TAKURO|“ギタリストTAKURO”の可能性を追求する、終わりなき旅路

GLAYのTAKURO(G)が2月27日に2ndソロアルバム「Journey without a map II」をリリースした。

2016年12月に1stソロアルバム「Journey without a map」をリリースし、ソロプロジェクトを始動させたTAKURO。2ndアルバムは前作同様にB'zの松本孝弘(G)をプロデューサーに迎え、アメリカ・ロサンゼルスでレコーディングされた。今作にはGLAYが2007年にリリースしたシングルの表題曲「鼓動」のセルフカバーを含む全10曲を収録。音楽ナタリーではTAKUROにインタビューし、GLAYとは異なる楽曲の制作方法や、「一生忘れられない」という3週間にわたる松本とのレコーディングについて語ってもらった。

取材 / 中野明子 文 / 中川麻梨花 撮影 / Shin Ishikawa(Sketch)

ソロ活動は“修行”

──2016年12月に1stソロアルバム「Journey without a map」をリリースしたとき、その後も継続的に作品を発表したりツアーを行っていくという構想はありましたか?

TAKURO

当初の構想を端的に言うならば、80歳、90歳になっても町のどこかの小さなクラブでギターを弾いていたいという思いはありました。そのあと実際にアルバムをリリースしてツアーを回ったときに、新たにツアーメンバーの才能を目の当たりにして。みんなのプレイに触発されて、自分のプレイがどんどん進化していくのがわかった。そこで味をしめたわけじゃないけど……GLAYのようなポップミュージックの中では、濁った音を入れたり16小節あったものをいきなり倍にしたりすることはなかなかできないし、CDを作るとなると普通は1曲につき3分ほどのフォーマットで考えるわけです。でも、ソロライブでお客さんの顔を見ていると、「10分だっていいじゃない」ということも許されるんだなと思って。

──ジャズやブルースは、ライブでの生セッションが醍醐味ですしね。

時間を気にしてCD通りにプレイしたこともありましたけど、周りの人に「自由な雰囲気のほうが観ていて楽しいですね」と言われて、なるほど、その土地によって曲順や曲の長さを変えたっていいんだと。予定を決めずに、知らない街でちょっと迷子になってみようぜという。それこそが俺が求める“修行の場”なんです。

──ソロ活動は“修行”なんですか?

「Journey without a map」シリーズはどこまで行っても、修行という範囲から逃れられないと思う。ギターというものの奥深さにいつも打ちひしがれるし、そのスタイルには終わりがない。松本(孝弘)さんとギターの奥深さや本質について話していると「俺ってギター弾けないんじゃないか?」「俺が弾いているのはただ楽器を鳴らしているだけであって、“ギターを弾く”という行為はまだまだ遠い先にあるんじゃないか?」と感じることもある。今回松本さんが提供してくれた「北夜色 Port Town Blues」という曲が、デモの段階でTAK MATSUMOTO印が強くてすさまじいものだったんですよ。「このまま松本さんが出せばいいじゃないですか」って本人にも言ったんだけど、「これはお前にあげるやつだから」と返されて。ほかの曲は自分の思いやストーリーが反映されている部分もあるけれど、この曲はただのギタリストとして弾く曲だから、弾きこなすことの難しさはありました。

ソロギタリストとして表現するもの

──「Journey without a map II」は1枚を通して、ものすごく気持ちよく聴けるアルバムになりましたね。

“気持ちがいい”というのは、インストをやっている者が一番欲しい言葉じゃないですか。例えば僕がThe Rolling Stonesのアルバムを聴くときにいつも感じるのは、ベーシックがブルースで一貫しているから、アルバムを通してずっと同じ印象で聴けて気持ちがいいということ。GLAYの場合は1曲ごとにドラマや何か心を揺さぶるものがあってほしいんだけど、インストの場合は通して聴いてもらって「なんかいい時間だったな」と思ってほしい。それがきっと、飲食店とかでジャズがよく使われる理由だろうし。

TAKURO

──歌入りのものは無意識でも頭の中で歌詞などの情報を処理しながら聴くことが多いですが、インストは音にそのまま身を委ねるという感覚ですよね。1stソロアルバムにも共通していることですが、TAKUROさんの作品は聴いていて景色が思い浮かぶなと。

まさに僕は自分が失いたくない時代の景色だったり、昭和から平成、平成からまた新しい時代になるときに変わりゆく景色を音を使ってスケッチしたくて。例えば今回のアルバムで言うと、「DANDY MAN」は特に頭の中に明確な風景があった。1970年代に「サルヴァドール」という伝説のクラブで酔いどれたちが喧々諤々飲みながら騒いでいる、1枚の絵。その風景をただ曲にしただけなので、GLAYの「俺は孤独なんだ」「愛されたいんだ」という赤ちゃんの叫びのような曲とはまた違うタイプの作り方になっています。

──気持ちを軸に歌詞やメロディ、曲の展開を考えていくGLAYでの曲作りとは違って、ソロのインストでは写真や映像を音に落とし込んでいくという。

ロックバンドの連中なんていうのは、独りよがりで寂しがりやで承認欲求の強いやつばかりじゃないですか(笑)。そういった感情を原動力にしているのがロックミュージックだとしたら、僕がソロのギタリストとして表現するのは失われた自分の風景なんです。そこには僕の感情なんてなくて、聴く人がそれぞれ感じてもらえればいい。もともと僕がスーパーミュージシャンたちとのセッションを通じて何がしたかったかと言うと、自分の表現力を上げてGLAYに還元したかっただけなので。