SCOOBIE DO 15thアルバム「Tough Layer」インタビュー|タフなバンドの無骨なレイヤー

SCOOBIE DOがおよそ3年ぶりとなるニューアルバム「Tough Layer」をリリースした。

コンパクトアルバム「GET UP」を携えてSCOOBIE DOがメジャーデビューしたのが2002年6月。あれから実に20年、4人はひたすらバンドで音を鳴らし、新しい曲を作っては全国を回るというバンドマン人生を送っている。前作「Have A Nice Day!」(参照:SCOOBIE DO「Have A Nice Day!」特集|SCOOBIE DO×向井秀徳(ZAZEN BOYS)対談)の発売後、世の中はコロナ禍に突入。世界中のバンドマンと同様、彼ら“FUNKY 4”もライフスタイルであったライブ活動の一時休止を余儀なくされた。新しい生活様式の中でバンドとしての活路を慎重に探り続けた4人は、メジャーデビューから20年というタイミングで、通算15枚目のオリジナルアルバムを完成させた。収録された10曲に耳を傾けると、タフに活動を重ねてきたSCOOBIE DOが熟練のアンサンブルで丁寧に練り込んだ、タイトル通りタフなレイヤーのつづれ織りに20年という歴史の重みを感じる。

音楽ナタリーでは3年ぶりにインタビューを行い、コロナ禍の中で4人が取った選択、そして新作「Tough Layer」が完成するまでの過程をじっくりと聞いた。

取材・文 / 臼杵成晃撮影 / 森好弘

ライブを奪われたライブバンドの決断

──オリジナルアルバムのリリースが3年も空いてしまったのは、SCOOBIE DOとしては珍しいですね。

マツキタイジロウ(G) そうですね。まあ、ライブがやれなかったですから。

──前作「Have A Nice Day!」が2019年7月発売なので、それから3年というと……やはりコロナ禍の話は外せません。2020年前半、急にライブが開催できない状況になったとき、やはり真っ先に気になったのは、SCOOBIE DOのような全国をドサ回りするバンドのことで。実際どうでしたか?

マツキ 大変でしたね。いつも一緒だったメンバーとも会わなくなったし。7月くらいになって配信ライブだけでもやっていこうかという話になったんだけど、そもそも人に会っちゃいけないという話だったんで、メンバーに会うのも前日のリハ2時間くらい。

ナガイケジョー(B) 3月くらいから全然会ってなかったのかな。

オカモト“MOBY”タクヤ(Dr) 4月1日からだ。2020年の3月末に渋谷La.mamaで配信ライブをやったんですよ。

ナガイケ ああ、そうだ。お試しでやってみたんです。それからしばらくは会わなかった。

SCOOBIE DO

SCOOBIE DO

──バンドやグループだと、メンバー間でコロナに対する意識の部分での意思統一が取れないという問題もあると聞きますし、今まで考えなくてよかったようなことまで考えなくちゃいけないという、ライブができないという問題以外にもやっかいな戦いを強いられているなと感じます。

マツキ 僕らは「やみくもにはライブをやらない」という部分で一致ができたので、そこはよかったですね。無理矢理やってもそこに正解があるわけじゃないだろう、ということだけは確信していたから。ライブハウスでライブをやるのはもうどうしても「密になる」ということなんで、最善の策ってのはないだろうなと。そこらへん僕らはもう、流れに身を任せるというか、ひとまず大人しくしておく。でも配信ライブだけは月イチでやったり、ときどき通販で新曲を出したり、なんかしら動いているようにしようと決めました。わりと真面目に過ごしてたなって感じですね(笑)。

──そうは決めても、実際お客さんを前にしたライブがやれない状況に「これは耐えられないな」という気持ちにはならなかった?

ナガイケ 要所要所ではなってたと思いますよ(笑)。ただ思い返してみると、意外とやることは多かった。毎月配信ライブを入れていくことで、毎回テーマを変えたりとか、映像を観返したときに自分たちの演奏はこうなんだなと改めて冷静に気付く部分もあったり。課題を見つけることもできたし……思い返せば、腐りきりはしなかったかなと(笑)。

ナガイケジョー(B)

ナガイケジョー(B)

MOBY 僕個人的には、ずっとバンドを続けてきて、やむを得ない事情の中で「長い夏休みに入ったんだ」という気持ちの切り替えもあって。流れに身を委ねつつ、シングルも出していこうということでレコーディングを少しずつ入れるようにもなったから、配信ライブとレコーディングの準備が交互に入るようになって、バンドとしてはそんなに「お手上げだ!」という感じではなかったですよね。

──オーディエンスの反応がない無観客ライブは難しいとアーティストの皆さんは一様におっしゃいますけど、そのへんはどうですか?

