加藤ヒロ(55歳)、ニューアルバムで“枯れずにがんばる人”を応援

加藤ヒロのニューアルバム「スモーキーなスコッチと満月と」が5月1日にリリースされた。

加藤はアメリカの会計事務所で勤務したのち、2004年にM&Aアドバイザリーの会社を設立。2021年に会社を離れ、55歳になった現在は八ヶ岳で農園・チェリーズガーデン八ヶ岳ファームを運営している。

音楽と農業という二足の草鞋を履く彼が、新作に込めたメッセージとは? インタビューを通して、壮年の哲学に迫る。

なお今回の取材には加藤の所属事務所・ポイントブランク代表の安藤日出孝氏も同席した。

取材・文 / 安部孝晴

なんか、山が欲しいなと思って

──加藤さんが会社を辞めてから3年経ちましたね。

加藤ヒロ 会社勤めを完全に辞めたのは2021年だけど、コロナ禍で出社しない時期もあったし、いきなりスパッと辞めたというよりは段階を追った感じでした。そうすると川の水が流れるように、自分のやりたいことのほうに自ずとシフトしていくんですよね。

──加藤さんの“川”は脱サラにつながっていたんですね。

加藤 型にはめられた生活がもともと好きじゃなくて。わがままというか、自由人というか、予定もあんまり決めないほうだし。そういう性格を最大限生かせる暮らしに今、たどり着いた感じです。

──もし脱サラを検討している若者がいたら、背中を押したいと思いますか?

加藤 そこは人によると思いますね。きちっと規則正しく生活するほうが合ってる人もいて、そういう人にとって会社勤めは快適だろうし。僕は逆に規則正しいとストレスが溜まってしまうので、必然的に自由なほうに行ったという感じですかね。

──自由な暮らし、憧れます。

加藤 生活するためのお金を稼ぐ生き方から、経済的な事情はさておき本当にやりたいことを追求する生き方へ。僕は50歳を超えたタイミングで、そういう切り替えをしたんです。生きていくうえでどうしてもお金は稼がないといけなくて、ランニングのインカムがないと生活も精神も不安定になっちゃう。だからそこはカチッとやるだけやって。あとはお金が儲からなくても、生活が苦しくなっても、やりたいことだけやろうっていうほうに舵を切りました。

加藤ヒロ(Photo by Mami Naito)

加藤ヒロ(Photo by Mami Naito)

──“生活するためのお金を稼ぐ”仕事として、M&Aアドバイザリーがあったわけですね。

加藤 あの仕事って昔はもっと属人的で、人によって交渉スタイルが全然違って。買収スキームをはじめとしたさまざまな要素をどう組み合わせるか、みたいな面白さがあったんですよ。でもM&Aが世の中に広まっていくにつれて、アドバイザリーの仕事も汎用化されていきました。そうするとなんとなく、お客さんから感謝される意味合いも変わって。求められるものが変わったらもうそこに自分の居場所はない気がして、本当にやりたいことを考えたときにたどり着いたのが音楽と農業でした。

──農業はどういうタイミングで始めたんですか?

加藤 2021年の春、会社を辞めたときかな。昔は軽井沢に家を持っていて、家庭菜園をやってたんです。そこを手放すタイミングで、なんか、山が欲しいなと思って(笑)。山を買って開拓したいという欲求が湧き上がってきたので、土地を探しました。

──それで八ヶ岳に移住したんですね。

加藤 自然豊かで、気候がよいので、次の拠点は八ヶ岳にしようと決めてました。八ヶ岳は自然栽培(※農薬や化学肥料を使わない農業方式)に興味のある人が集まる場所で、そういう意味でも水が合うんです。同じ志を持った人が周りにたくさんいるので、話が通じやすくて。

100個の種があったとしたら

──加藤さんの中で、音楽と農業の比重は今どんな感じでしょうか?

