電子音楽、オーケストラ、ピアノの弾き語りなど、自分を取り巻く世界に耳をすませながら、さまざまなアプローチで音楽を奏でてきた高木正勝。オリジナル作品と並行して映画のサントラやCM音楽も手がけるなど、高木は大きな視野で音楽と向き合ってきた。そんな中、初めて挑んだ連続ドラマの劇伴がNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」だ。
本作に着手する直前まで、高木は山奥にある自宅で「マージナリア」というプロジェクトに取り組んでいた。それは自宅の窓を開け放ち、鳥の鳴き声や風の音といった自然の音と“共演”する宅録作品。そんな個人的な作品に続けて国民的ドラマの音楽に取り組んだ高木は、一見両極にあるその2作品に共通する何かを感じたという。「このアルバムを発表したあと、音楽の仕事が来なくても後悔しない」と言えるほど彼にとって重要な作品となった「おかえりモネ」のサウンドトラックについて、ウグイスが鳴く自宅の庭からリモートで話をしてくれた。
取材・文 / 村尾泰郎
曲作りは役作り
──高木さんが初めて手がけた連続ドラマの劇伴が「おかえりモネ」ということですが、曲作りに取りかかる前に番組のディレクターやプロデューサーとはどんな話をされたのでしょうか。
まず「これを読んでイメージを膨らませてください」と1、2週間分の脚本を渡されたんです。あとはNHK制作のドキュメンタリーのDVDや写真資料をたくさんいただきました。
──ドキュメンタリーはどういった内容だったんですか?
主に東日本大震災に関わるもので、このドラマの舞台である架空の島・亀島のモデルとなった気仙沼大島の山が震災の影響で全焼しそうになったのをみんなで食い止めたこととか、子供たちを島に迎え入れて、島の人たちと何日か暮らす試みをやっていることとか。一番心に残ったのは、震災で親を亡くした子供たちが卒業式でひさしぶりに友達に出会っても何事もなかったように明るく振る舞っていたことです。どれも僕が知らなかったことでした。多分「おかえりモネ」を作るうえで、制作陣が一番大切にしている部分を見せてもらったんだと思います。映像にすべて現れる訳ではありませんし、音楽がそういう部分を引き受けないといけないんだろうなと思いました。
──だとすると、とても重要な役割ですよね。
そうですね。ドキュメンタリーを通じて震災を体験した人たちのことがいろいろわかっていくうちに、そういう人たちに“寄り添う”とか“応援する”とかじゃなくて、「その人たちの身になって曲を書けないか」というのが最初に思ったことでした。
──というと?
石牟礼道子さんという作家が書かれた「苦海浄土」という素晴らしい小説がありますが、水俣病についての話で。工場が有機水銀をそのまま海に流し続けて、その影響で近くに住む人たちに一生治らない病を負わせたという事件がありましたが、その患者さんに石牟礼さんが取材をして見聞きしたことをまとめた本なんです。でもいろいろ調べてみると、石牟礼さんは患者の言葉をそのまま記録するのではなく、石牟礼さんが患者との出会いから感じ取ったことを、その人が話したように書かれたことがわかってきて。その言葉が最上級の日本語で、その人が苦しんで苦しみ抜いた先に出た魂の言葉を書かれているんですね。それを読んだとき「こういうことができるんだ!」と驚いたんです。自分もこういう仕事ができたらなって。当事者と同じ心で物事を見るというか、一緒になるというか。
──それって役者さんみたいな感覚ですね。
同じように思います。映画音楽とかCMもそうですけど、映像に音楽を付けるという仕事は役者みたいだなと思ってます。だから役者さんにはすごく親近感を感じていて、ドラマを観ていると登場人物に対して「僕も同じ役を音楽でやった! でもやっぱり役者はすごいな」と思ってしまうんです。
──高木さんにとって、脚本や資料を読んで曲のイメージを膨らませる過程はある意味、役作りみたいなものなんですね。
だから実際に曲を考えるより、それ以前にいろんなものを見たり身体を動かしたり考えたりする時間のほうが長くて。曲を作る段階になったら一発で録る。1回目に出てきたものが自分の言葉だし、心だから、そのまま使うんです。旋律がややこしくてもそのまま使う。一応、事前にテーマは与えられるんですよ。このドラマは「海」と「山」と「空」の話なので、それぞれのテーマが欲しいとか。番組の音響デザインをされている坂本愛さんという方がいいお題をくれるんですよね。
──「お題」というと?
