児玉雨子|音楽と生きる、音楽で生きる ふわっと入った作詞家の道、ここまで続けられたのは

印税契約させてくれなかった人々は全員いなくなった

──以前のインタビューで「作詞家としての自覚ができたのは著作権譲渡契約をしたとき」というようなことをおっしゃっていましたが、それはいつ頃ですか?

高校生のときに初めて書いた「カリーナノッテ」がテレビ番組のオープニング曲で、フルバージョンが制作されるまでにけっこうブランクがあったので、著作権譲渡契約したのは大学生のときですね。忘れた頃に契約書が送られてきて「大変なことになったな」って。最初は作詞家業なんて記念受験くらいの気持ちだったので、教えてもらった通りに書類を書くだけだったんです。自分の権利なのに、他人事みたいな感じで。お仕事をちょくちょくいただけるようになってからは「これはちゃんと知らないとダメだな」と思うようになりましたね。

──契約する以前に、買取での作詞依頼はありました?

いくつかありましたね。学生だったから、それが適正な金額かどうかもわからなくて。印税は入ってくるまでにタイムラグがあるので、目先のことだけ見れば買取のほうがよさそうにも思えるし。

児玉雨子

──「およげ!たいやきくん」状態ですね。「日本の最も売れたシングル・レコード」としてギネス世界記録に認定されるほどの大ヒット曲でありながら、歌唱を担当した子門真人さんはアルバイト代5万円をもらっただけで印税の契約をしていなかったという。

あれはすさまじい話ですよ(笑)。買取に心揺れる気持ちはわかるんですけど、今だったら絶対に印税方式で契約をしたほうがいいと思います。だから当時相手が若くて経験のない人間だとしても、ちゃんと契約してくれた方々には本当に感謝してますし、その方々とは今でも一緒にお仕事してますね。今考えたら足元を見たような条件で依頼してきた人たちは、その後あんまりいい話を聞かないというか、いなくなっちゃいましたね。結局、他者を尊重しないと事業は続かないんだと思います。

──印税契約をする以前と以後で、JASRACのような著作権管理団体のイメージって変わりました?

私も仕事をする前はよくわかってなかったので、申し訳ないんですけど「取り立て屋」みたいなイメージがありました。でも仕事をしていく中で、そもそも知的財産という感覚が養われていなかったと考え直していきましたね。

──個人でサブスクに登録しているアーティストの中には、JASRACと管理委託契約を結んでいないから原盤権に関する使用料だけしか受け取っていないという人も少なくないそうです。

そんな人いるんですか!? 私のような職業作家は基本的に著作権印税だけで、原盤権周りとはちょっと距離があるのですが、事務所に所属せずに個人で活動しているようなアーティストとなるとまた違う事情があるんですね。やっぱり知らないことが多いですね、勉強しないとな。

──音楽の主戦場がライブとレコードやCDなどのフィジカルだけだった時代と比べて、インターネットの普及で著作権を管理すべき場面は一気に増えましたよね。

インターネットというメディアの発達は、知的財産について考える1つのきっかけになっていると思います。YouTubeやTikTokのようなプラットフォームが登場するたびに、認識も変わっているし。ひと昔前だったらテレビの映像をみんな平気でYouTubeにアップロードしてたじゃないですか。それ著作権法違反だということを、ネットに触れている方のほうがわかってることが多いですよね。逆にネットに疎い人のほうがギョッとすることを言っちゃうというか。

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──コロナ禍になって、インターネットと音楽の関係もさらに新しいフェーズに入りました。

この数年で、音楽はメディアの変遷の最前線にいるんだなと実感することがあって。最近は小説などの書籍を出す機会に恵まれまして、その作業の中で「音楽業界ってデジタル化が早かったんだなあ……」と思うことがあり。出版業界も少しずつデジタル化を進めていますけどね。Netflixや動画配信もいろいろありますけど、コロナ禍で真っ先に変化せざるを得なかったのはライブを配信に切り替えた音楽の現場でしたよね。著作権譲渡契約の電子化もかなり早く進みました。音楽が先鞭をつけるものは多いなと。

──音楽業界のシステムを知りつつ出版業界にもいる児玉さんは有利なのかもしれないですね。

まあ、CD、レコード、紙の本にも風合いがあったり、直接サインができるという特徴もあったりしますから、アナログ否定派というわけではないんですけどね。「ゲラチェックお願いします」と紙のゲラを送られそうなときだけ、「PDFで送ってください」って返事してます(笑)。

前例のない道を一人で進む

──著作権管理団体の仕組みがもっとこう変わったらいいのに、と思うポイントはありますか?

