槇原敬之が、今年5月から7月にかけて行った全国ツアー「槇原敬之 Concert Tour 2022 ~宜候~」より7月13日の東京・東京国際フォーラム ホールA公演の模様を収めたDVDおよびBlu-ray、音源を収録した配信限定のライブアルバムをリリースした。
「槇原敬之 Concert Tour 2022 ~宜候~」は2019年の「Makihara Noriyuki Concert Tour 2019 "Design & Reason"」以来およそ3年ぶりのツアー。槇原はバンドマスターのトオミヨウ(Key)をはじめ、松本圭司(Piano)、秋山浩徳(G)、山本タカシ(G)、遠藤龍弘(B)、屋敷豪太(Dr)、大石真理恵(Per)、毛利泰士(Synthesizer Programmer)とともにライブに臨み、最新オリジナルアルバム「宜候」の収録曲を中心とした全22曲をパフォーマンスした。
音楽ナタリーでは本作のリリースを記念して槇原にインタビュー。ひさびさのツアーで槇原はどんな感情を抱いたのだろうか。「僕の気持ちが全部詰まってます」というセットリストにまつわるエピソードや、ツアーの舞台裏をたっぷり語ってもらった。
取材・文 / 高岡洋詞撮影 / 三浦憲治、永井峰穂(アシスタント)
槇原敬之と東京
──約3年ぶりのコンサートツアー、いかがでしたか?
いろいろなことがありましたし、丸2年ライブをしてなかったので正直、不安でした。舞台に立って自分がどういう気持ちになるのか、事前にはまったく想像がつかなかったんですよ。何も想像ができなかったので「意外といつものように始まるんではないのかな」とも思ったりしました。けど、初日の公演で実際に舞台に立って、ファンの皆さんの顔を見られて、振り返ったらバンドメンバーもいてくれるという状況に、すごくエモーショナルになってしまって。自分でもびっくりしましたし、「あー、これをやりたかったんだな、僕は」としみじみ思いました。観に来てくださった皆さんに心から感謝しています。
──MCで「毛利(泰士)くんも一緒に選曲してくれたんですが、今日の曲順に僕の気持ちが全部詰まってます」とおっしゃっていましたね。野暮を承知の質問なんですが、その気持ちを改めて言葉にしていただくとすると……。
2年前がデビュー30周年の年だったんですね。「宜候」(2021年10月発売)というアルバムはその30年を凝縮しようと思って作った作品なんです。毛利くんは付き合いが長いんで僕の歴史もわかってくれてるし、「槇原さんがデビューする前から今までをたどれるような選曲にしたい」と言ってくれて、僕も同感だったのでそういう思いを込めました。待っていてくれた皆さんに感謝を伝えるツアーにもしたいと思って回ったんですけど、口で説明するのがすごく難しいことなので、曲を聴くことで受け取ってもらえたらいいな、と。それと、ファンの人たちとみんなでタイムマシーンに乗るような気分で、僕の歩んできた道を一緒にたどりながら、ご自身のことも振り返っていただいて、いろいろ感じてもらえたらいいなと思っていました。
──最初にお話ししておきますと、「宜候」というアルバムが僕は大好きなんです。これまで数多の名作を残したアーティストにこんなことを言ったら失礼かもしれませんが、輝かしい槇原さんのキャリアにあっても有数の傑作なのではないかと。
本当ですか? うれしい。なーんて、喜んじゃった(笑)。
──ツアーでは、その傑作の中でも特に印象的だった「introduction ~東京の蕾~」から「ハロー!トウキョウ」につながって、次に最初のヒット曲である「どんなときも。」が続くのがめちゃくちゃドラマチックで、鳥肌が立ちました。
ありがとうございます。……あの、僕も先に言っておきますと、これ3年ぶりの取材なんですよ(参照:槇原敬之「The Best of Listen To The Music」インタビュー)。だからごめんなさい、ちょっと緊張してるんですけど、今素直に「うれしいなー」と思っちゃって(笑)。すいません、本当にありがとうございます。
──いえいえ。この流れはどのように決められたんですか?
