くるり|試行錯誤で見出した新たな音と手法

くるりが4年ぶりとなるオリジナルアルバム「ソングライン」を9月19日にリリースする。

シングル「その線は水平線」を経て完成した本作は、オーガニックな聴き心地のある、懐かしさと新しさが同居したアルバムとなった。3人はバンドとしてひさしぶりのアルバムをどのように作り上げたのか。アルバムの着想点や、試行錯誤を繰り返した制作の裏側を聞いた。

取材・文 / 柳樂光隆 撮影 / 須田卓馬

これまでと作り方を変えた「ソングライン」

──このアルバムを作り始めたきっかけと、なぜこのタイトルになったのかを教えてください。

岸田繁(Vo, G) 前作のアルバムが出てから4年経って、その間にベスト盤とか出しましたけど、ファンファンが産休に入りまして。それくらいのタイミングで「ふたつの世界」「かんがえがあるカンガルー」「琥珀色の街、上海蟹の朝」とシングル的な曲の制作を途切れずにやってたんです。そういう曲は落としどころとして、ベスト盤に収録したりしたんですけど、制作は曲単位でやってた感じだったんですよね。私と佐藤さんでよく「そもそもアルバムを出すのって意味があるんかな?」とか「アルバムを作っても最後まで誰が聴くねん」って話してて。

佐藤征史(B, Vo) 「琥珀色の街、上海蟹の朝」とかをシングルの形で出したのは結果的によかったりもしたんで、アルバムではなく、そういうやり方のほうがいいんじゃないかって。

岸田 あと、若い世代の人たちの音楽の聴き方とかを考えると、僕らの想像を軽く超えていたんです。

──サブスクで曲を聴いたり、アルバム単位よりもプレイリストで音楽を聴いている人が多かったりということですよね。

岸田繁(Vo, G)

岸田 そう。でも、僕も「交響曲第一番」とかを作ってたタイミングだったので、シングルとか、クライアントありきのものではなくて、もうちょっと1曲1曲ちゃんと作ったものをちゃんと聴いてもらうのがいいよねって話もしていたんです。それで、アルバムを作るために、たまにバンドで集まって曲作りセッションのようなことをやっていたんですけど、モチベーションがいまいちで。我々にとってのモチベーションって、シングル曲だったり、カロリーの高い曲と同時にどうでもいい曲を作ったり、実験的なことをやって遊んだりするところにあるんです。そのバランスを考えたときに、「歌モノをまとめたもの」と「エクスペリメンタルなもの」がいいんじゃないかと。「エクスペリメンタル」ってきれいすぎる言い方ですけど、要するに「しょうもないほう」って言うか「わかりにくいもの」ですよね。それを2枚にわけたらいいんじゃないかって話したんです。それで、「わかりにくいもの」のほうから録り始めたんですよ。

──なるほど。

岸田 「魂のゆくえ」(2009年リリースのアルバム)くらいからソングライティングをちゃんとやって、バンドで練習してアレンジして録っていくみたいなのが続いていたので、そういうことを考えずにただアイデアを出して。わけわからんかったとしてもカッコよかったら録って、あとから歌を付けるような録り方をしたんです。昔のくるりはそういうやり方をしていたんで、基本に返ってみましょうみたいな感じで。サポートドラマーのクリフ・アーモンドも含めたツアーメンバーで数曲録音したんですよね。「Tokyo OP」は、そっち向けに作ってた曲だったんですよ。でも、歌モノのアルバムが待たれていると思うので、取りかからないといけなくて。ただどうもモチベーションが上がらなかった。そこで「その線は水平線」「春を待つ」「忘れないように」といった昔作っていた曲を録り始めたんです。特に「その線は水平線」に関しては録音に何回もトライしてるんですけど、なんかうまくいかんかったり、納得がいくものができなかったりで。「言葉にならない、笑顔を見せてくれよ」(2010年リリースのアルバム)を作ってた時期に生まれた曲なんですけどね。もう一度取りかかることにしたときに、ほかの曲と同じように、まずはデモを作ろうと。

──デモは打ち込みですか?

岸田 基本的にはピアノロールで、手打ちで音を置いていくやり方です。話が前後するんですけど、今回の12曲はソングライティング自体は以前と特段変わりはないんですけど、編曲の部分でやり方を変えたんですよね。もともとくるりは、僕がぽろっと作ったりとか、バンドでジャムっているうちに曲ができたりとか、そういうものをもとにレコーディングしながら作っていくやり方が多かったんです。でも、今回はいわゆるDAWスタイルで簡単なリズムを私が敷いて、歌メロに対してけっこうしっかり和声を先に書くってやり方にしたんです。

