんですけど、今回は最初のときと同じように、MIYAがすべてのダンスレッスンに立ち会ったんですよね。珍しいジャージ姿で、なおかつ誰よりも最初にスタジオに入ってる彼がいて。それで、何から何まで「南さん、ここはどうしたいと思ってる?」みたいに相談してくるんです。完全に任せてもらうのもいいけど、「一緒に1つのものを作り上げる」ということが一番理想的だと私は思っているので、それをもう一度やれたことがとてもうれしかったですね。
一緒に扉を開けてきた
──「FACELESS MAN」ツアーのお話が出ましたが、今よりはるかに巨大だった当時の音楽産業の中で、100万枚売ってるバンドのフロントマンがあれだけ縦横無尽に踊るというのは異例中の異例だったんじゃないかと思うんです。しかも、そのフロントマンの前でダンサーがガンガン踊るという。
あの頃って、音楽界に“バックダンサー”という人は少しずつ出始めていたけど、まだそんなに多くはないし、いてもコーラス兼用とか、にぎやかし程度の扱いだったんです。そんな中、私は当時から「音楽の一部になりたい」という志でやっていたから、そもそもバックダンサーなんてやるつもりは一切なかったんですけど、それが受け入れられないつらさも感じていて。でも、MIYAはそうじゃなかった。海外でミュージカルも経験していたせいか、発想が早かったんでしょうね。ラジオで出会っただけの私に「ライブでこういうことをやってほしい」っていう、ドンピシャのオファーをしてきたんです。あれはすごく大きな喜びだった。
──南さんの理想やそのとき感じていたジレンマに、宮沢さんの求めてきたものがピッタリ合致したんですね。
そうです。当時のファンや制作スタッフの間でも「ちょっと、ダンサーなのに前に出すぎじゃない?」と思う人はいたと思うんですけど、誰よりもまずMIYAがそれをやろうとしたんですよね。「コンサートにダンスって何?」みたいな時代の扉を、私はなんとかして開けたかったんですけど、MIYAとTHE BOOMのチームはその扉を一緒に開けて、いろいろな挑戦をしてくれた。特に、ボーカリストであるMIYAがそこに果敢にトライしてくれる姿は、私やほかのダンサー陣にとっては、本当にかけがえのないものでした。離れている期間も私の中で何も終わっていなかったのは、そういう濃い時間を過ごした仲間だという意識があったからなんだと思います。あと、ファンクラブの会報もずっと送られてきてたし(笑)。
──会報は毎月送られてきますもんね。
そう。なので、私は離れている間も、彼らのその月の予定から何から、すべてをずっと見ていたんですよ。普通にファンクラブの人として(笑)。
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Contents Index
- Blu-ray / DVD「THE BOOM FINAL」2015年3月18日発売 / よしもとアール・アンド・シー
- 「THE BOOM FINAL」初回限定盤
- 初回限定盤 [Blu-ray Disc 3枚組] 10000円 / YRXN-80000 / Amazon.co.jp
- 初回限定盤 [DVD4枚組] 9000円 / YRBN-80143 / Amazon.co.jp
- 「THE BOOM FINAL」通常盤
- 通常盤 [Blu-ray Disc 2枚組] 6000円 / YRXN-80003 / Amazon.co.jp
- 通常盤 [DVD3枚組] 5500円 / YRBN-80147 / Amazon.co.jp
収録内容
- 島唄
- YOU'RE MY SUNSHINE
- Human Rush
- TOKYO LOVE
- berangkat-ブランカ-
- いつもと違う場所で
- そばにいたい
- 月さえも眠る場所
- モータープール
- 10月
- 光
- 釣りに行こう
- おりこうさん~ないないないの国~都市バス~過食症の君と拒食症の僕~逆立ちすれば答えがわかる~雨の日風の日
- 蒼い夕陽
- TROPICALISM
- 手紙
- I'm in love with you
- この街のどこかに
- 不思議なパワー
- 風になりたい
- 真夏の奇蹟
- 世界でいちばん美しい島
- シンカヌチャー(THE BOOM ver.)
- 星のラブレター
- 明日からはじまる
- 愛のかたまり
- ドキュメンタリー映像
- 渋谷公会堂ライブ(※初回限定盤のみ)
- 写真集「THE BOOM LIVE 2014」
- 2015年3月18日発売 / 3000円 / オールカラー128ページ
- 2015年3月18日発売 / 3000円 / オールカラー128ページ
THE BOOM(ブーム)
宮沢和史(Vo)、小林孝至(G)、山川浩正(B)、栃木孝夫(Dr)の4名で1986年に結成。原宿ホコ天でのストリートライブ活動を経て、1989年にアルバム「A Peacetime Boom」でメジャーデビュー。1993年に発表した「島唄」は国内のみならず世界各国でカバーされるなど幅広い支持を得た。バンドは結成以来不動のメンバーで活動を続けたが、2014年12月の日本武道館公演を最後に解散。このライブの模様は「THE BOOM FINAL」としてBlu-ray / DVDで2015年3月にリリース。
南流石(ミナミサスガ)
ダンサー、振付師。幼少時からさまざまなジャンルのダンスを実践し、オリジナリティあふれるパフォーマンスでプロのダンサーとして活躍。1980年代にはJAGATARAにコーラス兼ダンサーとして参加した。その後、振付師として真心ブラザーズ、GLAY、大塚愛、PUFFY、ヒャダイン、乃木坂46など数多くのアーティストの振り付けやステージ演出を手がけるほか、自身もTANGOS、Rabbitといったグループで活動。現在はクリエイティブダンスチーム「流石組」を率いて幅広い活動を行っている。