尾崎世界観(クリープハイプ)|音楽と生きる、音楽で生きる 音楽は好きだからこそ嫌い

楽曲やライブなどを通じてリスナーの生活に潤いを与えてくれるアーティストやクリエイターは、普段どのようなことを考えながら音楽活動を行っているのだろう。日本音楽著作権協会(JASRAC)との共同企画となる本連載では、さまざまなアーティストに創作の喜びや苦悩、秘訣などを聞きつつ、音楽活動を支える経済面に対する意識についても聞いていく。

第7回に登場するのはクリープハイプの尾崎世界観だ。現メンバーになって15周年を迎えたクリープハイプは、8月に初のトリビュートアルバム「もしも生まれ変わったならそっとこんな声になって」を発売するなど、精力的に音楽活動をしてきた。ほかにも、12月には3年ぶり7枚目のオリジナルアルバム「こんなところに居たのかやっと見つけたよ」をリリース。また7月には尾崎の小説「転の声」が「第171回芥川賞」候補作品に選出されるというトピックもあった。一見順風満帆に見える音楽活動だが、尾崎世界観の心が満たされることはない。「音楽は好きだからこそ嫌い」と言い切るその葛藤を、テキストから感じ取ってほしい。

取材・文 / 張江浩司撮影 / 山崎玲士

プロフィール

クリープハイプ

クリープハイプ

尾崎世界観(Vo, G)、長谷川カオナシ(B)、小川幸慈(G)、小泉拓(Dr)からなる4人組バンド。2001年に結成し、2009年に現メンバーで活動を開始する。2012年4月に1stアルバム「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」でメジャーデビュー。2024年8月には現メンバー15周年を記念した初のトリビュートアルバム「もしも生まれ変わったならそっとこんな声になって」が発売されたほか、12月4日にはオリジナルアルバム「こんなところに居たのかやっと見つけたよ」を発表。

「いける」と思った瞬間、揺らいだ世界

──尾崎さんが「音楽で生きていきたい」と思い始めたのはいつ頃ですか?

高校2年生の頃にバンドを始めたんですけど、そのときはまだなんとなく思っていました。曲を作ったり歌詞を書いたりする人は音楽で生活したいと思うものだよな、じゃあ思ってみようという感じで。

──野球好きの少年がプロ野球を目指してみる、というような。

自分の目標はなんだろうと考えたときに、漠然とプロになることなのかなと思って。「どうしても音楽で食っていくぞ!」というよりは、とりあえずやってみて、どうなるかなという感じでしたね。

──今なら、ほかの仕事もしているミュージシャンのロールモデルもいろいろ見当たりますが、当時は音楽を続けるならプロになるしかないという感じでしたもんね。

確かにそうですね。今とは全然感覚が違いました。まず情報がなかったので、CDを出していたり、雑誌に載っていたりするかどうかで判断するしかなくて。でも隠されている分、どんどん妄想も膨らんだ。例えばラジオでライブの告知CMが流れていたら、「すごいな、人気あるんだな」と思っていたけれど、今考えるとチケットが売れていなかったんですよね(笑)。自分が好きで聴いているバンドが実は危うい状況にいるとして、今はリスナーもそのことをなんとなく感じているんじゃないかと思うんです。でも、当時はまだなんでも知られてしまうわけではない、いい時代だったような気がします。

──実際に「音楽で生きていける」と思ったタイミングはいつですか?

2011年ですね。それと同時に東日本大震災が起きて。あの震災がすべてを変えてしまうほど、ものすごく大きい出来事で。2009年に今のメンバーになってから、友達ではない、純粋なお客さんが徐々にライブに来てくれるようになったんです。まだ10人とか20人だったけれど、それまで8年くらいまったくお客さんがいない状態でやってきたので、なんかプロっぽいなと思いながら、すごくうれしかったですね。ただ、やっぱりまだバイトはしなければならない。それなのにバンドが忙しくてあまりシフトに入れない。みんなよく言っていますが、ちょっと名前が出始めた頃が一番しんどいんですよね。時間もお金もなかった。それで、2011年になって、インディーズから2枚目のミニアルバムを出すことになって。レコーディングも終わり、当時はジャケットも自分たちで決めていたので、写真家の方と喫茶店で打ち合わせをする予定があって、夜勤のバイトのあとに待ち合わせ場所に近い実家に帰ったんです。その日に東日本大震災が起こって、揺れで起きました。そのとき真っ先に「死ぬかも」と思って。寝ぼけながら、「このアルバムを出せずに終わるのは本当に悔しいな」と思いました。すぐにニュースを見て大変なことになっているのを知り、余震もくるし、夜になってもなかなか寝られなくて、やっと朝になったときの気持ちをアルバムタイトルの「待ちくたびれて朝がくる」に込めたんです。