例えば震災の被害を受けて海に出れなくなってしまった漁師が、何年か越しにようやく海に出られる日が来たと。それで夜中に海に出て、ひさしぶりに海の上で朝日を見る。そのときの気持ちを曲にしてください、というふうに。曲を録音するときは、いろいろ勉強してわかったことや、自分の人生で同じような状況だったときの記憶なんかも思い出して、苦しさだったり、うれしさだったり、いろんな思いが混じった言葉にならないような状態で、頭から終わりまで一気に歌うんです。
──その最初のワンテイクが使われるんですね。確かにそういうやり方だと、テイクを重ねてしまうと作曲家としての意識が入ってきたりして、歌に込めた気持ちに濁りが出てくるかもしれませんね。ちなみに今のエピソードから生まれた曲は「来光」ですか?
そうです。サントラの要になる曲はそうやって作っていきました。そうして1つのメロディをもとに、ドラマの状況にあわせて5通りくらいアレンジを考えて曲を作っていったんです。
生命でつながった「マージナリア」と「おかえりモネ」
──曲作りの過程で、ヒロインの百音のキャラクターは意識されました?
物語が進んでいく中で彼女は10代から20歳になり、さらに成長していくと思うんですけど、自分がそれくらいの頃、どんなことを考えていたのかを改めて思い出すということをやっていました。自分の人生を一度振り返るというか。そのうちに正確に振り返りたいと思うようになってきて、子供の頃に遊んでいたゲームソフトとか、読んでいた本やマンガがいつ頃のものか調べて年表みたいにまとめたりもしたんです。それで調べてみたらけっこう記憶と違っていて。中学の頃は大人っぽいことをしていた気がしたんですけど、まだ小学生みたいに遊んでいたみたいで(笑)。それでもっとちゃんと思い出したいと思って、中古でゲームソフトを買ったりもしたんです。そのソフトを使えるゲーム機はもう持っていないのに。
──物が記憶を呼び覚ましますからね。
そうなんですよね。これを買ったとき、すごくうれしくて、家に帰るまで待てなくてホームセンターの駐車場で説明書だけ何回も見たなとか。状況だけでなく感触まで覚えているものなんですね。何かを思い出すと思い出した分、曲ができました。
──そういう個人的な体験も曲に反映されているんですね。本作に取りかかる前に、高木さんは「マージナリア」という宅録シリーズを制作されていて、その直後、「おかえりモネ」という国民的なドラマの劇伴を手がけることになりました。そこで興味深いのは、対照的に思えるこの2つの作品が高木さんの中でつながっていることです。「マージナリア」のために作った曲が「おかえりモネ」に使われたこともあったそうですね。
去年、妻が妊娠したんですよ。それで妻の胎内のエコー音と一緒にピアノを録音した曲を「マージナリア」に入れようと思っていたんですけど、どうもこの曲は「マージナリア」じゃないぞと思って。それで、そろそろ作り始めないといけなかった「おかえりモネ」の曲かなと思ったんです。その曲が「マージナリア」シリーズでは104番目の曲だったんですけど、「おかえりモネ」が朝ドラでは104作目だというのを知って「そういうことか」と思ったんです。
──その曲のタイトルは?
「あすなろ」です。主人公の百音ちゃんが成長していくテーマ曲になりました。あと「おかえり」という曲も「マージナリア」用か迷った曲です。妻が妊娠した頃から「マージナリア」というプロジェクトは、「生命とは何か」ということを山を相手に勉強してたんだと気付いたんです。そして「おかえりモネ」も生命をめぐる物語じゃないかと思って。
──我が子の誕生を通じて「マージナリア」と「おかえりモネ」が生命というテーマでつながっていたことがわかった?
「おかえりモネ」は、海、山、空、風や水の循環など自然そのものを登場人物のようにきちんと見せているのがとてもいいです。大きな自然の中に小さな人間がいる当たり前のスケールを感じさせてくれます。百音ちゃんは新しい場所に移るたびに他人や自然とのつながりを見出していく。大きな流れの中に自分がいることに気付いて、そこで何ができるのか考える物語だと思うんです。ドラマを観た人の意見をいろいろ聞いてみると、これまでの朝ドラのヒロインと比べて百音ちゃんが受け身で何を考えているのかわからないという意見もあるんですけど、自分の置かれている状況をよく観て、よく聴いて、よく感じて、心に湧き起こってきたことをきちんと行動に移して、他人に影響を与える彼女の生き方は素敵だと思います。自分がやりたいことを実現して評価されるだけでは面白くないと思うんです。天気のように移り変わる自然や人の心の流れをうまく感じ取って、彼女自身も変わっていくことで、周りにいる人たちも一歩よりよい方向へ変わっていける。生命の連鎖のようです。
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使われなくてもいいから歌にしておきたい