実を言うと「introduction」のアレンジは僕が16歳のときにデモテープを送った坂本龍一さんの「サウンドストリート」(NHK-FMの音楽番組)のオープニングナンバーへのオマージュなんですよ。上京する前、大阪にいたときの自分と音楽との関係を歌詞に入れてあるんですね。「どんなときも。」をリリースした頃にまさに東京での暮らしがスタートしたので、3曲目はこれでいこうと。アンコールで歌ってきた曲ではあるんですけど、今回は新鮮な気持ちでここで歌おうと決めました。いろんな意見があったんですけどね。
──槇原さんにとっては、この曲から僕の東京生活が始まった、という感覚が強いんですかね。
強いと思います。この流れで歌ってみて、走馬灯のように……って言うと死んじゃうみたいでイヤですけど(笑)、いい意味ですごく客観的にストーリーを追ってました、歌いながら。「この曲を作ってたときに、音がうるさくて隣の部屋の人に壁をドンドン叩かれたな」という記憶まで、全部思い出しながら歌ってたという。アンコールで歌うときは“みんなの歌”として歌う感じですけど、今回は“自分の歌”であることを意識しながら歌ってたな、と思います。いつも以上にピュアな「どんなときも。」でした。
「悶絶」で謝っとこ
──「どんなときも。」で東京生活が始まって、次の「悶絶」で若き日の恋を歌って、「遠く遠く」で故郷に思いを馳せるというストーリーを感じました。
次の「特別な夜」の前くらいまでは、けっこう時系列なんですよ。当時書いた歌もあれば新たに書いた曲もあるけど、出来事ベースでは、経験したことを経験した順番に並べてる感じです。「悶絶」はまんま自分のことですしね。
──「悶絶」というタイトルでこの内容は最高ですね。
みんなにも「『悶絶』って?」と不審がられましたけど、それぐらい恥ずかしい経験ということで。53歳の今、20代前半の自分のことを思い出すと、ほんっっと何も知らなかったなって思うんです。恋愛ひとつとっても「あれってなんだったんだろうな」って。それを楽しみながら「悶絶」は書きましたね。「迷惑かけちゃったな。重かったよね。謝っとこ」みたいな(笑)。
──「特別な夜」は同窓会っぽいシーンを描いていますが、これも実話ですよね。
はい、実話です。2018年に同級生の1人が亡くなって、その報告会も兼ねてみんなで集まったあと、帰りの車の中で一気に書いた歌詞なんです。その会がね、すごく印象に残ってるんですよ。若い頃って心の中に劣等感みたいなものがあって、僕なんかそれの塊ですけど、コンプレックスを隠そうと仮面を付けたりして……でも変わるんですよね、50ぐらいになると。憑きものがポロッと取れるというか。「自分だけ大変だと思ってたけど、みんな大変だったんだな。恥ずかしいな」と思って、救いのようなものも感じて。「あー、そっかー」と納得感がじゅわーんときたんですよね。いわゆるエモい感じです(笑)。
──近年の槇原さんの作品では“老い”が大事なテーマになってきている気がするんですが、「悲しみは悲しみのままで」も、老いというか成熟に伴う感情との距離の変化が反映しているように聞こえます。あと、個人的な話なんですが、「PHARMACY」(1994年10月発売)というアルバムに思い入れがあるので、その中から「東京DAYS」「花水木」を歌ってくれたのはうれしかったです。
「東京DAYS」が7曲目に入ってきたのは、「ハロー!トウキョウ」の間奏が「東京DAYS」のイントロの引用ということで毛利くんが計らってくれたんだと思うんです。東京に出てきてからのドタバタな日々を、第1幕として1回ここで終わらせとこっか、と。「花水木」に関しては、実は違う曲を歌った日もあったんですよ。春頃は「Sakura Melody」を歌ってて、初夏は「花水木」みたいな。僕は「別に変えなくてもいいんじゃないの」と言ったんですけど、やってない曲が多すぎるので、1曲でも多く聴いてもらいたいという毛利くんとみんなの意見もあって(笑)。
──ナタリー編集部の方もライブで「悲しみは悲しみのままで」が一番刺さったと話していたんですよ。1月に飼い犬が17歳で亡くなって、家族が落ち込んでいたときに、この歌に何度も救われたとか。
つらいですよね。僕も留置場にいた間に1匹亡くなったんですよ。それまで病院に連れて行ったりして一所懸命、看病してたのに、最後は何もできなくて本当に悔しかった。そういう話を聞くと、この曲を作ってよかったなと思います。ありがとうございます。
「HOME」の曲順でモメる
──そこから「Counting Blessing」を挟んで、松本人志さん作詞の「チキンライス」、須藤晃さんが詞を手がけた「わさび」とご自身が作詞していない曲が続きます。
そうですね、偶然にも。「チキンライス」は日替わりの曲で、「LOVE LETTER」とか「足音」を歌った日もありました。普段のライブでは僕が弾き語りをしがちなんですけど、よいピアニストがいるときは存分にその伴奏で歌いたい、という気持ちもあって。「わさび」と「なんかおりますの」をつなげて、“松本圭司コーナー”にしました。「わさび」は須藤晃さんが書かれた歌詞なので、自分で弾き語りして、もし歌がおろそかになってしまってはいけない。松本くんのピアノのおかげで歌に集中できたのは本当によかったです。あと松本くんって面白い人で、何度か僕のツアーに参加してくれてるんですけど、彼が入るとバンドが沸くんですよ。
──沸く?