クリープハイプ「待ちくたびれて朝がくる」ジャケット

クリープハイプ「待ちくたびれて朝がくる」ジャケット

──日常が根底から覆るような体験でしたよね。

どうにかCDは発売されて、そのインストアイベントにもすごく人が集まってくれて、そのときにたまたま店にいたレコード会社の人が気になってCDを買ってくれたんです。それがメジャーデビューにつながった。それまで、メジャーの話は一切なかったので。「これでいけるかな」と思う一方で、自分がやっていることはこんなにも不安定なんだということにも気付きました。それまで、ある程度しっかりした土台の上で音楽をやっていたつもりだったのですが、ただでさえ不安定なものの上でさらに不安定なことをしていたんだとわかったら、すごく恥ずかしくなって。まだ誰かを励ましたり勇気付けたりする立場でもなかったし、かといって音楽に励まされる立場でもない。誰の助けにもなれないし、誰にも助けてもらえない、自分自身が一番中途半端な存在に感じられて、そういう人間が音楽をやっていることに矛盾も感じたし、この1年間はすごく落ち込みました。

あるところから先にいけない悔しさ

──バンドが上り調子の手応えを感じているときに、ミュージシャンシップの根幹に関わるような脆さに気付いてしまったと。

でもそれだけではなくて、バンドとしての実力もまだまだ足りなかったと思います。メンバー個々の演奏技術に対してあれこれ言わなければいけないこともあったし、そもそも自分はできているのだろうか、いい曲が書けているのだろうかという疑問もあって。自分だけ偉そうにいろいろ言っているけれど、客観的に見てクリープハイプは中途半端なバンドだよなとも思うし、もどかしさを感じているときに震災が起こったので、この先どうしていこうかなと迷いました。ただ、10代後半から20代中盤くらいまでの、本当にどうしようもない時期に比べたら、すごく幸せな悩みだったと思います。次にこういうことが起きたら、確実に誰かを安心させられる立場でいたいという目標もできたので。

──迷いつつ、先を見据えるきっかけにもなったんですね。

その後、2020年のコロナ禍で、自分たちが取った行動は間違っていなかったと思います。現メンバー10周年のタイミングで、それまでで一番大きなツアーが中止になって、周りを見たらいろいろなバンドが無料でライブ映像を公開したり、音源を配信したりしていました。そこでもしも2011年の経験がなかったら、こっちもそれに流されていたと思います。でも、まずは「自分たちのことを本当に好きな人たちだけに届けたい」と思い、とにかく本当に好きな人の目や耳に濃いものが触れる活動を心がけて、有料ファンクラブの会員向けにいろんなコンテンツを配信していきました。2021年くらいからライブを少しずつやれるようになっていって、フェスも始まったけれど、まだいろいろ制限があって、歓声も手もあげられないし、お客さん同士の距離も離れていましたよね。でも、自分たちはそもそもお客さんを煽らないし、制限の中でも特にやり方を変える必要がなかった。自分たちにとってはそれが普通だから、ほかのバンドに比べて説得力も違ったはずです。運がよかったというか、そのことがかなりプラスだったと思いますね。実際、そこから聴いてくれる人も増えたような気がします。コロナ禍を経て、また新しく始まった感覚がある。思い返すと、だいたい10年周期で自分がミュージシャンとして活動する意味を問われるような出来事が起こっているのが、すごく印象的ですね。

尾崎世界観

──クリープハイプの曲や小説「転の声」から、尾崎さんが「人前で音楽をやること」「音楽を仕事にすること」を考えすぎなくらい考えていることが垣間見えますが、そこにも震災やコロナ禍の体験が影響しているんでしょうか?

