Ken Yokoyama|「ヒマだって? ああ、俺もだよ」新章突入を告げるKen Band新作、タイトルから見えない“真のテーマ”を探る

新作のテーマはいつになく不可思議

──健さんのこれまでの作品を振り返ってみても、何か明確なテーマやポイントを見つけることから作品が組み上がっていくことが多かったと思うんです。今作に至るまでのご自身のメンタリティとして、次の何かを模索していくようなところはなかったんでしょうか?

横山 ああ。確かに「Sentimental Trash」によって「お客さんがKen Bandに持つメロディックパンクのイメージ」に縛られなくなったから、じゃあ次はどうしよう?と模索している時期がここ数年だったかもしれないですね。実際、「Songs Of The Living Dead」に入れた「I Fell For You, Fuck You」も、NAMBA69とのスプリット盤に入れた「Come On,Let's Do The Pogo」も、Minamiちゃんが元ネタを持ってきてくれてたから。ある種、次を模索するうえで実験的な数年だったのかなあ。まあ、2016年から2018年まではハイスタ(Hi-STANDARD)もありましたし、その間に意図せずメンバーの脱退もあったし……気付いたらKen Bandのほうは5年も空いちゃったなあくらいの感じだったんですけどね。

Hidenori Minami(G)

──なぜ「模索があったのか」を聞いたのかというと、今作の歌詞を見たとき、楽曲のポップさからは考えられないくらいの内省を感じて。失礼な言い方かもしれないんですが、「よくわからないな」と思ったんです。

横山 ははは!(笑)

Minami いや、でも言ってることはめちゃくちゃわかるよ(笑)。

──ソングライティングのみならず、歌としてのテーマも健さんは常にハッキリしてきた方だと思うんです。1stアルバム「The Cost Of My Freedom」(2004年発売)はご自身の内省と取っ組み合っていたし、2nd「Nothin' But Sausage」(2005年発売)はその反動として思い切り突き抜けた。3rd「Third Time's A Charm」(2007年発売)には明確に愛をテーマにした歌が並んでいたし、4th「Four」(2010年発売)ならロック劣勢の時代感に対してプライドを見せつけて、5th「Best Wishes」(2012年発売)は東日本大震災以降のユナイトを掲げて、そして「Sentimental Trash」では音楽家としての自分に向かいながら、下の世代へのメッセージを明確化していった。ただ、今作では何と取っ組み合っているのか、明確には見えない歌が多いと思ったんです。

横山 ああ、そう言われたら確かにそうですね。次のアルバム用にストックしてある楽曲たちと合わせて聴いてもらえれば、テーマ性がよくわかるとは思うんだけど……。でも実際に歌詞を書いてるとき、今までと違った作業になってたんですよ。いつもMinamiちゃんに日本語の歌詞を投げて英訳してもらいながら、細かいところを組み立てていく流れなんですね。で、Minamiちゃんは「この歌の主人公は誰なのか、どんなストーリーがあるのか」ということをわりと明確にしたがるタイプなんですよ。それに対して今までは明確に答えることが多かったんだけど、今回は「いや、意味とかじゃなく、もっと散文的にしたい」って返すことが多かった。それは今までになかったことで。

──どうしてそうなっていったんだと思いますか。

横山 うーん……正直、ちょっとわからないかも。

今までになかった「逃げる」という選択肢

──例えば「Runaway With Me」の「お前は『男が逃げたらダメ』って言うけど / 心配ない / 代わりに人形でも置いときゃ 誰も気がつきゃしないよ / 逃げよう オレと一緒に」という歌詞にドキッとさせられました。意味とかストーリーとか以上に、もっと直情的に吐き出したいものがあったということなんですかね。

横山 ああ。そうかもしれない。今言ってくれた歌詞はまさにそうなんだけど、やっぱり世の中と距離を置きたかったというか、社会と呼ばれるものから逃げたい気持ちがあったんでしょうね。で、今「社会」と言うと、そこには“政治”という意味合いもあるし、インターネットを中心に渦巻いている“同調圧力”みたいなものも入ってきますよね。ここ数年、それらに対して心底ウンザリしちゃってたんですよ。その気持ちをそのまま吐き出すことで、聴いてくれている人にも「今の社会が苦しいなら、逃れることも可能なんじゃない?」って提示したかったのかもしれないです。だって、あまりに世の中が混沌としているし、人と人が傷付け合ってる様がこんなに可視化されてるなんて、誰もが苦しさを抱えてるはずじゃないですか。

──本当にそうですよね。ただ、これまでの健さんは「逃げんじゃねえ」ということを歌い続けてきた方だと思いますし、だからこそ「逃げよう」という言葉には、人間として大きなメンタリティの変換があったのかなと邪推してしまったんです。

Jun Gray(B)

横山 いやあ、この曲を書いたときは、「こんなに素敵なラブソングはない」と思ったはずなんですけどねえ(笑)。でもね、今言われた通りで、自分から出てきた「逃げよう」という言葉については、自分自身でもすごく考えちゃったんですよ。おっしゃる通り、僕はここまで逃げてこなかったから。でもなぜ、ここで簡単に社会から逃げようなんて言葉が出てきちゃったのか……。やっぱり歳を取って変わったところはあるんでしょうね。今までなら、なんでもかんでも「逃げねえぞ」と気張ってるところはありましたよ。僕は自分をパンクスだって思ってるから、社会に対峙するのも当然のことだった。でも今は、社会をちゃんと見たうえでも「相手にしなくていいもの」がはっきりしてきたと思うんですよ。「自分を社会の外においてもよくない?」って言える瞬間が出てきたといいますか。

──社会という言葉を考えてみると、いろんな価値観が急激に変わっていく流れがあるからこそ、今は人それぞれの混乱も増している時代だと思うんです。価値観があまりに多様であることを理解すると、自分が何かの流れに加担したり、自分自信を発信すること自体が誰かを傷付ける結果になるんじゃないかと思ってしまったり、ナーバスになる瞬間も増える気がします。そういう視点で言うと、健さんが自分を社会の外に置こうとしたのは、どうしてだったんでしょうか?

