「発光帯」から約3年半ぶりとなるハナレグミのアルバム「GOOD DAY」が9月25日にリリースされた。
新たな盟友と言えるアレンジャー / ギタリスト西田修大を筆頭に、iri、マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)、Curly Giraffe(高桑圭)、icchie、YOSSY、御徒町凧といった個性的な顔ぶれを迎えて制作された本作。そこには“なぜ自分は歌を歌いたくなるのか?”という、彼の表現者としてのプリミティブな衝動がカラフルなサウンドとともに収められることとなった。
バンド・SUPER BUTTER DOGでのメジャーデビュー27年目、ソロデビュー22年目にして「自分のルーツを再確認することになった」と語るハナレグミ。その最たるきっかけになったのは、コロナ禍の訪れとともに突如としてハマったフィルムカメラでの撮影なのだという。自らの作る音楽に写真が及ぼした影響とは? そして生まれ育った土地と歌との関係とは? 特集前編では、さまざまなトピックを通じてアルバム「GOOD DAY」の制作背景に迫る。
また4ページ目から始まる後編では、ハナレグミのルーツである「三多摩」をテーマにした、坂本慎太郎との対談をお届けする。
取材・文 / 望月哲
写真を通して向き合うこととなった自らのルーツ
──「発光帯」から約3年半ぶりのアルバム「GOOD DAY」が完成しました。
前のアルバムはコロナ禍の最中に制作したんだけど、結果的に自分自身いろんなことに向き合うことになって。それこそ自分が歌を歌う意味であるとか。そういう意味では、すごく貴重な時間になったね。あとはコロナ禍の期間に、カメラにハマったのも大きかったと思う。撮り溜めた写真を1冊にまとめた写真集(「発光帯」)を刊行したことで、自分の中にある揺るぎないものを再確認した感じがあって。写真集には、自分が生まれ育った国分寺や国立の風景を撮影した写真が収められているんだけど、自分はこの場所に生まれて、この場所に帰っていくんだということがよくわかった。
──自分のルーツに向き合うことができたというか。
そうだね。写っているものが自分以外の何物でもない。どこにでもある風景の写真なんだけど、自分のルーツがあの写真集にはすべてあって。
──写真集を作ったのはいつ頃だったんですか?
コロナ禍の間ずっと写真を撮り溜めていて、去年秋の野音ワンマンから販売し始めた。ただ、見る人からどう受け取られるのかがわからなすぎて写真集を作るときも、実はちょっと迷ってたんだよね。
──あまりにもパーソナルな内容だから?
そう。パーソナルすぎてワケがわからないんじゃないかな?って。でも、そういうことをやりたい自分も確認できた。写真を撮り始めてわかったんだけど、音楽を作り続ける中で、いつも何か言い足りてない気持ちが自分の中にあったんだよね。音源だけでも足りないし、ライブをやると音源とは別のものが表現できるんだけど、じゃあ何かが完全に成立しているかといったら、どこかに足りてなさを感じていたんだよ。もしかしたら、それが写真で表現できたのかなと思って。
──長らく自分の中にあった、もどかしい感覚が。
そうだね。写真集の後書きにも書いたけど、音楽って譜面に書けること以外のものが大切な気がして。そういうものが聴き手の心に響いてるんだと思うし。今回のアルバムを作っていて思ったけど、自分は言語化できないものに、すごく執着していることに気が付いたんだよね。例えば以前作った「天国さん」という曲で、「あるよあるよ」って歌ってるんだけど、何について「ある」と歌ってるのかは自分でも手探りなところがあって。あとは自分が感じたことを風景を通して歌詞にするようなことも多くて、それって結局、言葉では表現できない感覚なんだよね。そこにある余韻みたいなものを歌で表現しようとしてると思うんだけど。
──目には見えないけど確かに感じるもの。
うん。自分が撮った写真を見ると、歌を歌いたくなった理由がよくわかるんだよ。そういう意味でも写真集を出したことによって、長年自分の中に溜まっていた、ずっと言えてなかった何かだったり、手が届いていなかった部分に光が差した。歌を歌うことの意味であるとか、写真を通していろんな確信が自分の中に芽生えた気がする。
──それが楽曲制作にも作用していった?
曲を作るうえでの、すごく大きな指針ができたというか……あんまりもう迷わなくてもいいなと思った。シンプルに自分が思ったことを書けばいいんだなという。今思えば知らず知らず“何者”かになろうとしてるところもあったのかな。人から求められてる存在にならなきゃ、みたいな。
──“聴き手が望んでいるハナレグミ”みたいなイメージに無意識的に寄せていた?
