JIRO(GLAY)×JunIzawa(LITE)によるCONTRASTZ始動|異色のツインベースバンド結成の背景

GLAYのJIROとLITEのJunIzawa / 井澤惇によるツインベースバンド・CONTRASTZ(コントラスツ)の始動が、8月27日に突如として発表された。かねてからJIROはインタビューなどで井澤を尊敬するベーシストとして挙げ、親交を深めていることを明かしてきた。しかし、同じ楽器を愛し、弾く者同士ではあるものの、GLAYは歌を軸としたサウンドが主流、一方のLITEはインストゥルメンタルに特化と、同じロックバンドという形態ながらも、それぞれが表現してきた音楽には隔たりがある。そういった音楽面での違いを、2人はどのように融合させ、楽曲に落とし込んでいったのか。CONTRASTZとしての初インタビューとなるこの記事では、2人の出会いから、10月29日にリリースされる1stミニアルバム「CONTRASTZ」の制作まで、さまざまなエピソードについてたっぷり語ってもらった。

取材・文 / 冬将軍撮影 / 加藤純平

律儀なJIRO、人懐っこい井澤

──お二人はカメラマンの橋本塁さんの紹介で出会ったんですよね?

JIRO ええ、塁くんが年1回イベントをやるようになって。その最初の頃だよね、井澤くんと会ったのは。

井澤惇 2006年頃ですね。塁さんが主催する「SOUND SHOOTER」というイベントに僕らLITEが出たんです。写真展とライブをやるイベントで、ライブを終えて楽屋に戻ってダラダラしてたら、塁さんが来て「紹介するよ、GLAYのJIROさん」「え!?」って(笑)。まさかいるとは思ってなかったので「(ダラダラしていて)すみませんでした」というのが、はじめましての瞬間でした。そのあと「SOUND SHOOTER」にJIROさんがTHE PREDATORSとして出演して、その打ち上げのときに初めてちゃんとお話ししました。

左からJIRO(GLAY)、井澤惇(LITE)。

左からJIRO(GLAY)、井澤惇(LITE)。

──JIROさんは、井澤さんのことを知っていたのですか?

JIRO 一緒にイベントに出るときに知ったんですよね。塁くんがLITEをすごく目にかけていて。自分ができることをバックアップしたい、みたいな感じだった。それで塁くんのイベントで会って。井澤くんはすごく人懐っこくて親しみやすかったんですけど、楽曲を聴いたとき、性格と真逆でたまげました。僕はあんまりインストを通ってこなかったので、そういったことも含めて衝撃でした。

井澤 JIROさんとお話ししたときに、すごく優しくしてくれたんです。JIROさんは忘れてるかもしれないですけど、手帳を渡してきて「ここに連絡先書いて」と言われて書いたんですよ。社交辞令で絶対連絡来ないだろうなと思ってたのに、次の日にきちんと連絡をしていただいて。ちゃんと言ったことを守る人なんだなっていう。

JIRO 全然覚えてないですけど(笑)。

JIROがベーシスト井澤に与えた影響

──JIROさん的に、井澤さんに惹かれるものがあったのですか?

JIRO 井澤くんの人懐っこい感じと、やってる音楽がすごく刺激的だったことに衝撃を受けたんで、もうちょっと話してみたいと思ったんですよね。

──ベーシストとしてはどんな印象ですか?

JIRO 今回の制作でまた新たな井澤くんの一面が見えたんですけど、とにかく細かいというのは一緒に釣りやキャンプしていても感じるところで。深掘りの仕方がすごい。例えば僕の場合は、何かに興味を持ったときに楽しそうなエキスを摘出するレベルだけど、井澤くんはすべてを吸収しようとする。さらに自分の考え方と融合させてアウトプットしていく。その探究心がハンパないんですよ。ベースに関してもそうだと思う。

JIRO(GLAY)

JIRO(GLAY)

