小林私|気鋭のシンガーソングライターが語る 弾き語りや動画配信への思い、創作活動のルーツ

小林私の配信作品「後付」が6月30日にリリースされた。

YouTubeでオリジナル曲やカバー曲の弾き語り動画を配信し、文学的な要素が盛り込まれたリリシズムあふれる楽曲、端正な顔立ちとのギャップを感じさせる強烈なキャラクターで注目度を高めている小林。「後付」には今秋公開予定の映画「さよなら グッド・バイ」の主題歌に決定している表題曲、すでにライブで人気のナンバー「サラダとタコメーター」に、小林の真骨頂とも言えるアコースティックスタイルの楽曲3曲を加えた計5曲が収録されている。

音楽ナタリーでは小林へロングインタビューを行い、新曲のほか、動画配信をはじめとする創作活動や弾き語りに対するこだわり、音楽のルーツについて8つのキーワードに分けて話を聞いた。

取材・文 / 天野史彬 撮影 / 山崎玲士

絵画と音楽

──小林さんは今年、多摩美術大学の油絵科を卒業されたそうですが、卒業後も絵は描かれているんですか?

そうですね。なかなか頻繁には描けていないんですけど。

──大学ではレゴブロックを油彩で描いていたそうですね。

小林私

抽象絵画とか現代アートって、僕は美術の畑の人間だからなんとなくの見方はわかりますけど、それでもすべてはわからない世界だし、きっと美術に対して興味が湧かない人からしたら、抽象絵画って本当に「意味のわからないもの」という扱いだと思うんです。そんな中、レゴという具象をモチーフにしたうえで、絵画自体は抽象絵画のグリッド構造を取ることで、抽象絵画に対するわかりづらさを軽減したいという気持ちがあったんですよね。それに、「具象絵画と抽象絵画の境界線に探りを入れてみたい」というのもコンセプトとしてありました。

──「境界線に探りを入れる」というのは、小林さんの根底にある感覚なのでしょうか?

そうですね。音楽も同じです。例えばYouTubeにカバー動画を上げるときに、多くの人がみんな知っている曲を上げる中で、僕は昭和歌謡を歌いつつ、ボーカロイドの曲も歌ったりする。僕や僕の作品を通して、観ている人の視野の幅が広がってくれたらいいなと思うんです。音楽と絵画はまったく別のものですけど、そういう意識の部分は絵画と音楽も近い感覚でやっていると思います。

──それは、自分自身を物事の狭間に置くことで、自分に何かの媒介になる役割を課しているとも言えますかね?

役割というか、僕がそういう人を見たいんですよね。でも、あんまりやる人がいないから自分でやるしかない。例えば曲に関しても、本当は小林私の曲を僕以外の誰かが書いてくれればそれで済むんですけど(笑)、どうやら僕の曲は僕しか書けないっぽい。それなら、自分で書いて、自分で聴くしかない。僕の活動は、需要と供給を他者に広げずに自分で完結させている感じなんですよね。オタクっぽい言い方をすると、マイナーカプを自分で描いて満足している腐女子みたいな(笑)。でも、そうやって生まれた作品を見て、「これ好きだわ」と思ってくれる人たちが集まってきてムーブメントが起こったりしたら、それはうれしいことだなと思います。

──失礼な質問になってしまうかもしれませんが、髪を伸ばされていることにも何かこだわりがあるんですか?

髪は伸ばしたいから伸ばしているだけですね。僕の髪は滅茶苦茶ストレートなので、短いといがぐり坊主みたいになっちゃうんですよ。高校の頃に通っていた予備校でのあだ名は「ウニ」だったんですけど、本当にウニみたいになるんです(笑)。

──(笑)。

ただ、おこがましい言い方をすると、この髪型も、僕の作品を聴いていろんな音楽を知ってほしいという思いや、僕の絵を見て抽象絵画に対する先入観を軽減したいという気持ちの延長線上にあると思います。やっぱり、男ってどうしても髪を伸ばしにくいじゃないですか。バイトの面接に行っても「髪が長いのはちょっと」と言われたりする。同じように、女性も「ネイルしているのはダメ」みたいに言われることがありますよね。もちろん、仕事の内容によってはどうしても弊害が生まれるし、制限されるものが出てくるのは仕方がないことですけど、意味なく制限されるもの、男性が日常生活の中で髪を伸ばすことなんかに関して言えば、自分の存在を見てもらうことで多少ハードルが下がればいいなと思ったりはします。もちろん、何よりも自分が伸ばしたいから伸ばしているのであって、切りたくなったら切りますけどね。

小林私

歌と日本語

──変な言い方ですが、小林さんの歌は非常に“歌然”とした歌だと思うんです。小林さんにとって歌とはどういった効能を持つものですか?

例えば、小説や作文として書き起こしたら「ちょっと違うな」と思われるような言葉遣いでも、メロディや歌い方によって、あるいは楽器や伴奏が入ることで「なんだかわかる」と思える状態に持っていくことができる。それが歌なのかなと思います。例えば「日暮れは窓辺に」という曲では、歌詞上だと「腹立たしい」と書いているところを、「はらただしい」と読んだほうが歌として気持ちいいから、そういう読み方にしているんです。日本語の文字情報としてはおかしい読み方なんですけど、そのほうが音楽として、聴覚情報として気持ちいい。そう思えることを考えると、小説とかとは違う文字の世界として歌が存在するのかなと考えています。

──いつ頃からそういったことを意識されていたんですか?