そうかも。今は、そこじゃない部分から何かを生み出せるような気がする。なんだろうね? 自分の感覚を自分自身で認められたのかもしれない。写真集が完成して、すげえいいなと思ったんだよね、自分の感覚を。
──これをこのまま出しちゃっていいんだ、っていう。
そうそう。あくまでパーソナルな感覚を収めたものではあるんだけど、いざ写真集を出してみたら共感してくれる人がけっこう多くて、いろんな感想をもらった。音楽を作るうえでも、それがすごく自信になったね。
生まれ育った土地と歌の関係
──写真を通して本当にいろんな気付きがあったんですね。
めちゃくちゃあった。自分が撮った写真を見てると、ブルースであるとか、ブラックミュージックを好きな理由もよくわかるし。自分のルーツみたいなものが浮かび上がってくる。言葉ではうまく説明できないんだけど、どこか人を思う気配とか、時間が深まっていくことのよさとか……あとはやっぱり、自分はどこかイビツなものに惹かれるところがあるんだなと思った。写真集に収められた風景も、一見整然と建物が並んでいるけどイビツなものも感じるし。やっぱり俺はこういう感覚が好きなんだなと思う。自分が撮影した写真だけど、見るたびに納得するんだよね。こういうものをずっと好きだと言えるし。嬉々として写真を撮ってたからね。「めちゃくちゃカッコいいなこの街!」って。
──それって歌を歌い始めた頃のフィーリングに近いんですかね? 「歌を歌いたくてしょうがない!」みたいな。
あー、どうだろう……似てるような、違うような。でも、自分の中で歌と写真はものすごく関係してると思う。だって、自分が撮影した写真を見てると歌いたくなってくるもんね(笑)。
──気持ちが高まって。
そう! これは今までのインタビューで何度も話してるけど、基本的に俺は「自分の歌を聴け!」ってタイプじゃなくて。どっちかって言うと、真ん中に何か大事なものがあって、その場所が輝くような歌を歌いたいんだよね。
──いわゆるムードメイクというか。
うん、そんな感じ。写真集を見てると、「この場所がもっと輝くように、俺はこういう歌が歌いたい」とか思う。自然とそういうふうになっちゃうんだよね。なんだか変な感覚なんだけどさ。でも、歌いたくなる景色だとは思うな。
──自分の中にある何かを喚起させるような。
そうだね。俺は以前から、「育ってきた土地や見てきた景色が、作る音楽にすごく影響するんじゃないか?」という説を勝手に唱えていて(笑)。例えば広大な大地で育った人は、空間を埋めるべく“広い”歌を歌うと思うんだよね。もしくは広すぎるから、ものすごく小さい声で歌ったりすることもあるかもしれない。いわゆるテクニックとしての歌じゃなくて、体の底から歌いたいと思ってる人は、きっと小さい頃から見てきた景色とか、自分が大事に思ってる場所に向けて歌ってるんじゃないかな? それが俺にとっては生まれ育った三多摩地方だった。あのあたりには郊外特有の独特な空気感があるんだよね。
──僕も国分寺市在住なのでよくわかります。
畑と住宅街の割合とか、夕暮れどきに突如としてアフリカの大地みたいな巨大な夕陽が見えたり。あとは街に住んでる人たちの感じとか。高度経済成長期に宅地化が進んで、日本各地からたくさんの人たちがあのあたりに移り住んだんだと思うけど、そういう意味でいうと、下町とかに比べると住人同士の結び付きはあまり強くないのかもしれない。だからある意味、独特の空虚さもあって。ただ、その空虚さが俺は嫌いじゃないんだよね。子供の頃から、むしろそこにカタルシスを感じてた。だから、いろんな物事をすごく俯瞰しちゃうところがあって。人とか風景を俯瞰することで、一人遊び的に自分の街を楽しんでいたのかもしれない。どこかに切なさを感じながらね。
──まさに生まれ育った土地によって、シンガー・永積 崇の感性が育まれていった。
そうだね。自分の中では切なさが唯一、人と交わるツールだったのかもしれない。俺はどちらかというと、人肌みたいなほうに声が向かっていった気がする。でも同じ街で育ったとしても、人によっては、逆に体温を抜いていく人だっていると思うし。人それぞれかなとは思うけどね。
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永積 崇が下町に生まれていたら?