私はそんなに詳しいわけではないですが、JASRACとNexToneがあって、1社による独占というものでは徐々になくなってきています。もちろんまだまだ改善点はありますが、こうして業界システムを変えてゆく流れは確実にできていますので、これからもそれを止めずに進めてほしい、というのが、クリエイターとしての願いです。同時に、リスナーの知的財産に関する意識、「エンタメにお金を払う」という認識もこの数年ですごく変化してますよね。去年JASRACが題材になった小説「ラブカは静かに弓を持つ」(安壇美緒・著)が発表されましたけど、JASRACに批判的というよりもその必要性との両面を踏まえている読者の存在も感じまして、これは面白い変化だと思いました。

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──2020年末の記事では「コロナの影響で既得権益的になっていたシステムが瓦解していきそう」とおっしゃっていました。振り返ってみて、音楽業界の変化はポジティブなものだったと思いますか?

職業作詞家にとって「この仕事をやればしばらくは安泰」みたいな既得権益が以前はあって、個人的にはそれがすごく嫌だったんですよ。「それって音楽そのものの価値と関係あるの?」っていう青臭い気持ちもあって。じゃあ私は別の道を行こうと思ってたら、今、どんどんそういうものが崩れていってるんですよね。「この仕事をするから印税がこれくらい入って何カ月は生活に困らない」という計算がすごく難しくなってると思うんですけど、私はそれをいいことだと思ってます。

──「ちゃんといい曲を書く」ということに価値が戻ってきたというか。

そう書かざるを得なくなっているので。あと、これは個人的な不満なんですけど、芥川賞の候補になった途端に知らない作詞家、作曲家からまるで知り合いのような自慢をSNSでいくつか書かれて……(参照:児玉雨子の小説「##NAME##」が芥川賞候補に)その時期はもうずっとイライラしちゃってましたね。マネージャーさんに「全然うれしそうじゃないですね」って言われました(笑)。

──「一緒に音楽業界を盛り上げていきましょう!」じゃないんだよと(笑)。

「作詞家が書いた小説」というので盛り上がるなら光栄なことですけど、歌詞は歌詞でもっとがんばろうよ、別ジャンルの権威に頼って恥ずかしくないの?と。しかも候補になっただけで受賞してないですからね(笑)。……ここ何年かでの状況の変化は、職業作詞家・作曲家の意識の転換点であってほしいです。

──児玉さん自身の野望はありますか?

「この賞を狙うぞ!」みたいなのはあまり考えてないんですよね。ハングリー精神がないわけじゃないんですけど、それに捉われて先を見失うほうが怖い。だから野望は「俺しか行けねえ道を行く」ですね。

──道なき草むらを突っ切って、振り返ったら道ができていた、という。

思えば、作詞家の仕事も、何か大きくて有名なコンペに通って、誰かのお墨付きをもらってから始まったわけではありませんでした。「前例がないことをやっていかなくちゃいけない」という半ば強迫観念めいた信条があります。私が入っている事務所は音楽作家事務所ではないので、いつもすべてが手探りです。大きいものに所属して安心するのではなく、奪われちゃいけないものはぎゅっと握ってないといけない。そうやって俺の道を太く長く歩き続けたいですね。

児玉雨子

プロフィール

児玉雨子(コダマアメコ)

1993年生まれの作詞家、小説家。モーニング娘。'20、℃-ute、アンジュルム、Juice=Juice、つばきファクトリー、BEYOOOOONDSといったハロー!プロジェクト所属グループをはじめ、近田春夫、フィロソフィーのダンス、CUBERS、私立恵比寿中学、中島愛といった数多くのアーティストに歌詞を提供する。また「ワッチャプリマジ!」「劇場短編マクロスF ~時の迷宮~」などのアニメソングも手がけている。2021年7月「誰にも奪われたくない / 凸撃」で小説家デビュー。2023年6月に「##NAME##」が第169回芥川龍之介賞候補作にノミネートされたほか、9月に近世文芸読書エッセイ「江戸POP道中文字栗毛」が発売された。


2024年3月28日更新