加藤 タイミングにもよるんですよね。5月から8月までは農業に集中してます。この時期は農業が忙しくて、曲を書こうと思っても書けない(笑)。

──季節的な要因が(笑)。

加藤 ところが9月から春にかけては、ほぼほぼ音楽。時間的にも、気持ち的にも、8割方音楽に注ぎ込んでます。月によって比重が変わるけど、1年通して考えたら6対4で音楽が大きいかな。

──農業を題材にした曲も作れそうですね。

加藤 それが実はあんまりなくて(笑)。農業をやってるときって脳みその中が幸福物質であふれてるんですよ。なんのストレスもなく、イッちゃってる感じというか。だから中途半端に楽しそうなメロディしか浮かんでこなくて、面白みがないんですよね。

──それはそれでサイケデリックな名曲が生まれるのでは(笑)。

加藤 いやあ、気持ち悪い曲にしかならないでしょうね(笑)。ビジネスマンだった頃は忸怩たる思いとか、失望感とか、あるいは人に喜んでもらえた達成感とか、そういう心の動きが多くて。そのほうが音楽の題材は見つけやすかったかな。

──生活の変化に伴って、歌詞の方向性も変わりましたか?

加藤 変わりましたね。昔はどっちかって言うと根性論。“つらくても立ち上がれ!”っていう自分を慰めるような歌詞が多かったんですけど、最近は“もっと夢持っていこうぜ!”みたいなプラス思考の歌詞が増えました。

──八ヶ岳の影響力、すごいですね。

加藤 都会で生活してると、命に関することとか考えないじゃないですか。例えば100個の種があったとしたら、20個はいい種、60個は普通の種、20個はダメな種なんですよ。でも不思議なことに、なんらかの理由でいい種と普通の種が育たなくなったときは、ダメだった種が急に生命力を発揮する。ちゃんと役割分担がされてるんですよね。いい種、普通の種、ほかが悪くなったときによくなる種、というふうに。

──確かに、そんな生命力に触れたらポジティブになれるかも。

加藤 生命体として子孫を残すって結局そういうことで。高度に発展した人間社会でも当然いい人がいて、だめな人がいて、局面によってはだめな人がいい人になる。そうやってマクロに生命体を見るようになったのは、農業を始めてからですね。

加藤ヒロ(Photo by Mami Naito)

加藤ヒロ(Photo by Mami Naito)

仕事以外の生き甲斐

──ニューアルバム「スモーキーなスコッチと満月と」は、どの世代をターゲットにしているんですか?

加藤 10代や20代の人とは接点があんまりないから、彼らに対して何かメッセージを伝えるのは難しくて。僕たちの若い頃はだいたいみんな会社勤めをして、そこでいかに安定するか、いかに出世して金持ちになるか、みたいなことしか考えてなかった。でも今の若い人って違うじゃないですか。

──個人事業主っぽい人がたくさんいますよね。

加藤 そう。いろんな生き方があって、自由に選べる。だから彼らに響く言葉が何なのか、よくわからない。僕の曲はどっちかって言うと同世代、あるいはその1つ下の世代、1つ上の世代に向けたもので。希望や生き甲斐を失ってしまってる人たちに対して、もっとわがままに、貪欲にやりたいことを追求してもいいんじゃないの?っていう問題提起をしてるんです。

──リスナーからはどんな声が届きますか?

加藤 1つは「うらやましい」。もう1つは「悔しい」ですね。そういう人たちには「じゃあやってみようよ!」と伝えたいです。仕事以外の生き甲斐を見つけて、どんどんやっていけばいい。今すぐにはできない人も定年が近付いてくれば、若い頃に夢中になった趣味をもう一度やれるかもしれない。

──加藤さんの歌詞はそういう層に向けて書かれたものだったんですね。すごく腑に落ちます。

加藤 僕たちの世代は結局自分の人生を仕事に捧げてきてるんですよね。働かされまくって、吸い取られるだけ吸い取られて、それでも家庭を持って、子供をなんとか育て上げて。もう水分残ってないんじゃないかってくらい枯れかけてる人がけっこういるんですよ(笑)。そういう人に刺激を与えられたらと思って、今回のアルバムでは10曲中3曲のタイトルに「Dream」という言葉を使ってます。このまま枯れていくだけの人生ってつまらないじゃないですか。