コヤマシュウ(Vo) 俺はやっぱり最初は反対だったんですよ。どれくらいこの状況が続くかわからないところで、観客を入れずにライブをやるという考えが自分の中にはなくて。バンドとしてナンセンスじゃないか?という思いがあった。でも2020年の3月に予定していた僕らの「YOUNG BLOODS」というイベントが中止になったとき、最悪2年くらいは人前でライブやれないかもしんねえなとみんなで話して。もうそのつもりでいようと。ただ、そうなっちゃうと演奏する場が何もなくなっちゃうわけです。配信は俺がやりたい“ライブ”ではないんだけど、俺たちが演奏することには変わりはないから、それをSCOOBIE DOが好きな人たちに観てもらうのは悪くないことだし、自分でやることとしてもそれが最善なんだろうなと。音楽以外のことをやるよりは、SCOOBIE DOがSCOOBIE DOの曲を演奏しているところをリアルタイムでバチッと観てもらう……自分の中では「8時だョ!全員集合」みたいな、リアルタイムでやってることが編集なしでドンと出るようなものなら、それはそれでひとつリアリティのあるものだろうと納得しました。で、1回やってみたら……ライブのやり心地っていうのかな、それはそんなに変わんなかったんですよね。

コヤマシュウ(Vo)

コヤマシュウ(Vo)

曲を作ったら実演してなんぼ

──「流れに身を任せるしかない」「なるようにしかならない」と構えることができたのは、メジャーデビュー20周年というキャリアが成せるものでもあるのかなと。もっと若くてガツガツした時期だったら、そんな心の余裕はないかもしれない。

マツキ そうかもしれないですね。まあでも、つまんないですよ。ライブをやれないと。僕はやっぱりギターを弾いて自分で曲を作ってバンドで演奏することが一番好きなことだから、それを改めて感じますよ。ライブができないなんて、なんてつまらない人生なんだろうって。やっぱり恨みましたよ(笑)、2年前は。曲を作る気も起きなくなってくる。無観客でもライブをやらないと曲なんか作れないなと思って、それを実行しているところはありました。

──なるほど。それを考えると3年というブランクもうなずけます。マツキさんが全曲を作ってバンドで固めていくという曲作りのスタンス自体はそれでも変わらず?

マツキ はい。最初の緊急事態宣言が出た頃は「ちょっと休みができたな、しめしめ」ぐらいの気持ちだったんですよ。わりとイレギュラーな状況を楽しみながらデモを作っていて。でもね、だんだんと先行きが見えなくなってきたときに、曲を作ろうという気持ちが薄れてきた。なんのために曲を作ったらいいのかわからなくて。2年くらいはライブをやれない覚悟をしていたし、そうなると果たしてどんな曲が有効なのか。まったく想像がつかなかったんです。ライブはできなくてつまんないし、何曲か作ってみたものの、集中力が途切れてしまった。やっぱり僕らは曲を作ったら実演してなんぼだと思っているので。

マツキタイジロウ(G)

マツキタイジロウ(G)

──曲を作って実演して、そのリアクションを受けて次の曲を作って……という、今まで当たり前だったサイクルが崩れてしまったことを自覚してしまったわけですね。

マツキ そのあと配信ライブを定期的にやることを決めたので、だったら配信シングルでもいいから半年に1曲くらいは定期的に発表していこうと決めて、ようやく曲作りに対するモチベーションも保てて。そのときに作った曲はやっぱり、コロナ禍真っ只中の思いが反映された曲が多かったんですね。全部で6曲出したうち、最後の2曲はアルバムにも入れましたけど、最初のうちに出した曲は本当に“ザ・コロナ禍”という曲だった。でも徐々に、そろそろお客さんを入れたライブもできそうだなという状況が見えてきて。具体的にツアーが組めそうだぞとなったときに、ようやくアルバムを作ろうというモチベーションが上がってきた。そうすると、あまりコロナ禍のどうこうをリアルに反映したものを作ってもつまらないなと。アルバムはいつ聴いても楽しい、時代を問わないものにしたいなと思ったんです。今現在の気持ちが漏れてしまうところはあっても多少はいいかなと思いつつ、エバーグリーンなものにしたかった。

──具体的にアルバム制作を前提に曲を作り始めたのは?

マツキ 去年の後半くらいですね。

──それ以前の楽曲制作に対する迷いのようなものは、ほかのメンバーとも共有していたんですか?

マツキ いや、みんなで話していたのはバンドの運営をどうしようかということばかりで。月に1回配信ライブをやるとして、グッズの通販も回していかなきゃいけないよねとか(笑)、そういう話ばかりですよ。

──どんな曲が降りてくるか、3人は完全にリーダーに委ねて?

ナガイケ そうですね。それまで1曲ずつ作ってきた流れがあったので、その流れの中で「こういう感じになるのかな」という予想はできていましたけど。

MOBY いつもはだいたいアルバム1枚分くらいの曲を束でもらって一気に進めてたんだけど、今回はちょっと違っていて、できあがったものから2曲ずつくらい、少しずつ進めていったんです。個人的にはそれ、すごくやりやすかった。一気に全部覚えなくていいから(笑)。

オカモト“MOBY”タクヤ(Dr)

オカモト“MOBY”タクヤ(Dr)

──(笑)。今この状況でアルバム1枚を1つの作品として作り上げることは、これまでよりも難しかった?

マツキ 結局は曲を作るときは作りたいように作っているだけなので、ことさらアルバム作りが大変だったということもないんですよ。自分がいいなと思う曲をとにかく作っていくだけで。

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20年後の「Get Up」を