井澤 自分が初めてのめり込んだものが音楽だったからそのままバンドをやってるし、のめり込んだものをより深くしていくのは音楽でしかやってこなかった。そこはLITEを続けてきて、いまだに変わってない自分のアイデンティティなのかもしれない。そうした中でJIROさんと出会った。GLAYは近い未来から、その先へつなげるためのストーリーが常にちゃんとあるんです。さらに「これをやったらみんなが喜ぶよね」というものを体現している。パンデミックのときも「俺たちには何ができるか?」ということに真っ先に取り組んでいた。そこはバンドとして共感できるし、自分もGLAYの背中を追いかけつつ、勉強しています。

──ジャンルは違えど、ロックバンドとしてのあり方の部分ですね。

井澤 はい。そもそも交わることなんてないと思ってましたから。でも交わることができて、吸収できるところがいっぱいあった。後輩に対しての背中の見せ方やバンドの仲のよさが信頼感につながっていくこととか。だからこそ、お客さんも安心してついていくんだろうなと。そこは頭でわかっていてもなかなかできないことなので、それをできている先輩のすごさを実感しています。

──ベーシストとしては、ピック弾きはJIROさんの影響なんですよね。

井澤 はい。初めてベースを触ったのは90年代で、GLAYのコピーをしてましたね。JIROさんのプレイや弾き方をいろんな雑誌で見て、「こうやって弾くんだ」と学びました。

──音楽プロデューサー・佐久間正英さん直伝の逆アングルピッキング(弦に対してピックを通常とは逆の斜め方向に当てることで太い音を出す奏法)を広めたベーシストですから、JIROさんは。

JIRO いやいや、あれは佐久間さんがすごかっただけですよ。

井澤 いまだに僕も逆アングルピッキングしますから。まっすぐピッキングしたあとに、ドラムが入った瞬間、逆にするとか。そうやって細かくピッキングを変えるのはJIROさんの影響です。

──私は90年代に楽器店で働いていたんですけど、JIROさんのシグネチャー、バッカスの青いJBモデルを何本売ったことか。男の子も女の子もみんな買ってましたから。

井澤 それで僕もバッカスを買ったんですよ! 青じゃないですけど。同じモデルを買ったらプロになれないと思って(笑)。

左から井澤惇(LITE)、JIRO(GLAY)。

左から井澤惇(LITE)、JIRO(GLAY)。

「井澤くんって、ベース弾くんだっけ?」

──橋本塁さんの紹介で会ったあと、最初はキャンプや釣りのアウトドア仲間としての交流から始まったんですか?

JIRO そうですね。いつからだっけ、こんなに遊び始めたの?

井澤 よく話をするようになったのは、コロナのタイミングくらいからですかね(参照:GLAYのJIRO、LITE楠本&井澤と日本一ゆるくトーク)。その前からLITEのライブに来ていただいたり、GLAYのライブを観に行かせていただいたり、定期的にお会いはしてたんですよ。

JIRO 年末年始に仲のいいミュージシャン、ピエール中野くんやHiGEの宮川(トモユキ)くんとかと一緒に「今年どうだった?」みたいな報告会はやってたけど。確かにコロナになってからだよね。キャンプや釣りを頻繁にやるようになったのは。

井澤 そのときにJIROさんから「GLAYでこういうのをやってみたいんだよね」という話を聞いたりして。逆に僕も相談に乗ってもらったりしました。

井澤惇(LITE)

井澤惇(LITE)

JIRO キャンプや釣りに行くとなると、目的地まで車で1、2時間くらいはかかるんで、2人でいろんな話をして。音楽の話から家族の話までいろいろしたけど、話題は尽きないね。

井澤 コロナ禍が長く続いたこともあり、僕がベーシストだってことをJIROさんに忘れられてたんです。いつだったか「井澤くんって、ベース弾くんだっけ?」って言われたんですよ(笑)。

JIRO あはは。LITEは国内の活動があんまりないんですよ。だからキャンプや釣りに行ったときに「ひさしぶりにライブをやる」と聞いて、「そういえば井澤くんって、ベースがうまい人だった!」って思い出すという(笑)。