明確にいつからとは言えないんですけど、もともと保育園くらいの頃から小説を読むのが好きで。そのあと吹き出しみたいなマンガならではの文字表現に触れるようになったり、あるいは、演劇部に入ったときに舞台での言葉の出し方を実感したり……そういう経験の中で、「これは小説だから、これは演劇だから許される言葉遣いなんだ」ということを知っていったんじゃないかと思います。そしてその中で、歌ならではの言葉遣いに気付いていったんじゃないかと。

──言葉の扱い方をずっと探ってきたんですね。歌は何かしら聴き手と分かち合うものでもあると思うんですけど、小林さんは歌の「分かち合う」という側面に対してどんなふうに向き合っていますか?

なんの著作だったかは忘れてしまったんですけど、穂村弘さんが「共感性と驚きという2つの側面があったときに、短歌は驚きの要素のほうが強い」ということを言っていたんです。それを読んだときに、カッコいいなと思って。もちろん、共感性って捨てきれないものだし、大事だとは思うんです。でも、行きすぎるとただの「あるある」になってしまう。それも悪くはないのかもしれないけど、美術大学に4年間通って僕に形成された1つの価値観として、「作品を見たとき、共感するよりは驚きたい」というものがあるんですよね。決して「きれい」とか「心地いい」みたいなポジティブな感情ではなくても、驚けるかどうか、いわば岡本太郎が言う「いやったらしい」みたいな感覚のほうが大事だし、僕にはしっくりくるんです。

──なるほど。

「表現だから許されることってあるよね?」と思うんです。普通に言葉として友達に話したらただの愚痴になってしまうようなことでも、音楽になら落とし込むことができる。あと、僕にとって歌を作ることは「自分が考えていることを整理する」という意味合いが強くて。うれしいこととかは普通に友達と口頭で共有したほうが楽しいけど、しんどいことや苦しいこと、「俺はどうやって生きていけばいいんだろう?」みたいな感覚は、あまり人に共有するものではないと思う。だからこそ、それは歌にできるんじゃないのかなと感じるんですよね。

──先ほど穂村弘さんの名前が挙がりましたが、短歌のような日本ならではの歌体というものは、小林さんの歌に影響を与えていますか?

そうですね。とにかく日本語が好きっていうことが大きいんですけど、自分の大元にあるのは都々逸や四字熟語。ああいうのって、口が気持ちいいじゃないですか。例えば四字熟語で言うと「画竜点睛」とか、「臥薪嘗胆」とか、口に出すだけでカッコよく感じる気持ちよさが好きで。あと、中学生くらいの頃にニコニコ動画で「歌ってみた」系の動画を観ていたんですが、その中でも特に替え歌系の人たちが好きだったんです。替え歌って、言葉のハメ方の気持ちよさや、メロディは同じでも言葉が変わることで意味合いも変わってくる面白さを感じることができると思うんですけど、そういう感覚が自分には根付いているんだと思います。今回の作品に入れた「花も咲かない束の間に」という曲は意識的にタイトルを七五調にしていて、これも言葉としての気持ちよさを残したかったからなんです。

──「花も咲かない束の間に」はものすごくいい曲ですよね。日本語の歌としてとても美しい造形の曲だと思いました。

できあがったときに自分でも「いい曲!」と思いました(笑)。いつも変わった言い回しや掛け詞を入れていますが、難しい言葉を並べず、説明的にならずに「こういう感覚あるよね?」ということを言語化しながらメロディに乗せていくことを考えていて。この曲の歌詞は特に美しい文字面にしたかったんですよね。

──昨年10月発売のカバーアルバム「他褌」は、1曲目が面影ラッキーホール(現:Only Love Hurts)の「今夜、巣鴨で」、ラストは浅川マキさんの「夜が明けたら」で締めくくられていましたよね。この流れに、小林さんの根底にあるブルース感を感じたというか。いわゆる一般社会から外れた人の視線や、人間の暗がりみたいなところにスポットを当てる歌が小林さんの志向性として強いのかなと。

浅川マキさんについては、大学のカッコいい友達に「私最近、この女聴いているんだよね。聴けよ」と言われて(笑)。聴いてみたら「カッコいい!」と思って、愛聴するようになったんです。小学生の頃は家にあった嵐やいきものがかりのCDを聴いていたんですが、いきものがかりの中でも山下穂尊さんのアップテンポだけどちょっと暗めな感じの曲が性分として好きでしたね。中学生の頃、自分から音楽を聴くようになってからは、インターネットでボーカロイド文化に触れて。ボーカロイドも種類はさまざまですけど、僕は「脳漿炸裂ガール」という曲を初めて聴いたときに衝撃を受けました。めちゃくちゃアップテンポで、言葉もズバズバズバッと言っていく感じが「カッコいい!」って。これもやっぱりアップテンポなのにちょっと暗めなところが好きで。心打たれる感じがありました。

──ボカロは、やはり影響として大きいんですね。

メロディラインは、それこそ山下穂尊さんとか、あとは僕が大尊敬している中原くんというシンガーソングライターに影響を受けていると思うんですけど、言葉の選び方に関してはボーカロイドの影響も大きいと思います。ボーカロイドの曲の歌詞って「僕は○○で××だ。君は○○で××だ」みたいな書き方ではなくて、もっと単語の連なりで攻めていく感じが多いんですよね。今の自分の曲はそういうボーカロイドの感覚と、歌謡曲の好きな部分をいいとこ取りしている感じなのかなと思います。

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理想の音とギター