沸くんです。松本くんがいるとバンドの温度がすごく上がって、ありがたいんですよ。僕は打ち込みで曲を作るので基本的に同じ演奏になるんですけど、バンドメンバーは公演ごとに変えていて、みんなのミュージシャン魂が触発されるんでしょうね。みんなの演奏を密かに楽しんでいます。ライブでミュージシャンと一緒にやることで、「宜候」なら「宜候」っていうアルバムの最終的な形ができあがるんですよね。
──ライブアレンジは全体的に素晴らしかったです。槇原さんはどの程度関わったんですか?
パーカッションの大石真理恵さんがいつも「槇原さんは私たちがやりたいことを何も言わないでやらせてくれてありがたいです」と言ってくださるんですけど(笑)、基本となるものだけを渡して「あとはもう勝手に解釈してください」とお伝えして。あんまりにも……なときは意見しますけど、そんなことはほとんどないし、逆にツアーの中盤になると、僕が「もうそろそろ半分なので、やりたいことやっといたほうがいいと思いますよ」と必ず言うんです。「別に失敗しても怒らないので、エモーションをぶつけてください」って。
──信頼関係あってのことだとは思いますが、素晴らしい座長ですね。
勝手にやってもらうと、メンバー同士のアイコンタクトでいろんなことが始まるので、それを僕はニヤニヤ笑いながら聴いて歌ってるみたいな。「こういうふうにしてくれ」と具体的に希望を出したことはないです。ほっといたほうがいいんですよ、ミュージシャンは。うちのバンドは意外とセッションに近いんじゃないかな。
──素敵です。「なんかおりますの」から、次は“猫つながり”で「HOME」ですね。
これは絶対に言いたかったんですけど、「HOME」は本編最後でもいいと思っていたんですよ。なのでここの順番は毛利くんとモメました(笑)。ライブのミュージシャンでやるにはちょっと変わった編成で、エレクトリックなのかアコースティックなのか……みたいなアレンジなのと、曲としても僕は「宜候」の中でもことさら気に入ってるんですよ。静かな夜の感じとか、猫のいる景色だったりとか、そういうのを自分なりにうまく描けた特別な曲なんです。しかもリハーサルしたらものすごくよかったから、「絶対にこの曲が最後だし、みんな理解できないはずがない!」と思ってたんですけど、毛利くんに強硬に押し通されまして。「いやっ、ここに置いたほうがいいんです!」って。
──すごい。毛利さん、よく槇原さんと対決しましたね。
けっこう対決しますよ(笑)。それで、まあ、負けました。
──(笑)。やってみてどうでした?
んー、最後のほうがよかったんじゃないの?(笑) 観てくれた友達からは、「『HOME』よかったよ」とけっこう言ってもらえて「だよね、キラッ」みたいな……まあそれは半分冗談ですけど、それぐらい出来がよかったんです。簡単そうに見えて、すごく難しい曲だと思うんですよ。フィーリングがとっても大事なので。そう考えると、例えば屋敷豪太さんがドラムを叩いてくれてることとか、バンドメンバーの解釈のよさとか、いろんな要素が奇跡的にそろって、とにかく僕はこの「HOME」を気に入ってます。ぜひ聴いていただきたいですね。僕がそう思ってるだけで、メンバーは違うかもしれませんけど(笑)。
──いやいや、皆さんも同意されると思います。ただ、僕が思ったのは、ここでライブが一度終わっているんですよね。
うん。だから1回終わるのはどうなのよって(笑)。「終わらなくてもいいじゃん」と思ったんですよ。でも、ここで1回区切って最後の盛り上がりに向かっていくというのは、まあ……ありなのかな、と。結局折れてるんですけど(笑)。
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「NO MUSIC, NO LIFE」今は心からそう思う