それはもう自分の性格かもしれません。他人に指摘される前に自分でわかっていないと納得できないんです。「こういう表現をするとこんなふうに言われるかな」とか、なんでも先回りして考える。無理して考えているというよりは、もうそれが趣味みたいなもので。

──メジャーデビュー前のお客さんがいない頃と、大勢の前に立つようになったあとでは悩みの種類も変化すると思うんですが、尾崎さんの場合はいかがでした?

シンプルに、あるところから先にはいけないという悔しさがずっとありました。インディーズの頃から聴いてくれる人がちょっとずつ増えて、ライブ会場も大きくなり、どこまでいけるかなと思っていたら、あるとき、確実に止まった瞬間があったんです。「あ、ここまでだったんだ」と感じて、違うやり方を探すんですが、長いことやっていると「ここまでだな」とわかってくる。でも、「じゃあここまででいいか」とはならない。そうした悔しさがモチベーションになっているところもありますね。本当に悔しいと思っている自分と、「だから続けていけるんだよな」と思っている自分が別々にいて、その感覚が鬱陶しいことももちろんあるし、もっと純粋に主観で落ち込んだり怒ったりもしたいんだけれど、やっぱり客観的な視点に救われることもあるんです。音楽以外の表現でも、どこかで止まる感覚はあります。10代、20代の頃に思い描いていたことはもうほとんど叶えている。やりたいことは全部やったけれど、今のステージには今のステージなりの悔しさや絶望があって。でも、当時のバンド仲間にひさしぶりに会っても、「売れてるじゃん!」と言われるので、やっぱり伝わらないのがもどかしいです。

音楽に平熱でいられることがうれしい

──「演奏するだけで満足です」というミュージシャンも中にはいますよね。

「歌うのが楽しいからずっと歌っていたい」という感覚がよくわからないんです。歌うのは苦しいし、自分にとってライブで歌うということは、ミスをする可能性と常に隣り合わせです。それでもなぜやりたいのかというと、お客さんが待っていてくれるから。それしかないですね。「転の声」を書いておいてこんなことを言うのもなんですが、お客さんがいなければ本当に意味がない(※)。もう一生分歌ったし、あんなキーの高い歌はなかなかつらい(笑)、それでもどうにかがんばって、待ってくれている人たちのために歌うという、これこそを求めていたんだと思います。これは10代の自分に言ってもわかってもらえないでしょうね。ずっと歌うのが楽しかったし、もう歌わなくてもいいと思う日が来るなんて思ってもみなかったので。そういう「音楽で生きていくことを目指していた自分」と、「音楽で生きている自分」がわかり合えないということは、本当に幸せだと思います。そこがつながったらダメだと思うので。

※小説「転の声」では、チケットを購入したファンにあえてライブを“観ない”という選択をさせ、それによってプレミア化された無観客ライブの開催を目指すバンドマンの姿が描かれた。

──そこが同一化するとミュージシャンとしてのゴールを迎えてしまいそうですよね。

そうですね。両方とも自分に違いないのに、昔はまったく思っていなかったようなことを思いながら、それでも音楽を続けている。それこそが幸せなんじゃないでしょうか。

──自分の欲求は一度置いておいて、お客さんのためにやるというのは職業人的な発想に感じます。

これはニュアンスが難しくて、ただ割り切ってやっているわけでもないんです。「好きだからこそ嫌い」という気持ちですね。プロとしての理想はあるけれど、どうしてもライブで思い通りにいかないのが嫌だという。音楽が好きじゃなかったら、もっと割り切ってやれるんでしょうね。でも、「ミスも含めて音楽だから」とはやっぱり思えない。お金をもらって期待してもらっているからには、ちゃんとやりたいので。

尾崎世界観

──「転の声」は、そういった「好きだから嫌い」のような両義性を極端に誇張して思考実験した内容になっていると思いました。

あれは大袈裟に書いてふざけている感じですね。音楽業界のリアルな裏側を知っている分、それをそのまま出すと生々しすぎるから、ちょっとバカっぽくして均すというか。音楽に対してこういう距離感でいられるのは、小説を書いているからかもしれないですね。ずっと夢中でやってきた音楽に平熱で接することができる、対等でいられることが、今はとにかくうれしいです。

──生活の一部として音楽に触れる権利を得たというか。

そうですね。仕事にするということはそういうことだと思います。