Saucy Dog|未来を見据えた“青の時代”

「ブルーピリオド」に込めた自分らしさ、未来、夢

──では続いてミニアルバム「ブルーピリオド」について聞かせてください。今回は「雀ノ欠伸」や「ゴーストバスター」など、すでに配信シングルとしてリリースされた楽曲も収録されます。この2曲をはじめとして、“夢”がテーマの曲や聴いている人にエールを送るような内容の曲が多いですね。

Saucy Dog

石原 そうですね。コンセプトとまではいかないですけど、“自分らしさ”や“未来”、“夢”というイメージは込めました。あと今までは、ある一定の人に向けているような歌詞が多かったんですけど、今回はより幅広い人に届けられるような言葉を選んだと思っています。

──特に「スタンド・バイ・ミー」にそういったイメージが込められていて、このミニアルバムを象徴している曲のような印象を受けました。

石原 確かに「スタンド・バイ・ミー」はこのミニアルバムの中の重要な1曲ですね。

──その重要性とはどんな部分ですか?

石原 リアルで、誰にでも刺さる歌詞であるところですね。

──石原さんの公式Twitterアカウントには「スタンド・バイ・ミー」のライナーノーツが掲載されていましたが、この曲の歌詞はご自身の中でも納得のいく出来映えでしたか?

石原 はい。思い切りのよさや熱量が伝わる歌詞とメロディになったんじゃないかなと思います。

──この曲はメロディ先行で作られたんですか?

石原 歌詞が先じゃなかったかな? 「馬鹿みたいな嘘みたいな」「来年なんて見えないけど」の部分を、2人に先に見せていた気がする。で、そこからAメロができたんじゃなかったっけ?

せと すみません、あまり覚えてないです……(笑)。

石原 最初に歌詞は1番のAメロから1番のサビくらいまでしかできていなくて。そこにメロディを付けて、残りの歌詞も考えていった感じだったと思う。作っていく過程で、最初は1番のAメロの歌詞だった「馬鹿みたいな嘘みたいな日々だったなって思えるんだ」は最終的に2番のAメロになりました。その案を出してくれたのはゆいかで。

せと うん。確か曲の構成の問題だったかな。

石原 「じゃあここは2番のAメロにしたらええんちゃうん?」と言われて、「そしたらまた1番のAメロ考えなあかんやん」みたいな感じでちょっとケンカしたけど(笑)。結局ゆいかの案を採用しました。

尾崎豊やバンプを聴いていた思春期の石原

せとゆいか(Dr, Cho)

──「スタンド・バイ・ミー」の歌詞には“思春期”というワードが出てきますが、皆さんの思春期はどんなものでしたか?

せと 思春期……高校生、大学生くらいかな。

石原 言ってみたら反抗期らへん?

せと 反抗期か……。

──皆さんは反抗期はありましたか?

石原 俺はね、なかったんですよ。

せと 今や(笑)。

石原 え? 今か(笑)。あ、でも姉やばあちゃんには反抗してたかもしれない。その頃はTHE BLUE HEARTSや尾崎豊さんを聴いてましたね。あとはORANGE RANGEとかELLEGARDEN、RADWIMPS、BUMP OF CHICKENとか。音楽はずっと好きで、小学校4年生のときから約8年間吹奏楽部に入ってました。中学生のときの数少ない友達がアコースティックギターがすごく上手なやつで。俺も弾けるようになりたいと思って、お年玉で8000円くらいのアコギを買ったんです。そのときはコブクロにハマっていたので、コブクロの曲を弾けるように練習していました。でもだんだん受験勉強で忙しくなってきて、押し入れに入れたままになってしまって。俺は学年で最下位を争うバカだったんですけど、そのとき好きな人がいて、好きな人と同じ高校に行きたかったのでめちゃくちゃ勉強しました。勉強しながら聴いてたのはTHE BLUE HEARTSの「チェインギャング」。「僕の話を聞いてくれ 笑いとばしてもいいから」という歌詞ですっげえ泣きながら猛勉強して、無事に合格できました。そのあとに友達に「バンドせえへん?」と声をかけてもらって、「ええで、俺ギター弾けるから」と返事をして、バンドを始めましたね。

秋澤和貴(B)

秋澤 俺は中学生のときに野球をやっていたんですけど、野球の練習が超嫌いでした。一番苦手なことが続けることなんですよ。勉強も苦手だったし、そもそも勉強をしようともしなかった。中学3年生のときに野球の大会が終わってから、親父が昔バンドをやっていて家にベースがあったので、暇つぶしがてら弾き始めたのがベースを始めたきっかけですね。親父の影響なのか、幼少期から音楽も好きでした。MDプレイヤーでThe Rolling Stonesとかを聴いてました。高校1年生になってから本格的にベースを始めて、初めて長く続いたんです。そしたら親が、半分冗談やったと思いますけど「じゃあベースやったらいいじゃん」と言ってくれて、バンドを始めました。

せと 高校生くらいか……何してたやろ? 友達多かったな。

石原 いいなあ。俺、友達おらんかったからな……。

せと 私立の進学校で理系のコースやったから、女の子もおったけど男の子の方が多いクラスで、ずっとみんなでワイワイしてました。

石原 いいなあ。最近もめっちゃワイワイしてるよね。

せと あはは(笑)。高校生のときは、めっちゃ勉強もしてました。

石原 そう、ゆいかめっちゃ頭いいんですよ。

せと 1、2年生のときは全然勉強してなかったけど、3年生は受験の時期だったからめっちゃ勉強した気がする。……いやしてないかな。

石原 してたやろ。だって頭いいもん。

せと 音楽は、中学生までは家族や友達が好きな曲を聴いてたけど、高校生になってからは自発的に音楽を聴くようになったというか、YouTubeで探して好きになることが増えました。back numberとか聴いてたかな。まだCD2枚くらいしか出してない時期。

Saucy Dog

石原 「逃した魚」(2009年リリースの1stミニアルバム)とかかな。

せと うん。あと清竜人さんとか、阿部真央さんとかもすごい聴いてた。自分から音楽に興味持ち出したのが高校生だったかな。

──その頃はドラムはまだ始めていなかったですか?

せと やってなかったです。初めてドラムに触ったのが高校3年生で、しっかりやりたいと思って大学で軽音部に入りました。

──そうなんですね。「ブルーピリオド」の話に戻ると、ボーナストラックにはせとさんの透明感ある歌声が魅力の「煙草とコーヒー」が収録されています。セリフ調の「どうかな?」という部分が印象的でした。

せと そこは「ささやくように入れたいんです!」とエンジニアの方にお願いしてレコーディングしました(笑)。

──作詞や作曲はどんなイメージで?

せと いつもアルバムなどに1曲入れるか入れないかのペースで、自分がこういう曲を作りたいって思ったときに作っていて。今回は珍しくハッピーな感じの曲ができましたね。