音楽ナタリー Power Push - いい音で音楽を

special interview土岐麻子 声のスペシャリストが考える“いい音”

「smilin'」で見つけた正解

──1999年にCymbalsでメジャーデビューしたあと、プロとして音楽に携わる中で、声や音色に対する意識は変わってきましたか?

「声は生まれ持ったものだから、感謝すべきだね」と言ってもらって……今はとてもありがたいことだと思うんですけど、デビュー当時は「いやいや、人はいろんな声が出るから」と思ってたんです。「私も昔歌ってたんだけど、声に恵まれなくて挫折しました」とか言われても「それは研究が足りないからなのでは?」って(笑)。声も楽器と同じで、自分の弾き方やセッティングでいろんな魅力が出せるという考え方だったから、Cymbalsのときはずっと「思うような音作りができないな」と思ってたんですよ。今はあまり考えずにポーンと自分の好きな声が出せるんですけど、当時は「なんで思った声が出せないんだろう」って延々音作りを研究してました。ピッチがどうとか感情がどうとかじゃなく、ずっと声色のみを考えてたというか。

──同じく楽器に例えるならば、優れたビンテージギターのように、本体そのものが生まれ持っているポテンシャルもあるということに気付いてなかったと。

はい。気付いてなかったし、そもそも私は自分の声がそこまでいいとは思ってなかったから(笑)。

土岐麻子

土岐麻子

──その意識が変わってきたのは、単に経験を重ねたから?

そうですね。だんだん扱いやすくなってきた。そこに至るまでには、ボイストレーニングに行ったりしたことも大きくて。メンテナンスですよね。自分の体のどこがどう作用しているかを理解することが必要だと先生に教えてもらって。例えば「眉を上げるとどこに響くか」とか、「喉のどこに力が入ってると細い声になってしまうのか」とかいろいろと研究して……こうやってお話しているときにも観察する癖が付いていて(笑)。お腹のこのへんを使って話されているなあとか研究するようになってから、自分で思うように声が出せるようになってきましたけど、それも最近です。

──「これが自分にとって正解の声だ」というのが見えた瞬間、見えた楽曲はありますか?

あります。「smilin'」(2009年1月発売のアルバム「TOUCH」収録曲)をレコーディングしたとき、「私が出したかったのはこの声だ」って思ったんです。曲によって出したい声は違うんだけど、「この声が出せたらもういいや」みたいな。

──なぜそこで正解が出たんですかね?

麻布十番のスタジオで、レコーディングの前にインドカレーを頼んでみんなで食べたんですね。すごく油ぎったカレーだったんですけど、その油がよかったのかも(笑)。そのあと録った曲ではうまくいかなかったので(笑)。でも「smilin'」で理想の声が見つかったことが、自分の中で1つの基準になっていて。迷ったら「smilin'」を聴き直して近付けるみたいな、大事な曲になりましたね。

レコーディング時のこだわり

──レコーディングで“いい音”を録るうえで、いつも気を付けていること、必ずやるルーティン、ジンクスみたいなものはありますか?

声に関して、喉に関しては特に何もなくて。逆に気を付けない、何も考えない状態でいたいんです。変に考えすぎて緊張すると筋肉が締まって声が変わっちゃったりとか、喉が枯れたりするので、「私の喉は無限である」みたいな大きな気持ちでいるようにしています(笑)。

──ナチュラルな状態を保つように。

そうなんです。何も考えたくない。ただ、耳はすごく大切なんです。こだわっていることがあるとすれば、耳かもしれない。

土岐麻子

土岐麻子

──耳をどうケアしてるんですか?