──曲のベースにハーモニーがある感じなんですね。

岸田 その和声の書き方っていうのもコードで書くって言うよりは、インチキですけど、対位法的に書くって感じですね。オルガンの音は基本4声で1節ずつ作ったりして。トップを書いて、内声を書くようなことを繰り返して作ったんです。交響曲を書いたやり方と似ていましたね。佐藤さんのベースもこれまでは任せていたんですけど、今回はベースのフレーズもわりと僕が書いたんです。つまりハーモニーを最初の段階でしっかり書いて、リズムを録る前にほとんどの曲の歌を録った。ハーモニーが決まった時点でリズムも録音して、ギターのダビングが済んだ時点で佐藤さんにデータを渡して。必要な編集とリズムのリアレンジをやってもらって。音数が多いものはオーケストレーションして、上物を被せたりして、ファンファンのラッパをそのあとに入れたり。そういう感じやったかなあ。今までとプロセスを変えて作りました。

古いものしか使ってないけど、新しいものになった

──佐藤さんは今までと違うプロセスでやってみてどうでしたか?

佐藤 「ワルツを踊れ」とかを録ってたときの感覚に近かったですね。当時のレコーディングはまずメロディがあって、それに対してベースをどうするかでコードを決めていったんです。今回もAメロを4回繰り返したとしても、全部コード進行の役割が違うんです。その1小節間の音の並びで30分とか1時間悩んでたりするから、そこで決めたものは外せないし。コード進行を覚えるって言うよりは、ラインを覚えて、ラインを体に入れて録る曲が多かったです。その場のノリで盛り上がったり、ドラムが入ってきたら、音数を増やしてみたいな感覚じゃなくて、流れの中で「ここの音のこの半音の意味はなんなんや」とか、そういうのを考えながら演奏してましたね。だからちょっと今までとは違う楽しみがありました。けっこう覚えるのは大変でしたけど(笑)。

──そういった手法を取り入れたのは、岸田さんが交響曲を作ったり、去年の「京都音楽博覧会」で徳澤青弦さんと一緒にアレンジを作ったりした影響もありますか?

岸田 ありますね。毎回新しい手法を試そうとするんですけど、やっぱり楽なほうがいいじゃないですか。そういう意味では僕らはストイックなほうじゃないと思っているんです。20年やってると、何をやっても今までやったことあるみたいになってきちゃうから、人のやり方を取り入れるか、新しい機材を導入するしかない。たまたまシンフォニーを作ったり、オーケストラの仕事をやったりしたことで、新しい手法をつかめたところはあります。あと、前作(「THE PIER」)を作っているときやったんですけど、左手を怪我して、ギターを弾けなくなって。でも締め切りがあったからレコーディングしなきゃいけなかった。そのときにピアノロールの中で打ち込みを作ることを覚えて。やってみるとわりと頭の中にパッと思い付いたものを形にするのが早かったんですよね。怪我の功名なんですけど、それがわりと楽しくて。その手法を今回のアルバムを作るときにも取り入れてみたんです。

くるり

──新しい手法を取り入れたことでモチベーションを取り戻せた?

岸田 そうですね。自分1人でやってたら、行き詰まってたところもあったかもしれない。アルバムの表題曲の「ソングライン」は、もともとは別のバンドのために作ったんです。ただ、くるりでやるってなったときに、同じアレンジにしようかと思ったけど、別の魅力も欲しいなと思ったんです。それで対位法的な曲の作り方をしてみたり。

──対位法って言うのはバッハがやっていた手法で、主従関係のない異なる複数の旋律が並行して進みながら1つの曲を形作るもので、最近はジャズミュージシャンがよく使っていますよね。ただ、ロックに使われるのはわりと珍しい気がします。

岸田 対位法的にアレンジしたのは、オルガンやベースなんですよ。でも、ベースは弾く段階になると佐藤さんの解釈が入るから僕が作ったアレンジから変わるんです。メインの楽器はギターなんですけど、ハーモニーを重視して対位法的に書いたものが骨になっていると、あとから何やってもサウンドが崩れない感じがしたんですよね。結果、「ソングライン」のレコーディングでは厚塗りを繰り返して、最終的に100トラックを超えたんです。途中で止めておこうかって思ってたところもあったんですけど、やるところまでやってまおうかって。それでもサウンドが崩れなかった。ただ、全部の音は聞こえない状態だったので、定位を工夫したミックスにしたんです。だから、ドラムは全部左からしか聞こえないとか、ミックスは面白いものになりましたね。参照点がThe Beatlesとかの時代の手法と言うか。

──The Beatles的というのはよくわかります。

岸田 そのあと、エンジニアさんとドラム、ベース、アコギ、オルガン、ボーカルだけを聴いたら、まんま1972年の音になったんですよね。ポール・マッカートニーの「RAM」とか、ああいう感じの。ただ、72年の音で100トラック入っているものってないわけで、結果、新しいものになったと言うか。古い音しか使ってないけど、新しいものになった感覚があります。