横山 昔の自分を振り返ると、それこそTwitterとかでもよくケンカしてたわけですよ。だけど次第にクソリプって言われるものも増えてきて、なんにせよダメージは食らうんです。人間だから、そりゃ当たり前ですよね。だから、プロレスラーの木村花さんだって、誹謗中傷を受けた末に亡くなってしまったわけじゃないですか。人は「そんな簡単なことで死ぬの?」なんて言うけど、そりゃそうですよ、そこに痛みは絶対に存在する。で、その痛みを生んでいるのが人間自身だっていうことに対して、すごい世界になっちゃったなあって思うんだけど……例えば僕がコンビニですれ違っただけの人が、僕に強烈なリプを送りつけてる人間かもしれないとまで思っちゃうし、もっと言えば、僕が震災後に原発のことを発信したこと自体も、今になって自分に効いてきちゃってるんですよ。

──それはどういう意味で、ですか?

横山 「原発なんていらない」と発信したら、東電で働く親御さんを持っているお客さんがライブに来なくなっちゃったんです。ミュージシャンたるものそれは発信すべきことだと思っていたけど、「私は東電のお金で育ったから、健さんのライブには行けない」と言う人がいたわけです。そういう事象を1つ取っても、何かを発信することによって誰かを傷付けるかもしれないとか、僕の立場の物言いが誰かにとっては痛みになるのかもしれないとか……昔はそんなこといちいち気にしてらんないと思ってたのに、今は誰かを傷付ける可能性がある場所、それこそ社会から逃げたいと思ってしまうんですよ。

収録曲に通じるテーマの1つは「痛み」

──例えば「Balls」は、一見バイク事故でキンタマを怪我しただけの歌ですけど、最終的には「バイクが直ってもキンタマは痛みを覚えてる」というところにたどり着きますよね。「おい なんでも知ってるような顔した そこのお前 / どうやらキンタマはお前より賢いぜ / お前が忘れちまうようなことも キンタマは覚えてるんだからな」という歌詞で。人の痛みすら想像できずに傷付け合いを繰り返す社会への思いが込められている歌が多いのかなと感じたんですが、どうなんでしょうか。

Minami いや、「Balls」はただのキンタマの歌なんじゃない?

──え?

横山 ははは!(笑) 今言われてみてハッとしましたよ。この6曲に通じているテーマと言ったら言語化できなかったけど、今自分が認識している“痛み”が通じてるものなのかもしれない。で、それを直接的に言いたくなかったから、散文的にしてみたり、何かをまぶす形で書く歌が増えたと思うんですよ。なぜなら、直接的な物言い自体に対して考えるところが多かったから。

横山健(Vo, G)

──この音楽的な抜けのよさからは考えられないほど、痛みや傷というものが浮かび上がってくる今回の作品には、「The Cost Of My Freedom」以来と言っていいほどの深い内省を感じました。

横山 ああ、そうか。確かに内省的だよね。

──ただ、健さんがなりふり構わず自分の主張を音楽で掲げてきたのは最近始まったことではないし、ある種の極端な物言いは一貫してきたと思うんですよ。だから、ご自身の言葉の中に対する自戒や、人を傷付けている可能性に自覚的になられたのが今だったのは、社会論の中ではわかるけど、健さんの場合なぜこのタイミングで?と思ったんです。

横山 なんで今だったのか……それは間違いなく社会を見てのことだったと思うし、そこに自分を照らし合わせてみたっていうのはあると思うんですね。だから言ってくれた通り、自分のトゥーマッチな物言いを省みることが増えたし、葛藤は深まっていて。なんなら、自分自身が仕掛けた罠に自分がハマッてしまったような感覚すらあった。もちろん、パンクロッカーとしての回路は僕の中で一番大きいものだから、コロナだなんだっていうことも含めて社会が混乱しているときには直接的な発信をすべきだっていうのも考えましたよ。それでも、今はその気分じゃないっていう自分がいて。ただ、俺は政治家でもインフルエンサーでもなんでもなく、ただのロックンローラーなわけで、その時々で表情が違っても、自分が言ったことを翻したっていいよなってことも考えたんですよ。その折り合いをつけるのは自分の中でも大変な作業でしたね。俺って本来強いことを言う人間だったよな、でも今はそういうことを言う気分じゃないな、日和ったって思われないかな、みたいな。

──それでも「Still I Got to Fight」のように、今作一のロマンティックなメロディで闘争を掲げていく歌もありますよね。この衝動がなんなのかを知りたいです。

横山 「Still I Got to Fight」は、すごく抽象的な意味での戦いなんですよね。具体的な相手との戦いというより、自分の葛藤と向き合う意味での戦いというか。それこそ自分の考えをアップデートしたり、ときには考えを翻すことが必要になったりっていうことも僕にとっては戦いなんです。社会から逃げようと歌っても、絶対に自分の中の戦いや葛藤を放り投げることはしないぞっていうのがこの曲のテーマだったりするんですよ。まあ、今言われたことで唯一違うのは、一番ロマンティックな歌は「Balls」だってことですけどね(笑)。