ちょっとした体調の変化で聞こえ方が変わってくるので、レコーディングのときは2日ぐらい前からお酒を飲まないようにするとか。お酒を飲んでも歌えなくなるようなことはないんですけど、耳がおかしくなる感じがするんですよ。フラットな耳になれない感じがして。あとはモニター環境を整えること。自分の耳は体調管理で整えられるけど、モニター環境が悪いといくらコンディションがよくても意味がないので。ヘッドフォンとキューボックス(ボーカル録音時に聴くバックトラックやブースからの指示を複数のチャンネルで出力する機器)の関係でよし悪しが変わってくるんです。本当は自分専用のキューボックスが欲しいぐらいで。

──自分専用キューボックスを持ってるボーカリストもいるんですか?

聞いてみたんですけど、ほとんどいないらしいです。スタジオによって対応していなかったりすることもありますし。前に使っていたスタジオのキューボックスがどうしても合わなくて、それは調べてみたら配線の問題だったんです。返ってくる音に、ほんの少しだけどタイムラグがあって。どうしても自分のピッチが不安定になってしまっていたんです。自分の耳とダイレクトにつながるモニター環境は大切で、なるべくいい環境のスタジオを使いたい。初めて使うスタジオではまず聞こえ方の癖をチェックします。

「これは世界一最高の音楽だ」と思いながら演奏するのが大事

──ではライブのときに気を付けていることは?

直前にごはんを食べないようにしているぐらいですかね。歌う2時間前にはお腹いっぱいにしないようにしています。あとはなんだろうなあ……褒められたことをいっぱい思い出す(笑)。自分には自信を持っているし、最終的には己がいいと思えればそれでいいと思っているんですけど、やっぱり人に認められたり、「いい音楽だ」と感動してもらえるのはすごく力になるし、肯定力が強まるというか。自分の音に安心して入っていける感じがするんですよね。最近はライブでもあまり緊張しないですけど、緊張するときは心がナーバスになっているので、ネガティブなことをいっぱい考えてしまうんですよ。「失敗したらどうしよう」とか「歌い出しがよくなかったかも」とか。そういうときに、過去に褒められたことをいつでもパパパッと思い出せるようにしておくんです。そうすると、すごく力になるんですよ。ちょっとアホみたいですけど(笑)。

──いやいや、心のバランスを保つ方法としてはいいんじゃないでしょうか。

男の人がよく言うみたいに、モテたくてバンドを始めて、どんどんうまくなって……みたいなことは私にはありませんでしたけど、これは似たようなものかも。

──逆に叱られたり批判されたりすると、喉が締まる?

締まりますね。メンタル次第で全然違いますから。

土岐麻子

土岐麻子

──土岐さんならではの対処法としては、自分の中に“褒め”を取り込むと。

はい。ステージで萎縮しちゃうと何もかもできなくなっちゃいますからね。「自分は万能である」という気持ちで臨まないと……普段の生活からそう思えてればいいんですけど、普段はわりと、自己否定をして自分を育てるタイプなんですね。体育会系なので(笑)。客観的に「全然ダメだ」というところからしか伸びしろを感じないというか、そういうふうに育ってきたので。いざステージに立ったときにその感覚でいると、そうそういいものにならないので、ライブ前は自信を持てるマインドに切り替えるようにしてますね。レコーディングのときも一緒で、なるべくウットリするように(笑)。自己陶酔して歌うタイプの人が昔は苦手だったけど、作り手に自信がないとうまく伝わらないと思うんです。

──そういった自分なりの方法は、自分で見つけ出したんですか?

そうですね。あと、父の話の影響も大きいです。父はいろんなアーティストの曲で演奏するけども、レコーディングのときは必ず「これは世界一最高の音楽だ」と思いながら演奏すると言っていて。サックスのソロパートだけを録音することもあるけど、そういうときもイントロから必ず聴いて、その流れで吹くと言ってました。確かに「この曲イマイチだなあ」と思いながら歌っても、それ以上のものにはならないと思うんですよね。ライブでも、「世界一最高の音楽だ」という気持ちでやっていれば、ちょっとミスをしてもどんどんカバーできるんですよ。


2016年12月21日更新