音楽ナタリー Power Push - いい音で音楽を

special interview土岐麻子 声のスペシャリストが考える“いい音”

ボーカリストにとっての“いい音”とはなんなのか。レコーディングで作品を作り上げるとき、ライブで観客に歌を届けるとき、ボーカリストが意識していることはなんだろう。

1990年代後半よりCymbalsのボーカリストとして活動し、バンド解散に前後してソロでのキャリアをスタートさせた土岐麻子。ユニクロCMソング「How Beautiful」や、資生堂「エリクシール シュペリエル」CMソング「Gift ~あなたはマドンナ~」などで注目を集めた独特の歌声は幅広い層に支持されており、歌唱のみならずテレビのナレーションやラジオでも活躍する“声のスペシャリスト”だ。ジャズサックスプレイヤー・土岐英史の娘として生まれ、幼い頃から音楽が身近にあった土岐が考える“いい音”とは。

取材・文 / 臼杵成晃 撮影 / 西槇太一

「いい音」はフォーカスがはっきりしているもの

──土岐さんにとっての“いい音”って、ひと言で表現するとどんなものでしょう。

作品的なところで言うと、フォーカスがはっきりしているもの。

──フォーカス?

以前、ハイレゾとCDの聴き比べ企画に呼ばれたことがあったんです。そのときに、ハイレゾ音源は曲によってはすごく魅力的になるけど、これまでの聴き方とは違う考え方を持たなくちゃいけないなと感じたんです。情報量が多すぎて、焦点が定まらないなって。たとえばAMラジオの音だと、ハイとローがバツッと切れて、非常に焦点が定まってますよね。それがリスナーとしての原体験なので、ハイもローもつぶさに聞こえるハイレゾはまったくの別物なんです。

──なるほど。

ライブの音源だと、お客さんの衣擦れの音まで聞こえてくるんじゃないかと思うようなリアルさがあるけど、古いジャズやポップスなどの慣れ親しんできた音は、情報が多すぎて意識が散漫になってしまう。録音されたすべての音が聞こえるのが、必ずしも「いい音」ではないと思います。

土岐麻子

土岐麻子

──オーケストラのように、いろんな楽器が積み重なっていて音の強弱がはっきりした音楽だと、ハイレゾの効果も大きいかもしれませんね。

うん、うん。ハイレゾは音の配置がよりリアルに感じられるものでもあるから、大所帯の演奏とか、音の分離を求めるような音楽にはすごく合ってると思います。だから、ライブ音源なんかはハイレゾによく合うんじゃないかと思いますね。

山下達郎のライブに“色”を感じた幼少期の音楽体験

──子供の頃を思い出したとき、記憶に残っている印象的な音楽体験はありますか?

小さな頃、父(ジャズサックスプレイヤーの土岐英史。土岐英史カルテット、日野皓正クインテットなどのジャズバンドでの活動のほか、山下達郎のライブでも長年にわたり活躍している)に付いて行った山下達郎さんのライブで、ブレッド&バターの「ピンク・シャドウ」をカバーされてたんですよ。吉田美奈子さんたちがコーラスで。それを聴いて、「ピンク・シャドウ、ピンク、ピンク・シャドウ」という女性陣が歌うコーラスのフレーズが鮮明に記憶に残っています。幼稚園に入る前ぐらいの頃だと思うんですけど、忘れられないんですよ、鮮やかすぎて。本当にピンク色をしていたというか(笑)。1つの絵になって迫ってきたんです。

──ハーモニーが色になって記憶されていると。

はい。声が重なっていく……コーラスがすごくカッコいいと思ったのがそのときです。それがコーラスというものだとは知らずに。それがすごく印象的で、今でもレコーディングやライブのときは、色や映像を意識するクセが付いているんですよね。なんというか、“共感覚”みたいな話になってくるかもしれないんですけど(笑)、歌を何テイクも録って「ここは絶対に銀色にならないといけないのに、銀色の声が出ない」みたいな。そういうイメージを頼りに歌っていたりするんですよね。

──「銀色にしたい」というイメージは、ディレクターやエンジニアにどう伝えて、どう解決してるんですか?

本質的には自分の声のコントロールだけで、ミックスのときはやっぱり言葉で完璧には伝えられないので、そのつど自分なりに研究しています。それを表現するためにはハイの成分を削るのか、発音を変えるのか……とか。

土岐麻子

土岐麻子

──風景はハッキリしてるから、それを絵に描くように声で表現しなくちゃいけない。そのルーツをたどると、子供の頃の「ピンク・シャドウ」に行き着くんですね。

そうなんです。

──「お父さんの仕事場に行く」という行動が音楽につながっているのは貴重ですし、自分も音楽の道を選んだ今となっては恵まれた環境ですよね。家での音楽環境はどうだったんですか? 最初に自発的に買ったレコードなど。

子供の頃にクラシックバレエをやっていて、そのときに踊った曲が入ったレコードを買ってもらったのが最初ですね。サン・サーンスのレコード。それはあんまり音楽的な興味じゃないと思うんですけど。そういう意味では、1980年代のアイドルですかね。斉藤由貴さんとか。そのあとの波は、中学のときのバンドブームです。

こもったギターの音作りが「いい音」探しの原点

──バンドブームのときは、すかんちの大ファンだったんですよね。当時すかんちのコピーバンドもやってたそうですが。

すかんちは自嘲感が好きだったんですよ。ナルシシズムが入ってない感じというか。「俺の魂を聴いてくれ!」みたいなバンドが苦手だったんです。筋肉少女帯が好きなのも同じ理由で。

──土岐さんはもともとボーカリストではなく、ギタリストを目指してたんですよね。バンドで最初にギターを鳴らしたときの感覚は覚えてます?

ああ、覚えてます、覚えてます。最悪だなと思いました(笑)。楽器だから、鳴らせば音が出ると思ってたんですよ。スタジオや音楽室でアンプにつないでいざ鳴らしてみると、すごく情けない音で。「私が好きな音楽はこんなんじゃない!」って。すぐにくじけそうになりました。そのあとスタジオでエフェクターを借りて、理想には一気に近付いたんだけど、演奏ができないからそういう問題じゃない(笑)。だから研究はすごくしましたね。エフェクターをかましたからといって、安易に好きな音が出るわけじゃないから、どうやったら理想的な音がでるのかすごく研究しました。筋少の橘高(文彦)さんのギターが好きだったんですけど、橘高さんの音は少しこもってるんです。アンプやエフェクター、ギター本体のつまみをいじって「この音かな?」と理想の音を探してました。

土岐麻子

土岐麻子

──ハイファイではない、少しこもった音作りの。

もともと好きなんですよね、ちょっとスモーキーなものが。色の好みもそうですね。ビビッドなものよりもくすんだもの、歪んでるんだけどこもっていて、上品なんだけどスレている……みたいな。声も同じで、昔は自分のしゃべり声とか好きじゃなかったんですけど、Cymbalsで歌を始めて、録音したものを聴いているうちに、だんだん好きになってきたんです。なぜかと言うと、私は鼻が詰まっていて、歌声がこもってるんです(笑)。

──自分好みの音質が自分のノドから出てきた(笑)。

そうそう(笑)。意外に自分好みの音色が作れると気付いて。Cymbalsのボーカルとしての理想の声があったので、ギターで音を作るように、いろいろ試してみたんです……そうか、それが私にとっての“いい音”を探す行為の原点ですね。


2016年12月21日更新